闘神は水影をたどる<完>
「寄るな!」
男たちはアルの一喝に身を固くした。正しくは、アルが自らの喉元に突きつけている剣先にである。
「それ以上私に近づけば自分で喉を貫く。動くな。おまえは幌を降りろ」
アルは側で顔を押さえている男を一瞥し、鋭く命令した。男の鼻と口を覆っていた布が赤く染まっている。幌の外で頭の男が言われたとおりにしろと顎をしゃくり、男はそそくさとアルの側から離れた。
六人全員が幌の前へ並んだのを確認し、アルは剣に白い喉を晒したまま男たちを見据えた。
「おまえ、鼻血が出ているな。その顔を覆っている布を取って、拭くがよい」
アルの声音には薄氷のような冷たさがあった。
男は仲間に不安な視線を配りながら、のろのろと布を掴み、顔を拭った。見る間に布が赤く染まる。鼻血を拭き去った男の口周りが、いっそ道化のように白く変わった。群島の人間には似つかわしくない白い皮膚の上に、肌を浅黒く見せる塗り粉を塗りたくっているのだ。馴染み深い肌の白さはファレナの民にほかならなかった。アルはせせら笑って見せたが、込み上げる怒りにうまく続けることができなかった。
「いったいなんのつもりだ。私を誘拐して、群島の者に罪を着せる気だったか」
男たちは一様にアルの睨みを受け止めることができず、空に視線をさ迷わせたり、俯いたまま押し黙ったりした。頭の男だけが剣呑な顔で何事かめまぐるしく思案しているようだった。
「――王家の人間が」
そうして重く口を開いた。アルばかりでなく、周りの仲間たちもが固唾を呑んでそのさきを待った。
「気にくわない。貴方を攫い辱めるのが、いちばん溜飲下がる思いがするかと」
アルは目の前が真っ赤になった。自然、剣を持つ手に力がこもり喉元に熱が走ったが、全身をたぎらせた熱さはその比ではなかった。叫んだ。
「ならば元老院で正当に申し入れよ。オベルの民に罪を着せれば、国どうしを脅かす問題になるのが何故わからぬ」
頭の男は言葉に詰まったように視線を滑らせ、はたと幌の外で止めた。みるみるうちに表情が強張る。
それはまるで、出来の悪い我が子がみすみす危険を冒すのを見つけてしまったような顔だったが、アルは見ていなかった。詠唱し、幌の前に繋がれた騾馬の尻の上に向けて、特大の火の玉を放った。
身を伏せる。
騾馬の甲高い嘶きを掻き消す炎の爆発が起こり、その一瞬、辺りが熱を帯びて昼間のように明るくなった。危険から少しでも逃げようとめちゃめちゃな動きで騾馬が暴れ出し、幌馬車が大波に揉まれるようにして大きく揺れる。アルは勢いを利用して幌から転げ落ち、突然の爆発にその場から飛び退った男たちの足下を転がった。
作品名:闘神は水影をたどる<完> 作家名:めっこ