Effects&Truth
Truth・1
彼の眼差しには魔力が宿っていると、僕は本気で思っていた。
その想いは今も変わらない。
そう思わなければ、説明が付かないのだ。
僕があの瞳の輝きに一瞬で魅了され、神秘的なまでの甘さに虜にされてしまった理由が。
色は僕のそれと変わらぬダークブラウン。
だが、その中央にある瞳孔の黒さが、他の誰とも異なっていた。
透明で、深い。
それはまるで、奥に潜む透明さを誇示するかのようだった。
黒色であるのに透明度の高いあの黒曜石のような瞳だった。
彼と眼差しを交わし、その中に感情のうつろいを読みとることは、どんな精緻な細工をほどこされた宝飾品を見たときよりも僕を感動させ、より彼に魅せられる結果を招いた。
月日を経るにつれ、僕が彼の瞳に僕だけを映してみたいと思うのは、当然のことだった。
それが独占欲と名の付く感情だということも分かっていた。
彼の見せる儚げな微笑みも、誰かを呼ぶときの声にこもった切なささえも愛しくて、僕にはもう、この想いを止めることは不可能だった。
幼い頃に父親を亡くし、母親と二人きりで暮らしてきた彼は、どうやら絶対的な庇護を求めていたようだった。
彼が自ら孤独になろうとするのは、中途半端な保護に裏切られるのが怖くて、それ以外を全て頑なに拒んでいたのだ、と僕は思った。
彼にはなまじ才能があったから、周囲は無意識に彼が何かをなす事を期待をしていたのだろう。
僕の周囲もそうだったから、何となく分かるのだ。
そのような期待は、予想以上に重く、その期待を一度でも裏切れば、冷たい視線しか残らない。
だからこそ、彼は自分に必要以上の期待を掛けず、自分を愛してくれる者を求めたのだ。
その点に置いて、僕は彼の境遇を理解し、要望に応えられる人間であった。
僕しか気づいていなかったが、始めはそんな利害の一致のみの関係だった。
しかし、彼の中に少しずつ安らぎと愛情を垣間見るようになったが、同時に不安もあったようだ。
きっと僕の裏切りを恐れているのだろう。
…そして、後に猜疑心(さいぎしん)の塊となった彼からの裏切りが、僕の前に突きつけられるのかもしれない。
そう思ったら、僕は彼の中に何も残せないままでは嫌だと思うようになり、彼を一生忘れられないくらい強烈に愛してやりたいと思った。
そう思ったときにはもう、僕は彼に深く唇を重ねていたのだ。
僕の彼への想いは、既に友情を通り越して恋情となっていたから、一線の踏み越えるのは容易かった。
ただ一つの懸念は彼の拒絶だったが、初めてのことに対する戸惑い以外の色を彼の瞳に見いだすことはなかった。
世間からすれば、この行為は背徳に当たるのだろう。
だが、敬虔なクリスチャンでも、道徳を説く者でもない僕には、そんなことよりも、彼の温もりの方がより崇高で素晴らしいものに思えた。
事実、僕らは行為によって生まれる強烈な快楽や淫靡(いんび)さに酔いしれた。
僕は普段は高潔なる輝きが宿っている彼の瞳に、恍惚(こうこつ)とした色や情欲に濡れ更なる情交を求める意志を読みとるときがこの上なく好きだった。
その時なら、彼に何でも与えてやりたくなるほどに。
初恋のような初々しさと堕落した悦び。
それ以上に純粋な幸福が二人の間に存在していた。
しかし、国家に属するものの定めとでも言おうか。
僕らは、僕らの意志とは関係なく、僕は日本、彼はドイツへと離れることになってしまった。
僕はこの時、何故かそれも悪くないと思った。
彼が、僕と離れても、僕を愛し続けているだろうという自信があったこと。
そして、恋人同士は離れて、更に愛情を深めるものだ、とまことしやかにのたまわれているから、自分たちもそうなるだろうと思ったこと、がその理由だった。
しかし、僕は一つだけ失念していたのだ。
僕らの別れに、誰も期限を設けていなかったことを。
この時の失態に僕が後悔したのは、数年後、彼の免官の知らせを聞いたときだった。
”太田が舞姫を手当たり次第にもてあそんでいる”
まさか、と思った。
あの消極的な彼がそんな積極的になれるはずもないし、彼には女性経験が皆無のはずだ。
それなのに、そんな世慣れた男がするような真似をするはずがない。
もしあり得たとしても、それはおそらく見目麗しい舞姫の媚態(びたい)やいじらしさに心動かされたか、肉体的な淋しさにちょうどその女がつけ込んでくるくらいであろう。
どちらにしても、それは僕の責任だった。
安易に彼を放り出してしまった僕の罪なのだ。
…罪は、償わねばならない。
作品名:Effects&Truth 作家名:狭霧セイ