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それはそれで暴論なのだろう、と帝人自身は思うのだが、――実際、こうして隣に座っているだけならば、静雄は何処までも大人しい。暴れている静雄だけしか知らない人間にしてみれば、確かに彼は暴虐の限りを尽くす喧嘩人形に過ぎないだろうが、帝人に言わせれば怒りに任せて暴れ狂う静雄より、その静雄の怒りのスイッチを悉く押して回る折原臨也の方が余程暴力的なのだ。
不意に無人のブランコがきぃ、と幽かな音を立てて揺れ、何処か遠くで烏が鳴いた。
それはまるで、二人の間に満ちている沈黙を乱すかのように。
しかし静雄が口を開く気配は一向になく、帝人とて何か話をしたくて此処にいる訳ではない。そもそも目的などなかった、――ただ、珍しい場所に珍しい人がいた。だから声をかけてみた、ただそれだけ。
それだけ、なのだ。
だが、会話もないままに流れていく時間が存外心地良い事に気づき、帝人は口元だけで微笑んだ。
これもまた、猥雑な街に於けるある種の非日常なのかも知れない、と。
刺激的で暴力的なことばかりが非日常ではないと思い知らされた気がして、帝人は温くなってしまったミネラルウォーターを喉に流し込む。ぼんやりと見上げた空は夕暮れ時の終りに近く、存外長い時間が過ぎてしまったことを暗に示していた。
オレンジに焼けていた空が、東から薄紫色に染まっていく。
「帰らなくていいのか?」
「一人暮しなんで、・・・・急ぐ理由がなくて」
「そうか」
やっと交わした言葉さえ、そこでぷつりと途切れてしまう。それでも帝人は、静雄から声をかけられたことに純粋に驚いていた。
――てっきり、自分に興味などないと思っていたのに、。
「静雄さんは?」
「帰って寝る」
帝人の問い掛けに欠伸を噛み殺しながらいらえた静雄は、ぐうっと両腕を空に突き上げるようにして伸びをする。その細い腕が、長い指が、どうしてあれだけの怪力を発揮出来るのだろうかと不思議に思う。この目で見たのでなければ、帝人とてこの長身痩躯の青年が自動販売機を投げるなんて悪い冗談だとしか思わなかっただろう。
静雄は伸びをしたまま左右に軽く腕を振り、のんびりとした動作で立ち上がる。眠そうな双眸はサングラスの下で眇められ、欠伸を噛み殺す口元からは曖昧な吐息を吐いて。
帝人は彼を呼び止める口実を見つけることも出来ないままに、唯ぼんやりと静雄の動作を眺めていた。思えば不思議なもので、非日常を追い求めた自分の傍にいるこの青年は、ある意味に於いて池袋で尤も――否、最も、の座は首なしライダーに譲るべきであろうから二番目に、か――非日常的な存在である。その彼と言葉を交わし、僅かとは言え時間を共有することが出来る、それそのものが日常に内包された非日常なのかもしれない。
べき、と奇妙な音を立てて、静雄の手の中でミルクティーの缶が歪む。然して力を込めた様子は見受けられなかったが、それでもスチール缶を容易に握り潰す握力。屹度、静雄が戯れにその腕を振り抜けば、帝人の身体など数メートルは簡単に吹っ飛ばされるのだろうが、――それと知っていても尚、帝人は彼のことを恐ろしいとは思えなかった。
――何故?
「ああ、」
己の内で生じた疑問に小さく首を傾げた刹那、まるでその動きを察知したかのように静雄が振り向く。そのまま立ち去るのだろうと漠然と思っていた帝人はぎくりと身体を強張らせたが、しかし静雄は穏やかな口調で言った。
「悪ィ、水、一口くれねぇ?」
「は?」
「やっぱ甘かったわ、コレ」
がしがしと片手で頭を掻きながら、静雄はひしゃげてしまったミルクティーの缶を軽く揺さ振って見せる。飲み干しはしたものの、やはり甘すぎたのだろう。
帝人は軽く笑い、半分ほど中身が残っているペットボトルを静雄に差し出した。どうぞ、と言い添えれば、サンキュ、と返される。
ただ、それだけ。
それだけのことなのだ。
非日常的な存在を前にして、ただ当たり前の行動を取る。それは果たして日常か、非日常か?
ペットボトルを受け取った静雄は、きゅるりとキャップを回して水を煽る。特に気を使った様子は見受けられなかったが、ペットボトルは握られた腹の部分が少し凹んではいるものの握り潰される気配はなく、彼の手の中に握られているキャップも破壊される様子はない。先刻はスチール缶を簡単に握り潰したと言うのに、彼の握力は一体どうやってコントロールされているのか。
ごく、ごく、と尖った喉仏が二度上下したところで静雄はペットボトルを降ろした。先刻とは逆の動きでキャップを閉めると、大分中身の減ってしまったそれを帝人の手の中に戻す。
「ありがとな」
「い、いえ」
お気になさらず、と言いたかったが、巧く言葉にならないのは何故なのか。しかしそんな帝人の様子に気付いた風もなく、静雄は踵を返すと空いた掌をひらりと振った。
「じゃ、またな。早く帰れよ」
「はい、・・・・さようなら」
それきり彼は振り返る事無く、公園を出て薄暗い道路を渡っていく。バーテン服の背中が宵闇と街灯の透き間に消えていく様を見送ってから、帝人は大きく息を吐いた。
「・・・・・・・・またな、かぁ」
何気なく呟かれた言葉は、再会を期待してくれたが故のものか。或いは単なる言葉のあやか。
例え後者であったとしても嬉しいと思ってしまうのは、少なからず静雄の記憶に自分の影が射していることを知ったから、かもしれない。
――少なくとも、僕はあの人に存在を認識されている。
唯それだけのことがこんなにも嬉しいなんて、。
「これもある種の非日常、かな・・・・」
呟いた言葉に、手の中でペットボトルの水が、揺れる。
残った水を飲み干してしまおうとボトルキャップを捻った帝人は、しかしふと口をつける寸前に動きを止めた。
――微かに残るのは、煙草のにおい。
「・・・・・・・・・・・・」
帝人は暫し不自然な姿勢で硬直した後、水を飲む事無くキャップを閉め直す。
火照ったように顔が熱い理由については、敢えて考えないことに、した。