odi et amo.
出会い頭にひとの腹にナイフを突き立てて平然としている男の顔を眺めながら、静雄は珍しくも思考する。普段ならば、臨也の顔を見るなり殴りかかっている筈なのに、今日は何故だかそんな気にならないのだ。それが酒の所為なのか、それとも他に何か理由があるからなのかはわからない、わかりたくもない。そもそもこいつは巧く立ち回るのが得意な上に逃げ足が速いから今まで仕留め損なってきただけであって、。
「シズちゃんさァ」
「あ?」
ぎちり、と音を立てて軋むほどに前髪を握り締められながら、臨也はいつに無くのんびりと呟く。その場違いと言っても過言ではない口調に静雄は僅かに眉を顰め、いっそこのまま隣に聳えるコンクリート壁にこいつの頭を叩き付けてやろうかと一人ごちる。実際、軽く腕を一振りすれば臨也の頭はいとも簡単にコンクリートに激突してひしゃげる筈だ。そしてそれを臨也自身も理解している筈なのだが、――静雄の腹に食い込んだままぴくりとも動かないナイフの切っ先が、静雄の行動に待ったをかけていた。
何故、どうしてと考えることはしない。ただ、己の腹に食い込んだ金属の切っ先を通して、臨也が未だ諦めていない事を漠然と感じ取る。
なにを、諦めていないのか。
――簡単だ、静雄を殺すことを諦めていないのだ。
未だ臨也の手には力が篭ったまま、ナイフは退くでもなく進むでもなく其処にある。まるで其処にあることが当然であるかのように互いの身体を繋ぐ金属の感触に、静雄は僅かに頬を歪めた。
――面倒臭い、苛々する、腹立たしい。
早く早くこいつを殺して――殺さぬまでも殴り飛ばしてスッキリしてしまいたいのに、。
しかし暴発寸前にまで高まった静雄の感情は、次いで吐き出された臨也の言葉によってその噴出口を見失う。
「今度セックスしようか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はァ?」
余りにも唐突な臨也の言葉に、静雄は長い沈黙の後、小首を傾げた。
――何故そうなる。
「イザヤ君よお・・・・ついに頭がイカれたか? あ?」
「生憎、俺はシズちゃんみたいにブチ切れた生き方もしてなければぶっ飛んだ短絡思考も持ち合わせちゃいないよ。でもまあ、セックスすればナイフじゃなくてもシズちゃんの中に入れるかなあと」
「――――」
「そうすりゃシズちゃんの馬鹿げた腹筋も役に立たないし、・・・・ああでも喰いちぎられるのは嫌だな。俺、痛いの嫌いだし」
「・・・・・・・・・・・・」
「そうだ、筋弛緩剤の一本も打てば、流石のシズちゃんも動けなくなるし好都合だよねぇ」
いい事を思いついた、と言わんばかりの臨也の言葉に、ぶつん、と静雄の中の何かが爆ぜた。
臨也が何を言っているのかを理解した訳ではない。
否、――この瞬間、静雄は理解することを放棄した。
なにを?
――折原臨也という男のことを、だ。
そもそも随分昔から理解することなど放棄していたような気もするが、そんなことは最早どうでも良かった。臨也が口にした言葉もそれが意味するところも(一応頭の中には入っていたが自分が女役となって臨也に抱かれる等と言うことは想像するだけでも虫唾が走る妄想だったので静雄の頭はそれを瞬時に拒絶した)、筋弛緩剤など使われたら死ぬだろうがとか取り敢えず一発殴らねば気が済まないとか、一瞬で脳裏を埋め尽くしたそれらは体内に残っていたアルコール諸共にやはり同じく一瞬で蒸発した。
――後に残ったのは。
「・・・・取り敢えず、死んどけや、イザヤ君」
にい、と唇の端を吊り上げて凶悪に笑った静雄の拳が、臨也の前髪の残骸だけを道連れにコンクリート壁を打ち砕き、工事現場紛いの轟音を池袋の街に響かせた。
一時間後。
偶然、本当に偶然と言うべき巡り会わせで臨也を発見した『首無しライダー』ことセルティ・ストゥルルソンは、砂埃に塗れ頬に痣と擦り傷を作り、前髪を不揃いに切り落とした彼の姿を遠目に眺め、その余りにもらしくない姿に、喪われた首を小さく傾げたのだった。
作品名:odi et amo. 作家名:柘榴