はるかに長い、坂の向こうに
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エドワードが目を覚ましたとき、窓の外はもう明るくなっていた。
藍色のカーテンの間から、朝の光がベッドの上まで細い光の帯を作っている。
「───目が覚めた?」
穏やかな声が掛けられて、もそりと身じろぐ。
途端に体の奥に走った痛みに小さく体を強張らせながら右に寝返りを打つと、広い肩が目に入った。
続けて視線を上げると、ふわりと微笑するオトコの笑顔。
「アルフォンス…」
「おはよう、姉さん」
毛布からむき出しのエドワードの肩を撫でる、大きな手は優しい。
「…はよ」
照れくさくて小さな声で返すと、アルフォンスは笑みを深くしてエドワードの額に軽く唇を押し当てた。
「体は大丈夫?」
「あ〜…まだちょっと痛いけど、覚悟はしてたし。大丈夫だ」
「そっか」
良かった、と安堵の吐息が零れる。
壁に掛けられた時計は9時過ぎを指していた。
「姉さん、今日は部活あるの?」
「いや、今日明日は休み」
「じゃあボク、提案があるんだけど」
「?」
なに?とエドワードが目線だけで尋ねると。
「これから着替えて、朝ご飯食べて。姉さんの服を買いに、一緒に出かけない?」
「オレの服?」
「うん。…昨日、あいつらにダメにされちゃったでしょ?だからその代わりに」
「いいけど…オレ、この前通学用のスニーカー買い換えたばかりで、あんまり手持ちがないんだけど」
「それなら心配しないで。この間も一儲けしたから、予算はあるんだ」
「ひともうけ?」
反芻すると、アルフォンスは頷いて自分の机の上のノートPCを指した。
「父さんに勧められて、去年からネットで株をやってるんだ。最近は読みも良いって、よく誉められるんだよ」
「…株」
確かあのPCを初めて見たのは、去年のクリスマスだった。
父さんの手伝いして買ったんだ、と言っていたが、もしやその手伝いがそれだったんだろうか。
「だから一緒に買い物して、お昼も奢るからどこかで食べようよ」
「太っ腹だなー、まさか全部奢ってくれるのか?」
「お望みとあれば。で、その後街をぶらぶらしてから、帰ってこよう?」
「いいかもな、色んな店冷やかして。……って、あれ?」
元々仲が良かったし、姉弟一緒に買い物や食事に行くことは以前からよくあった。
けれど今日の予定は何となくいつもと違う気がする。
「ええと、アル。オレの勘違いじゃなかったらもしかして───デート、ってヤツですか…?」
「…うん。ちょっと……順番が狂っちゃったけど」
うっかり問いかけるような口調になってしまったエドワードに、アルフォンスはこくりと頷いた。
「だめ、かな…?」
甘えるようなアルフォンスの声に、エドワードは慌てて首を振る。
「んなワケねぇ!すげぇ嬉しい、絶対行く」
「やった!」
弾んだ声と共にアルフォンスに抱きすくめられ、エドワードはふきゅ、と奇妙な声を上げてしまう。
「ボク、先に降りてご飯作っておくね」
「あ、オレが…」
「姉さんはゆっくりで良いから。───味噌汁とレタスのスープ、どっちがいい?」
「…レタスのスープ。もやしとコーン、入ってるヤツ」
「じゃあ食パンも焼いておくね。なんならフレンチトーストにしちゃおっか?」
「だったら、うんと甘いやつな」
「了解」
ベッドから起きあがり、アルフォンスは下着とジーンズに足を通す。
ざあ、と藍色のカーテンを開けて。
「できあがったら呼びに来るよ」
「ん、ありがとな」
ゆっくり体を起こしながら、エドワードは微笑する。
その拍子に、肩の辺りまでかかっていた毛布がぱさりと落ち、すべらかな白い肌があらわになった。
鎖骨の下や柔らかい膨らみの上に残された赤い跡も、朝の光の中に晒される。
アルフォンスがそれを見て、目を細めた。
「───姉さん」
「?」
「忘れるところだった」
ベッドの上に片手をついて屈み、エドワードとこつんと額を合わせる。
ちゅ、と唇を啄んで。
「おはようのキス。姉さんが起きたらしようって思ってたんだ」
袖を通しかけていたシャツを、その細い肩にふわりと掛けて。
「じゃあ、もう少し待っててね」
大好きだよ、とささやきを一つ。
階段を下りていくアルフォンスの足音を聞きながら、エドワードはベッドから立ち上がった。
肩に掛けられたシャツに袖を通すと、やっぱりサイズはずいぶんと大きくて。
だけどその差が、今はなんだかくすぐったくて嬉しい。
窓の外は夏の快晴、絶好のデート日和だ。
「───何着て行こうかな…」
ふふ、と小さく笑って、エドワードはゆっくりと自分の部屋へ足を向けた。
作品名:はるかに長い、坂の向こうに 作家名:新澤やひろ