最後の夜は僕に唄を
いつもなら暗くなる前に終わる火薬委員の活動が、珍しく長引いた。それというのも、急な火薬の出庫があって委員全員が確認に追われているうちに、いつのまにか帳簿が二重に記録されてしまっていたからである。帳簿を見直し終わって借りていた空き教室を出たころには、もう夜もすっかり更けていた。刃のように鋭くなった晦の月が僅かな光を放っている。
「なんか、今日は珍しいことばっかり起きるなぁ」
帳簿を抱えて焔硝蔵に向かいながら、えへへ、と嬉しそうに笑うタカ丸を、久々知が少し気味悪げに見上げる。
「そんなに変わったことがあったか」
「あったよぉ、昼からいっぱい」
今日一日を思い出そうと、タカ丸は少し眉根を寄せる。
「まず、昼に学園長先生に呼ばれた」
「あんたは入学したころからしょっちゅう呼ばれてただろう」
そんなに珍しくもない、と言われて、タカ丸はそうだっけと思い返す。確かにしょっちゅう呼び出しを受けていたようにも思うが、入学したころは生活全体がばたばたと落ち着かなかったという印象しかないため、あまり記憶にない。そもそもタカ丸は、過ぎたことはあまり振り返らない主義なのだ。
「じゃあ次ね。合同の授業で滝夜叉丸と三木ヱ門が喧嘩をしなかった」
「四年にもなって顔を合わせるたびに喧嘩をするほうがおかしいだろう」
あの二人の場合はそうでもないんだけどな、と思いながら、タカ丸は続ける。
「でもね、代わりに綾部が滝夜叉丸と言い合いになった」
「まあたまには口論くらいするだろう」
「兵助くん、さっきと言ってること違くない?」
「顔を合わせるたびに毎回諍いを起こすならおかしいが、時々は仲違いすることもあるだろうと言ってるんだ。綾部と滝夜叉丸だって、今までもタカ丸さんの知らないところで言い争いになることぐらいあったんじゃないのか」
そんなものだろうか。むしろ今回の場合、他の人間の目の前にも関わらず諍いになったということが問題なのではないかと思うのだが。
「まぁいいや、それで次ね。委員会に来たら伊助ちゃんが風邪をひいていた」
「まぁ季節の変わり目だし。安静にしていれば治るだろうけど」
それにしても心配なことに変わりはない。昼間、委員会に出ると言い張るのを長屋の布団に押し込んできたから、まぁ大丈夫だろうけれど。長屋から戻るときに、「甘酒でも持っていってあげようか」と言ったら、なぜか全員からいやな顔をされた。常識的に考えて、豆腐よりは体も温まるし喉も通りやすくていいのではないかと思うのだが。
「まぁ三郎次が保健委員連れて世話しに行ったみたいだし大丈夫だろう」
「それそれ、それも僕からすると今日の珍しい出来事の一つなんだよね」
「どのへんが」
「ふだんあんなに憎まれ口ばっかり叩いてる三郎次くんが素直に伊助ちゃんの心配をしている」
「そりゃあ三郎次だって後輩の心配くらいするだろう」
「でも風邪引きの後輩を心配する優しい先輩な三郎次くんって珍しくない?」
「そもそも風邪引きの後輩がそう度々現れるわけではないのでその場合に三郎次が優しくなることが珍しいかどうか検討ができない」
なんだか話がややこしくなってきたので、さっさと次の話題に移ることにする。
「次に珍しいことね。久々知くんと僕が二人だけで、しかもこんな夜更けに、委員会活動をしている」
「それは伊助が風邪をひいて、三郎次と土井先生がその世話に行ったからだ」
「まぁそうなんだけど。けど委員会のときに、こうやって久々知くんが僕のことをそれなりにあてにしてくれることが珍しい」
「別にタカ丸さんをあてにしてみんなを帰したわけじゃないけど」
うう手厳しい。まぁそんなことだろうとは思ったけど。
「けどタカ丸さん、意外と帳簿の計算速いね。もっと使えないかと思った」
わりとひどいです久々知先輩。
「あのね、僕が普段の委員会でいろいろ間違うのはですね、単に知らないことが多いからなんですよ。なんていうの、忍術学園での常識?みたいなものがわからないといいますか、そもそも火薬の種類と名前が一致しないといいますか…」
「自分が無知であることを知っているのはいいことじゃないか」
「ありがとう久々知先輩。…いやそうじゃなくてですね、とにかく帳簿を確認するとか、計算をするとか、そういう作業はできるんです。実家でもやってたし」
ああそうか、と、そこで久々知は初めて気がついたような顔をした。
「タカ丸さん、髪結いだもんな」
「今は忍者だけどね」
「けど、髪結いとしての技能があるのはいずれにしろいいことなんじゃないか」
お褒めの言葉ありがとうございます先輩。
「ところでこれも今日の珍しい出来事のひとつだと俺は思うんだけど」
「何が」
「久々知くんがいつもより俺に優しい」
暗闇の中を迷いなく進んでいた久々知の足がぴたりと止まった。少し振り向いた横顔が闇の中に白く浮かんで、タカ丸は、ああ久々知くんは色白だなぁと関係ないことをぼんやり考える。
「…そんなこと、ないと思うけど」
「大ありだよぉ。さっきもいっぱい褒めてくれたし。これってかなり珍しいと思うんですが」
ちょっと残念な事実ですがね、という台詞は自分の心の中に留めておくことにする。そんなタカ丸の心情にはお構いなく、久々知は何かを考えているふうであった。
「俺は、さっきまであんたが並べたててたことよりも、もっと珍しいことがあるような気がする」
独り言のように呟いて、ふと何かに思い当たったように顔をあげる。
「俺がいつもと違うとしたら、きっとそのせいだ」
そこまで言って、久々知はこちらに向き直る。それを見て、やっぱり久々知くんは肌が白いとタカ丸は思う。
「あんた、今日、なんかおかしいよ」
「なんか、今日は珍しいことばっかり起きるなぁ」
帳簿を抱えて焔硝蔵に向かいながら、えへへ、と嬉しそうに笑うタカ丸を、久々知が少し気味悪げに見上げる。
「そんなに変わったことがあったか」
「あったよぉ、昼からいっぱい」
今日一日を思い出そうと、タカ丸は少し眉根を寄せる。
「まず、昼に学園長先生に呼ばれた」
「あんたは入学したころからしょっちゅう呼ばれてただろう」
そんなに珍しくもない、と言われて、タカ丸はそうだっけと思い返す。確かにしょっちゅう呼び出しを受けていたようにも思うが、入学したころは生活全体がばたばたと落ち着かなかったという印象しかないため、あまり記憶にない。そもそもタカ丸は、過ぎたことはあまり振り返らない主義なのだ。
「じゃあ次ね。合同の授業で滝夜叉丸と三木ヱ門が喧嘩をしなかった」
「四年にもなって顔を合わせるたびに喧嘩をするほうがおかしいだろう」
あの二人の場合はそうでもないんだけどな、と思いながら、タカ丸は続ける。
「でもね、代わりに綾部が滝夜叉丸と言い合いになった」
「まあたまには口論くらいするだろう」
「兵助くん、さっきと言ってること違くない?」
「顔を合わせるたびに毎回諍いを起こすならおかしいが、時々は仲違いすることもあるだろうと言ってるんだ。綾部と滝夜叉丸だって、今までもタカ丸さんの知らないところで言い争いになることぐらいあったんじゃないのか」
そんなものだろうか。むしろ今回の場合、他の人間の目の前にも関わらず諍いになったということが問題なのではないかと思うのだが。
「まぁいいや、それで次ね。委員会に来たら伊助ちゃんが風邪をひいていた」
「まぁ季節の変わり目だし。安静にしていれば治るだろうけど」
それにしても心配なことに変わりはない。昼間、委員会に出ると言い張るのを長屋の布団に押し込んできたから、まぁ大丈夫だろうけれど。長屋から戻るときに、「甘酒でも持っていってあげようか」と言ったら、なぜか全員からいやな顔をされた。常識的に考えて、豆腐よりは体も温まるし喉も通りやすくていいのではないかと思うのだが。
「まぁ三郎次が保健委員連れて世話しに行ったみたいだし大丈夫だろう」
「それそれ、それも僕からすると今日の珍しい出来事の一つなんだよね」
「どのへんが」
「ふだんあんなに憎まれ口ばっかり叩いてる三郎次くんが素直に伊助ちゃんの心配をしている」
「そりゃあ三郎次だって後輩の心配くらいするだろう」
「でも風邪引きの後輩を心配する優しい先輩な三郎次くんって珍しくない?」
「そもそも風邪引きの後輩がそう度々現れるわけではないのでその場合に三郎次が優しくなることが珍しいかどうか検討ができない」
なんだか話がややこしくなってきたので、さっさと次の話題に移ることにする。
「次に珍しいことね。久々知くんと僕が二人だけで、しかもこんな夜更けに、委員会活動をしている」
「それは伊助が風邪をひいて、三郎次と土井先生がその世話に行ったからだ」
「まぁそうなんだけど。けど委員会のときに、こうやって久々知くんが僕のことをそれなりにあてにしてくれることが珍しい」
「別にタカ丸さんをあてにしてみんなを帰したわけじゃないけど」
うう手厳しい。まぁそんなことだろうとは思ったけど。
「けどタカ丸さん、意外と帳簿の計算速いね。もっと使えないかと思った」
わりとひどいです久々知先輩。
「あのね、僕が普段の委員会でいろいろ間違うのはですね、単に知らないことが多いからなんですよ。なんていうの、忍術学園での常識?みたいなものがわからないといいますか、そもそも火薬の種類と名前が一致しないといいますか…」
「自分が無知であることを知っているのはいいことじゃないか」
「ありがとう久々知先輩。…いやそうじゃなくてですね、とにかく帳簿を確認するとか、計算をするとか、そういう作業はできるんです。実家でもやってたし」
ああそうか、と、そこで久々知は初めて気がついたような顔をした。
「タカ丸さん、髪結いだもんな」
「今は忍者だけどね」
「けど、髪結いとしての技能があるのはいずれにしろいいことなんじゃないか」
お褒めの言葉ありがとうございます先輩。
「ところでこれも今日の珍しい出来事のひとつだと俺は思うんだけど」
「何が」
「久々知くんがいつもより俺に優しい」
暗闇の中を迷いなく進んでいた久々知の足がぴたりと止まった。少し振り向いた横顔が闇の中に白く浮かんで、タカ丸は、ああ久々知くんは色白だなぁと関係ないことをぼんやり考える。
「…そんなこと、ないと思うけど」
「大ありだよぉ。さっきもいっぱい褒めてくれたし。これってかなり珍しいと思うんですが」
ちょっと残念な事実ですがね、という台詞は自分の心の中に留めておくことにする。そんなタカ丸の心情にはお構いなく、久々知は何かを考えているふうであった。
「俺は、さっきまであんたが並べたててたことよりも、もっと珍しいことがあるような気がする」
独り言のように呟いて、ふと何かに思い当たったように顔をあげる。
「俺がいつもと違うとしたら、きっとそのせいだ」
そこまで言って、久々知はこちらに向き直る。それを見て、やっぱり久々知くんは肌が白いとタカ丸は思う。
「あんた、今日、なんかおかしいよ」