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ファンタジックチルドレン

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 私は懸命に少年の名を呼んだ。獣の瞳に涙は流せなくとも、心はぼろぼろに泣いていた。隣で狂ったように吼える獣に、少年は一瞬だけ目を向けたけれど、すぐに顔を伏せて絶望の淵に戻っていってしまった。溢れる涙が止まらない。絶望が止まらない。獣の自分では哀しみを抑えてあげる事ができない。
 やはり駄目なのだ。この足では、彼を抱き締めてあげられない。ヒトの言葉を紡げなければ、どんなに想っていても気持ちを伝える事は出来ない。元より動物はヒトよりも短命なのだから、私が消えればまた彼に寂しい思いをさせてしまう事は明白だった。
(このままは、駄目です……)
 私は懊悩した。このままだったら、私は彼の負担にしかならない。一時的に寄り添っていられる間は孤独を癒してあげられるかも知れないけれど、それはほんの一時の幸せでしかない。私が死ぬたびに彼は苦しんで、傷付いて、そして少しずつ壊れていってしまうのだ。
 彼と同じにならなければいけない。
 漠然とした思考が脳裏に浮上し、私はハッとした。
 私も彼と同じ、時を経ても変わらない肉体を持つ、ヒトでも動植物でもない、象徴と言う存在に。
 国になる事でしか、彼と永い時を共に過ごす術は無かった。
(…………)
 私はとある決心をした。
 私の前の肉体。
 つい先刻、少年の家である大陸から切り離されて遠く流れてしまった大地の欠片。
 その肉体が還った土の中に、魂ごと宿る事は出来ないだろうか。
 そうやって少しずつ大地と同化し、息を吹き込んでいけば、いつかその場所に命が宿り、動植物たちが生まれ、ヒトが進化し、文明が発達していく。そうしたらその場所に国が生まれて、少年と同じ立場になれるかもしれない。
 突拍子も無い空想だったけれど、小さな可能性が芽生えた事に私の胸は熱くなった。
(待っていて下さい。必ず生まれ変わって見せます)
 どれだけ時間が掛かるかは解からない。もしかしたら永い年月のうちに記憶は薄れ、感情は希薄になり、この思考をうまく保つ事は出来なくなるかもしれない。けれど、魂に深く刻み込まれた情報だけは、どれだけ時を経ても絶対に忘れる事はないと思った。
 ――生まれ変わって、また、会いに来ますから。
 決心が鈍らないうちに、風に逆らっててくてくと前に進み、荒れ狂う濁流と化している真っ暗闇の海の中へ自ら飛び込んだ。荒れ果てた黒い渦の中にパシャンと水音が上がる。
「なっ……」
 背後から少年の驚愕に満ちた悲鳴が聞こえた。
「馬鹿な……戻ってくるある!」
 今度は少年が必死になって私に向かい、手を伸ばそうとしてくれた。でも、もう遅い。一度飲み込まれてしまえば、もう二度と濁流からは戻れない。だったらせめて、少しでも離れてしまった島に近付きたいと思った。
「いやある……違うある! 我はそんな意味で言ったんじゃねぇあるのに……!」
 少年は大地を取り戻したいと泣いたから、だから私が島を追い掛ける為に飛び込んだと思っているらしかった。
 違います、と私は吼える。
 私は、私を貴方の元に還すために、自分の肉体を追い掛けているだけなのです。流されていった大陸の欠片と同じ海流に乗れば、きっと追いつけるはずだから。もう一度あの大地に宿って、私もきっと国になってみせます。
 あなたの為に出来る、唯一の事。
 決してあなたを哀しませようとしているのではありません。
 あなたに笑ってほしくて、喜んでほしくて、だから私は行かなくてはいけないのです。
 しかしどれだけ吼えても、彼に伝わる事はない。私のこの行為は、彼にしてみれば裏切りの愚行にしか映らないのだ。
「いやある! 何故お前まで行ってしまうあるか! お前まで我を独りにするあるか……っ!」
 後ろから追い掛けてきた絶叫にハッとなる。
 後ろを振り返ると、彼は横殴りの雨に全身を打たれ、荒れた大地の上に伏し、顔中を泥だらけにして泣いていた。彼は広い大陸にたった一人ぼっちだった。その姿を見た私は、胸に刃を突き立てられたような罪悪感に襲われる。
 ごめんなさい、やおさん。今はあなたをおいていく私を許して。
 必ず戻ってくるから。今度こそ、私は必ず、あなたを孤独にはしないから。
 だから、お願いです。私を忘れないで……どうか待っていてください……。
 肺が海水で満たされていく苦しみの中で、私は少年の事だけを只管に強く、強く、祈り続けた。
 あなたをあいしています。
 あいしています。
 次に覚醒した時は、私は必ず、あなたを……。




 生まれたばかりの小さな中国は孤独で、広い広い大陸に同士はおらず、いつも寂しくて泣いていました。
 ある日、中国は一人の男の子と友達になりますが、彼はどんどん大人に成長してしまいます。
 青年の姿になった男の子は変わらずに小さいままの中国を愛しましたが、あまり丈夫な体を持っていなかった彼は「生まれ変わってまた会いに来ますから」と言い残して死んでしまいました。
 中国は嘆き哀しみ、男の子との思い出の場所である海辺の丘に彼の亡骸を埋めます。しかし嵐の夜、中国の家は分断して、男の子のお墓ごと海に流れてしまいました。
 中国は精一杯手を伸ばしましたが、泣いて、泣いて、溢れる涙でどんどん男の子のお墓は流されてしまいます。置いていかれた…。二重の意味で孤独になった中国は、それからすっかり心を閉ざしてしまいました。
 数千年後、中国は大人の姿に成長していました。相変わらず孤独でしたが、強い心を身に付けていました。あれからずっと一人で生きてきたのです。もう孤独なんて慣れっこでした。男の子との約束もとうに忘れていました。
 ある日、同じ海域に新しい国が生まれたと聞き、興味本位で覗きに行きます。すると、そこには薄れ掛けた思い出の中の姿のままの、あの男の子がいました。
「今度こそ、あなたを独りぼっちにしません」
 中国の事を心から愛していた男の子は、数千年の時を経て大地と同化を果たし、日本という国に生まれ変わっていたのでした。
 中国の瞳から、あの嵐の夜以来の涙が溢れだします。あの時届かなかった手が、今漸く彼に届きました。
 そうして中国の長い孤独は終わりを告げ、日本と末永く幸せに暮らしたのでした。