恋は垂直落下
平和島静雄は暴力が嫌いだ。
マジだ。
名前の通りの平和で静かな人生を送りたくて、送りたくてたまらない静雄は、しかし、その巨大な力とキレやすい性格から、全く平和と静かには縁のない生活を余儀なくされている。
不公平だ。
高校に入って心機一転、静かに目立たなく生きようとした静雄の努力は、入学2日目にして早くも崩れ去った。どこぞのバカが、中学のときの静雄の噂を・・・ケンカ無敗と言うやつだ、事実だ・・・馬鹿にして、早々にケンカをうってきたからだ。
気づいたときには終わっていたそれが、次々と敵を呼び込んだ。倒せば倒すたびに敵が増えた。静雄の心情を一言で言い表すならば、これが最適だろう・・・どうしてこうなった。
そうして、今日も今日とて静雄は、くだらない呼び出しを食らうのである。授業中に。
「あー、またやってるよ」
頬杖をついて窓から下を見下ろした竜ヶ峰帝人は、そう呟いて眉をしかめた。2階にある2年の教室の窓側後ろから2番目の席が、帝人の席である。
「なんだー？どうしたんだ帝人。可愛い顔がだいなしだぜー？」
「病院行ってくれる？」
「ちょっと帝人さん、それ冷たすぎ！俺の精一杯の親愛の情じゃないかー！」
「ねえ正臣、その口はどうやったら閉じてくれるの？ボンド？接着剤？」
「お願い無理やりはやめて！」
大げさな身振り手振りで掛け合い漫才をする相手は、幼馴染で親友の紀田正臣。そして現在、プリント1枚を配られたあと自習中のクラスは、がやがやと賑やかだ。
「で、何がまたやってるって？」
勝手に帝人の前の席に座り、首を傾げる正臣に、あれ、と帝人は指をさす。帝人の席からみると真下のところで、5人ほどの不良が平和島静雄を取り囲んでいる場面だ。
「あー、１年の怪力喧嘩人形の平和島君かー」
「すごいよねー、彼。はんぱないよねー」
「伝説だよなあ、登校初日に教壇ぶん投げて教室のドア真っ二つにしたとか」
「購買の自販機投げたとか」
「サッカーゴールが３階の教室に突っ込んだとか」
「すごいよねえ」
どこかうっとりとすごい、と繰り返す帝人に、いやいや、すごいとかその前に怖がれよと思ったりするのだが、この親友は昔から非日常的なものにとことん目がない。彼自身、普通のなかでも普通、特徴といえばその童顔くらいなものだというのに、そんな自衛の手段もなしに、良くふらふらと非日常に近づいて行くので危なっかしい。
「でもさあ、あんなに毎日喧嘩ばっかりしてたら、怪我とか平気なのかなって思うんだよね、僕」
「や、逆にアレだけ毎日喧嘩できるんだから、怪我は平気なんじゃねーの？」
「そうかなあ・・・？」
心配そうに窓の下を覗き込む帝人に構わず、正臣は手元のプリントを無造作に折っている。既に解く気はないらしい。
「よしっと。おい帝人見てみろよ！この紙飛行機はよく飛ぶぜー、この翼の角度と頭の折り目がポイントで・・・」
「あーはいはい子供じゃないんだから」
「聞けよ！ほんとこれマジで超飛ぶから！こっから飛ばしたら校庭横切っちゃうくらい！」
「んなわけないでしょ。っていうかそれ課題だからね。提出だからね？」
「あー、帝人信じてないだろー。いいぜ、それなら俺が見せてやる、これが俺の魂の紙飛行機だっ！」
いくぜ！と構える親友に向かって、ほんとに面倒くさい何でこんなに人の話聞かないの、とため息をついた帝人は、そのプリントの羽の部分を見てはっと目を見開いた。
「ちょ、ちょっとそれ僕のプリント！」
「えー！？」
ばっと手を伸ばしたところで少し遅い。直前に怒鳴られたせいで勢いは辛うじて弱まったけれど、スローイングの体制に入っていた腕を止めることは出来ず、そのまま紙飛行機はへろへろと正臣の手を離れる。
「っのバカっ！」
何で折るなら折るで自分のプリントを使わないのだ。理不尽だ、不条理だ、謝罪とアイスを要求する！そんなことを思いながら、帝人は深く考えもせずに身を乗り出してプリントへ手を伸ばした。
「っ帝人！」
あせったような正臣の声。
はしっと掴んだ紙の感覚。
そして。
「・・・っわああああああ！！」
身を乗り出しすぎた帝人は、そんな叫びとともに、教室の窓枠から消えたのだった。
一方平和島静雄は苛立っていた。
なんで授業中にこんなところに呼び出されなくてはならないのだ。いや、別に授業はどうでもいいけど、なんで呼び出された上に延々とこいつ等の武勇伝なんか聞いてやらなきゃならないのだ。
静雄を呼び出した連中は、自分たちがいかに強いかについて延々とどうでもいい話を語っている。おそらく静雄に戦わずして勝ちたいのだろうけれども、その話は半分も静雄の耳には入ってこなかった。
だりい、うぜえ、帰りたい。
あくびをかみ殺し、もうこれ以上付き合ってられんと言おうとした、そのときだった。
頭上から、悲鳴が聞こえてきたのは。
「は？」
なんだ、と上を見上げる静雄の目に、スローモーションで、二階の窓から落っこちてくる人影が飛び込んだ。
え、おい、何やってんだ。
静雄なら別にそんなところくらいから落ちたって支障はないが、相手はどう見ても普通の高校生だ。
受身くらい取れよ、と思う静雄の願い空しく、そんな様子もない。このままでは地面に叩きつけられて大惨事だぞ、と思うと、勝手に体が動く。
距離にして、３歩。
それだけ、と思うかもしれないが、何しろ相手はすでに空中。その３歩も、常人ならばもしかして間に合わなかったかもしれないくらいぎりぎりだった。というか、普通の人間だったら、二階から降ってきた人間を受け止めるなんて、受け止めた方だって絶対にタダでは済まない。下手すれば２人そろって病院送り・・・だが、そこは平和島静雄である。
「っだあああ！」
気合いを入れるような叫び声とともに、ぎゅうっと目を閉じて背を下に、丸まって落っこちてきた人影をぼすっと両腕で受け止める。
そのまま大きく一歩、足を踏み出して衝撃を耐え、よろめいてどしんと尻もちをついたが、それだけで済んだ。
静雄を取り囲んでさっきまでなんだかなんだ喋りまくっていた連中は、ぽかーんと目を見開いている。
腕の中に落っこちてきて、あれこれってお姫様だっこってやつじゃない？という格好の人影は、未だに目を固く閉じたままだ。
「・・・おい」
なんとか助けられたか、と息を吐いた静雄が静かに声をかければ、ぅひゃあ！と悲鳴を上げて少年が目を開ける。
目が合った。
その距離、わずか３センチのところで。
丸い目が瞬きをして静雄をまじまじと見つめる。
「・・・っ」
なぜかぐあっと体温が上がるのを感じて、静雄は思わず衝動的に、怒鳴っていた。
「気ぃつけろ！窓から落ちる馬鹿がどこにいる！」
照れ隠しだ。
マジだ。
その時そんな風に怒鳴らなければ、静雄は、なんか自分がとんでもない失言をしてしまいそうだと分かっていたのだ。だから必要以上に大声で、怒ったように言ったのだ。だがしかし。
「っこ、ここにいる・・・！」
そんな見当外れの返事が返ってきては、脱力せざるを得ない。