【ポケモン】雪がふること
深く眠ることができなかったのはコーヒーの所為ではなかったのかもしれない。
音を聞いたのはまどろみの中だった。こつん、と何かがぶつかる鈍い音がしていた。なんなのだろう。リザードンの炎があるお陰で、部屋の中は形を辿れるくらいの光量がある。クッションの上に頭を乗せて眠っているラプラス。背中の花を葉で包むようにして休んでいるフシギバナ。殻にこもっているカメックス。鼾をかいているカビゴンの大きな足。そして丸まっているピカチュウの横には、寝袋にすっぽりと入っている彼が。表情は伺えないが、胸の辺りがゆっくりと上下しているので深く眠っているのが分かる。
それから―――。
(―――……影?)
ほんの僅かあった眠気らしきものが吹き飛んだ。
彼のポケモン達の影とは別に、ひとつだけゆらゆらと不自然に揺らめいている。まるで黒い焔のようだった。息を殺してじっとしたまま、目を凝らす。紛れてしまいそうな何かは、けしてわたしの見間違いなどではなかった。その何かはひとのかたちに近い。頭部の一部分だけが白く、僅かな光を受けてそこだけがやけにくっきりとなびいているのが見えた。わたしには背を向けて、―――彼の顔を、覗き込んでいるらしい。
緊張で指が強ばっている。傍のモンスターボールに手を伸ばすべきか否か、わたしは躊躇う。
「………!!」
視線に気づいたのだろうか、その影らしきものが振り向いた。そのいきものの眼が、こちらを無感動に見返している。縦に長く伸びた珍しい虹彩。わたしはそれを見たことがなかった。白と黒の身体に一筋、血潮を思わせる赤が引かれている。
そのいきものは、重さを感じさせないふうわりとした動きでこちらに近づいてきた。ぎゅ、と手元のモンスターボールを握る。普通の攻撃が効くとも思えなかったが。
そのいきものはこちらを見て首を傾げていた。……どこかおっとりとした仕草は、どことなしに見覚えがあった。わたしはこのいきものを知らないはずなのに。
風もないのに、その身体は不安定に揺らめいている。すう、とゆっくり手が伸ばされて、わたしは今度こそ開閉スイッチを押した。出てくるなり即座に臨戦態勢に入ったガブリアスが、牙をむいて威嚇する。手を退いたそのいきものは、戸惑うように身体を揺らした。―――臨戦態勢に入ったのは、わたしのガブリアスだけではなかったのだ。異常に目を覚ました彼のポケモン達が、そのいきものを四方から睨みつけていた。構えているリザードンの炎が先程よりも明るく燃え上がっているので、そのいきものの全体を見ることができた。……影そのもののような身体は、灯りに負けて今にも消え入ってしまいそうだった。
ふらふらと頼りなく揺れる。縋るように、視線が揺れる。わたしに。ガブリアスに。彼のポケモン達に。それから、―――目を覚ました彼に。
彼は驚きに目を見張っていた。ここに来てから初めてと言っていいほどの感情の発露だった。そのいきものの、みどりいろのひとみが彼の姿を捉える。
―――……夢じゃなかった?
ちいさな呟きが聞こえた。
いきものはぶるぶると大きく震えた。一瞬、恐ろしく身体が膨れ上がった気がした。ポケモン達が身を低く屈めて構える。攻撃してくるかと思われたいきものは、苦しげに身を捩るとそのまま影の中に溶け込んで見えなくなった。
作品名:【ポケモン】雪がふること 作家名:ケマリ