観照は明神に在り
"観照は明神に在り "
銀時には親がいない。
いや、たぶん流石に木の股からは生まれていないだろうから、いたのだろう。
ただし思い出せる「最初」は戦場だ。
その次が、松陽だ。
たぶん、初めて見た、「人」だ。
戦場で食料を漁り、被服を漁り、武器を漁り、放置された幕や旗を漁って、山の虚で暖を辛うじてとって生き繋いだ。
言葉はどうして知っていたのか。
思い出せないし、たぶん思い出さないほうがいい。
自分を捨てた奴が喋っていたのを憶えたのかも知れないし、迫害されたときに憶えたのかも知れない。
戦場の言葉は良く知っていたけど、あのとき松陽のような柔らかい言葉をどうして理解できたのか、未だに分からない。
とにかく、戦人というのは獣の一種だと思っていたし、村人などは銀時を見て叫びを上げるか逃げ出すか、はたまた追いかけてくるか無視するかの輩ばかりだったから、まとめて「ちがうもの」だと思っていた。
自分とは、違うもの。
長じて、それは「敵」じゃないかと高杉に鼻で笑われた。
言われれば、そうかもしれないと思った。
ふらりと寄ってきた松陽は初めて見た、話しかけ、手を差し伸べた、生きた「人」だった。
人なら戦場にたくさんいただろうと、後に思って、やはり違うと考え直した。
死体は、ただのモノだ。
誰が、どんな死に方をしても。
松陽だとて、それはそうなのだ。
ただ、それは戦場と違って、とても静かな死に方だった。
松陽は連れて行かれた。
帰ってこられないと、理解していた者、信じたくなかった者がほとんどの中で、銀時は少数派の理解できない者だった。
それなりに力あるものが、松陽のために駆け回っているのは知っていたけど。
塾生の多くが心配し、時に涙し、頭を抱えていたのも見ていたけど。
今までだって、仕事とやらで家を空けることがあったのだからと気にしなかった。
いつもははっきり塾を閉めると明言していたのが、今回だけ無いなと気付いて違和感があったけれど。
手紙は、二度来た。
一度目の手紙はうまく文字の読めない銀時が、誰かに読んでもらうことを意識して、堅苦しいものだった。
二度目の手紙がきた頃は、いくら学が無くとも桂がお節介を発揮して仮名を読めるくらいになっていた。
松陽は桂の手紙でそれを知って喜んでいた。
手紙は読みやすい簡単な言葉が並んでいた。
それから、脈絡の無い、詫びも。
どっちも似合わないと思った。
それより、頭を撫でて欲しかった。
慣れるとあれは意外ときもちがいいから。
三度目の手紙は無かった。
辞世の句だと、書き付けられた紙が、塾に持ち込まれただけだった。
それを、塾生全てが集まって、見た。
意味がわからなかった。
まず、辞世の句がわからなかった。
なんだそれ、と確か言ったと思う。
桂が、つっかえつっかえ、死に際に残す最後の言葉だと言った。
そのときさえ、ならまだ松陽は生きているのかと思った。
人は死ぬとき、言葉なんか残さない。
叫んで果てるだけだと銀時は見慣れていた。
もう死んだんだ、と高杉が吐き捨てて、ええ?ともう一度紙を見た。
字は確かに松陽の字ではなかった。
(あとで知ったが、それは書付を持ち込んだ高杉の字だったそうだ。)
でも言葉を残せるなら、まだ生きているんじゃないのか?
その疑問は、口には出来なかった。
皆、泣いていた。
死体も見ていないのに。
そんな、他人が書いた言葉だけで。
辞世の句、とやらがある時点で、死んだのだと決まっていることは何となくわかった。
けれど、死体が目の前にあるわけじゃないのに、どうして死んだと受け入れられるのか、わからなかった。
悪いことをすれば、叱られた。
罰も与えられた。
松陽に、人の間に生きることは、そういうルールを守ることですと教えられた。
動物じゃないんだから、思うとおりに生きるにしても、ルールを守って生きなくてはいけないと。
松陽が、何かルールを破ったから連れて行かれたとは聞いていないし、死ななければならないようなことをしたとも聞いていなかった。
こんな理不尽なことがあるかと、叫んだのは誰だったか。
桂だったか高杉だったか、思い出せない。
それより、これは理不尽というものだと知って衝撃を受けた。
松陽の元で、こんな納得のいかないことは受けたことが無かった。
ルールや約束を破ったら、罰が与えられた。
何もしなければ、何も無かった。
耳学問でもいいから学べば寝屋を与えられ、食い扶持が欲しければ畑で働き、遊んだ分は忙しく雑事をこなした。
全て、等しかった。簡単な、足し算引き算だった。
嫌いな人間がいれば、嫌いと言う。
間違っていれば、誤りだと指摘する。
それは、正しければ褒めるのと同じくらい、好きな人間に好きだというのと同じくらい真っ当で、銀時は照れくさくて出来ないそれを松陽は当然としていた。
そのくせ、本当は時々こっそり恥ずかしがってもいて、からかったりもしたけれど銀時は好いていた。
そう、好いていたのだ。
その好いていた人間が、もういない。生きていない。モノになった。
なぜ?
嫌いな人間を嫌いと言ったから。
死んじまえと、銀時がケンカで言うくらい簡単な言葉を言ったから。
間違っていると告げて、その指摘を無視されて、そのくせ気に食わないのか害されて。
正面から何処が間違っているのか聞きもせず、ただ嫌がらせをするだけの意気地なしが嫌いだと。
とどの詰まりはそれっだけ。
それっだけで、松陽は死なねばならなくなった。
そうして死んでしまった。
それは、死なねばならないほどか?
誰も死んでいないのに。
松陽以外、誰も死んでいないのに。
『観照は明神に在り』
私が正しいかどうかは、神様だけが知っている。
辞世の句の意味は、そういう意味だと聞いた。
******************
「ヅラァ、お前、あれ読んで、何で泣いたんだったっけ?」
「桂だ。・・・嫌なことを思い出させるな。」
桂には後日の戦線であの言葉について意見を交わしたとき、銀時や高杉に散々からかわれた記憶が強いのだろう。
顔を歪めて、それでも律儀に答えるのが桂小太郎だ。
「・・・なんて先生らしい、自信に溢れた言葉だろうと、思ったんだ。
だからこそ、道半ばであんなことになって、無念だろうと。」
「無念かねえ。あの世で指差して笑ってやろう宣言だとしか聞こえねえって、その解釈。」
「・・・・それこそ高杉の解釈ではないか。」
「ん、そうだったっけ、あれインパクトあったわ。」
ぼへら、と表情の浮かばない顔でインパクトも何もあったもんじゃないと桂は苦笑した。
高杉は、あの時世の句を鼻で笑った。
『俺に言わせりゃ、生意気な言い草だなァ。』
桂は怒ったし、銀時は呆気に取られた。
松陽が生意気と評されるのは初めてだったし、そう評する人間がいることも驚いた。
更に言えば、お前より生意気な人間いないだろが、と誰もが思う高杉が言う辺りに呆気に取られた。
なるほど高杉はそこらへんで松陽を師と仰いだのか、と間違った感想も銀時は抱いた。
「オレはな、最近になって思うわけよ。
あれ、疲れたわーっつー宣言じゃねえのかね、って。」
桂が怪訝な顔をしている。見てないけれど、銀時はそれがわかった。
銀時には親がいない。
いや、たぶん流石に木の股からは生まれていないだろうから、いたのだろう。
ただし思い出せる「最初」は戦場だ。
その次が、松陽だ。
たぶん、初めて見た、「人」だ。
戦場で食料を漁り、被服を漁り、武器を漁り、放置された幕や旗を漁って、山の虚で暖を辛うじてとって生き繋いだ。
言葉はどうして知っていたのか。
思い出せないし、たぶん思い出さないほうがいい。
自分を捨てた奴が喋っていたのを憶えたのかも知れないし、迫害されたときに憶えたのかも知れない。
戦場の言葉は良く知っていたけど、あのとき松陽のような柔らかい言葉をどうして理解できたのか、未だに分からない。
とにかく、戦人というのは獣の一種だと思っていたし、村人などは銀時を見て叫びを上げるか逃げ出すか、はたまた追いかけてくるか無視するかの輩ばかりだったから、まとめて「ちがうもの」だと思っていた。
自分とは、違うもの。
長じて、それは「敵」じゃないかと高杉に鼻で笑われた。
言われれば、そうかもしれないと思った。
ふらりと寄ってきた松陽は初めて見た、話しかけ、手を差し伸べた、生きた「人」だった。
人なら戦場にたくさんいただろうと、後に思って、やはり違うと考え直した。
死体は、ただのモノだ。
誰が、どんな死に方をしても。
松陽だとて、それはそうなのだ。
ただ、それは戦場と違って、とても静かな死に方だった。
松陽は連れて行かれた。
帰ってこられないと、理解していた者、信じたくなかった者がほとんどの中で、銀時は少数派の理解できない者だった。
それなりに力あるものが、松陽のために駆け回っているのは知っていたけど。
塾生の多くが心配し、時に涙し、頭を抱えていたのも見ていたけど。
今までだって、仕事とやらで家を空けることがあったのだからと気にしなかった。
いつもははっきり塾を閉めると明言していたのが、今回だけ無いなと気付いて違和感があったけれど。
手紙は、二度来た。
一度目の手紙はうまく文字の読めない銀時が、誰かに読んでもらうことを意識して、堅苦しいものだった。
二度目の手紙がきた頃は、いくら学が無くとも桂がお節介を発揮して仮名を読めるくらいになっていた。
松陽は桂の手紙でそれを知って喜んでいた。
手紙は読みやすい簡単な言葉が並んでいた。
それから、脈絡の無い、詫びも。
どっちも似合わないと思った。
それより、頭を撫でて欲しかった。
慣れるとあれは意外ときもちがいいから。
三度目の手紙は無かった。
辞世の句だと、書き付けられた紙が、塾に持ち込まれただけだった。
それを、塾生全てが集まって、見た。
意味がわからなかった。
まず、辞世の句がわからなかった。
なんだそれ、と確か言ったと思う。
桂が、つっかえつっかえ、死に際に残す最後の言葉だと言った。
そのときさえ、ならまだ松陽は生きているのかと思った。
人は死ぬとき、言葉なんか残さない。
叫んで果てるだけだと銀時は見慣れていた。
もう死んだんだ、と高杉が吐き捨てて、ええ?ともう一度紙を見た。
字は確かに松陽の字ではなかった。
(あとで知ったが、それは書付を持ち込んだ高杉の字だったそうだ。)
でも言葉を残せるなら、まだ生きているんじゃないのか?
その疑問は、口には出来なかった。
皆、泣いていた。
死体も見ていないのに。
そんな、他人が書いた言葉だけで。
辞世の句、とやらがある時点で、死んだのだと決まっていることは何となくわかった。
けれど、死体が目の前にあるわけじゃないのに、どうして死んだと受け入れられるのか、わからなかった。
悪いことをすれば、叱られた。
罰も与えられた。
松陽に、人の間に生きることは、そういうルールを守ることですと教えられた。
動物じゃないんだから、思うとおりに生きるにしても、ルールを守って生きなくてはいけないと。
松陽が、何かルールを破ったから連れて行かれたとは聞いていないし、死ななければならないようなことをしたとも聞いていなかった。
こんな理不尽なことがあるかと、叫んだのは誰だったか。
桂だったか高杉だったか、思い出せない。
それより、これは理不尽というものだと知って衝撃を受けた。
松陽の元で、こんな納得のいかないことは受けたことが無かった。
ルールや約束を破ったら、罰が与えられた。
何もしなければ、何も無かった。
耳学問でもいいから学べば寝屋を与えられ、食い扶持が欲しければ畑で働き、遊んだ分は忙しく雑事をこなした。
全て、等しかった。簡単な、足し算引き算だった。
嫌いな人間がいれば、嫌いと言う。
間違っていれば、誤りだと指摘する。
それは、正しければ褒めるのと同じくらい、好きな人間に好きだというのと同じくらい真っ当で、銀時は照れくさくて出来ないそれを松陽は当然としていた。
そのくせ、本当は時々こっそり恥ずかしがってもいて、からかったりもしたけれど銀時は好いていた。
そう、好いていたのだ。
その好いていた人間が、もういない。生きていない。モノになった。
なぜ?
嫌いな人間を嫌いと言ったから。
死んじまえと、銀時がケンカで言うくらい簡単な言葉を言ったから。
間違っていると告げて、その指摘を無視されて、そのくせ気に食わないのか害されて。
正面から何処が間違っているのか聞きもせず、ただ嫌がらせをするだけの意気地なしが嫌いだと。
とどの詰まりはそれっだけ。
それっだけで、松陽は死なねばならなくなった。
そうして死んでしまった。
それは、死なねばならないほどか?
誰も死んでいないのに。
松陽以外、誰も死んでいないのに。
『観照は明神に在り』
私が正しいかどうかは、神様だけが知っている。
辞世の句の意味は、そういう意味だと聞いた。
******************
「ヅラァ、お前、あれ読んで、何で泣いたんだったっけ?」
「桂だ。・・・嫌なことを思い出させるな。」
桂には後日の戦線であの言葉について意見を交わしたとき、銀時や高杉に散々からかわれた記憶が強いのだろう。
顔を歪めて、それでも律儀に答えるのが桂小太郎だ。
「・・・なんて先生らしい、自信に溢れた言葉だろうと、思ったんだ。
だからこそ、道半ばであんなことになって、無念だろうと。」
「無念かねえ。あの世で指差して笑ってやろう宣言だとしか聞こえねえって、その解釈。」
「・・・・それこそ高杉の解釈ではないか。」
「ん、そうだったっけ、あれインパクトあったわ。」
ぼへら、と表情の浮かばない顔でインパクトも何もあったもんじゃないと桂は苦笑した。
高杉は、あの時世の句を鼻で笑った。
『俺に言わせりゃ、生意気な言い草だなァ。』
桂は怒ったし、銀時は呆気に取られた。
松陽が生意気と評されるのは初めてだったし、そう評する人間がいることも驚いた。
更に言えば、お前より生意気な人間いないだろが、と誰もが思う高杉が言う辺りに呆気に取られた。
なるほど高杉はそこらへんで松陽を師と仰いだのか、と間違った感想も銀時は抱いた。
「オレはな、最近になって思うわけよ。
あれ、疲れたわーっつー宣言じゃねえのかね、って。」
桂が怪訝な顔をしている。見てないけれど、銀時はそれがわかった。