宵待奇譚
序
新月の夜だった。どこからか時鳥の啼き声が聞こえ、漆黒の闇に消える。空は墨を塗り込めたかのように真っ暗で、底の知れないその闇に吸い込まれそうなほどである。
その空を静かに見上げてから、久々知はすうっと襖を閉じる。かすかに吹き込んでいた風が遮られ、部屋の中には湿った空気が淀んだ。青い紙を張った行燈の光が、部屋の中を煌々と照らしている。
「で、これからどうするって?」
いぶかしげに尋ねる竹谷に、暗がりの中からぬうっと三郎が現れて答えた。
「怪談をするのさ」
思わず驚いてのけぞる竹谷を尻目に、三郎はさも当然といった風に答える。そうして行燈を覗き込んで、よしと満足そうに頷いた。行燈の中には、四筋の灯心が入れられ、異様なほどに激しく燃えている。それを横から覗きこんで、久々知がいぶかしげに言った。
「一度にこんなたくさんの灯心を入れてどうするんだ。油がもったいない」
「だから言っただろう。これは儀式なんだよ」
にやにや笑いながら、三郎は言う。
「ひとりが怪談を話し終わるたびに、ひとつずつ消していく。そうしてすべての火が消えた時に…」
「消えた時に?」
「どうなるんだろうな?」
期待のこもった目で尋ねた雷蔵に、三郎はこれまた疑問で答える。顔を見合わせて首をかしげ、笑いだすふたりに、おい、と竹谷が口をはさんだ。
「お前もわからないのかよ」
「まあな。この前、旅の僧から聞いたのさ。面白そうだと思って」
本当は百人でやるらしいけど、そんなの面倒だろ?と言って、三郎は不敵に笑う。
「怖いなら、帰ってもいいんだぜ?八左ヱ門君」
言われた竹谷はむっとすると、別に怖くはねえよと文句を言う。その横で、けど、と久々知が言った。
「怪談って言ったって、何の話をするんだ?俺、幽霊なんて見たことないけど」
「別に幽霊譚じゃなくていいのさ。ちょっと不思議な話でも、ぞっとするような本当の話でも。お前たちも忍者のはしくれなら、そんな話いくらでもあるだろう?」
挑むように三郎にそう言われて、他の三人は黙り込む。しばらくの沈黙のあと、三郎が冗談だとでも言うように首をすくめた。
「別にお前たちの秘密を話せなんて言っちゃいないさ。この歳まで忍者の真似ごとをやってきたんだ。誰だって話したくないことの一つや二つあるだろう」
そう言って、三郎は人差し指をすっと顔の前に立てる。
「話すことは別になんでもいい。人から聞いた話でも、学園の噂でも。話し終わるごとに、灯心を一筋ずつ消していく。それだけだ」
「なんでもいい、ねえ…」
「ええ、どうしよう」
考え込む竹谷と雷蔵を前にして、三郎がにやにや笑う。その様子を黙って見ていた久々知が、ならばと口を開いた。
「初めにお前が話せばいい、三郎。俺たちには勝手がよくわからないし」
それを聞いて三郎は、一瞬つまらなさそうな顔になる。けれど、周囲の顔をぐるりと見渡して、同意するようなその表情に、やれやれとため息をついた。
「仕方がない。なら私が一番手だ」
そう言うと、投げ出していた足を組み直し、座の上に座り直す。行燈の光が少し揺らいで、その顔を怪しく照らす。
「さて、じゃあ始めようか。いつのころか、どこのことかも定かではないこの話…」
そうして三郎が語り出すのは、どこかの誰かによく似た妖怪が出てくる不思議な話。嘘か真か。夢か現か。風もないのに、明かりがひときわ大きく揺れて、ジジ、と小さな音を立てた。
怪を話さば怪異至る。他生の縁なれば、我がもろともに。今宵の月待ちのほどをなぐさむ、巡物語せり。
新月の夜だった。どこからか時鳥の啼き声が聞こえ、漆黒の闇に消える。空は墨を塗り込めたかのように真っ暗で、底の知れないその闇に吸い込まれそうなほどである。
その空を静かに見上げてから、久々知はすうっと襖を閉じる。かすかに吹き込んでいた風が遮られ、部屋の中には湿った空気が淀んだ。青い紙を張った行燈の光が、部屋の中を煌々と照らしている。
「で、これからどうするって?」
いぶかしげに尋ねる竹谷に、暗がりの中からぬうっと三郎が現れて答えた。
「怪談をするのさ」
思わず驚いてのけぞる竹谷を尻目に、三郎はさも当然といった風に答える。そうして行燈を覗き込んで、よしと満足そうに頷いた。行燈の中には、四筋の灯心が入れられ、異様なほどに激しく燃えている。それを横から覗きこんで、久々知がいぶかしげに言った。
「一度にこんなたくさんの灯心を入れてどうするんだ。油がもったいない」
「だから言っただろう。これは儀式なんだよ」
にやにや笑いながら、三郎は言う。
「ひとりが怪談を話し終わるたびに、ひとつずつ消していく。そうしてすべての火が消えた時に…」
「消えた時に?」
「どうなるんだろうな?」
期待のこもった目で尋ねた雷蔵に、三郎はこれまた疑問で答える。顔を見合わせて首をかしげ、笑いだすふたりに、おい、と竹谷が口をはさんだ。
「お前もわからないのかよ」
「まあな。この前、旅の僧から聞いたのさ。面白そうだと思って」
本当は百人でやるらしいけど、そんなの面倒だろ?と言って、三郎は不敵に笑う。
「怖いなら、帰ってもいいんだぜ?八左ヱ門君」
言われた竹谷はむっとすると、別に怖くはねえよと文句を言う。その横で、けど、と久々知が言った。
「怪談って言ったって、何の話をするんだ?俺、幽霊なんて見たことないけど」
「別に幽霊譚じゃなくていいのさ。ちょっと不思議な話でも、ぞっとするような本当の話でも。お前たちも忍者のはしくれなら、そんな話いくらでもあるだろう?」
挑むように三郎にそう言われて、他の三人は黙り込む。しばらくの沈黙のあと、三郎が冗談だとでも言うように首をすくめた。
「別にお前たちの秘密を話せなんて言っちゃいないさ。この歳まで忍者の真似ごとをやってきたんだ。誰だって話したくないことの一つや二つあるだろう」
そう言って、三郎は人差し指をすっと顔の前に立てる。
「話すことは別になんでもいい。人から聞いた話でも、学園の噂でも。話し終わるごとに、灯心を一筋ずつ消していく。それだけだ」
「なんでもいい、ねえ…」
「ええ、どうしよう」
考え込む竹谷と雷蔵を前にして、三郎がにやにや笑う。その様子を黙って見ていた久々知が、ならばと口を開いた。
「初めにお前が話せばいい、三郎。俺たちには勝手がよくわからないし」
それを聞いて三郎は、一瞬つまらなさそうな顔になる。けれど、周囲の顔をぐるりと見渡して、同意するようなその表情に、やれやれとため息をついた。
「仕方がない。なら私が一番手だ」
そう言うと、投げ出していた足を組み直し、座の上に座り直す。行燈の光が少し揺らいで、その顔を怪しく照らす。
「さて、じゃあ始めようか。いつのころか、どこのことかも定かではないこの話…」
そうして三郎が語り出すのは、どこかの誰かによく似た妖怪が出てくる不思議な話。嘘か真か。夢か現か。風もないのに、明かりがひときわ大きく揺れて、ジジ、と小さな音を立てた。
怪を話さば怪異至る。他生の縁なれば、我がもろともに。今宵の月待ちのほどをなぐさむ、巡物語せり。