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やさしい手

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夢と現実のあいだのあいまいで浅い眠りを貪っていたら、階下の柱時計がぼぉんと馬鹿でかい音で鳴り響いた。風早がどこかからもらってきたあの時計は、いつもやたらと大きな音で時を告げて那岐の眠りを妨げる。一気に眠りから起こされた那岐は、もう一度眠ろうと体勢を変えたところで、ふと枕元のデジタル時計に手を伸ばした。時刻は9時を過ぎたところで、那岐は枕に半分顔をうずめた姿勢のまま眉をしかめる。遠くの方から祭囃子が流れてきて、開けっぱなしの窓を通り抜けて那岐の耳に届いた。
 風早は学校の仕事で祭りの見回りに行っているらしい。もう一人の同居人、千尋は今頃クラスの友人と祭りを楽しんでいるところだろう。昼間教室で嬉しそうにそう話していた。
『俺が帰るのは夜中になりますが、もし千尋の帰りが遅くなるようなら、頼みますね』
 昼間風早に言われた言葉を思い出し、那岐はため息をつく。
 9時か。
 都会なら9時など夜のうちにも入らないのかもしれないが、このあたりでは十分「遅い」部類に含まれる時間だろう。
 ベッドの上で小さく伸びをして、目を閉じたまま那岐は考える。頭の中の天秤は、祭の夜に人混みに出かける面倒さと、風早のまわりくどい話を長々と聞かされるわずらわしさを量りにかけて、結局素直に千尋を迎えに行く方に傾いた。迎えに行って、さっさと帰ればいい。千尋のことだから、どうせ祭りに夢中で時間など忘れているだけだろうが、なにか厄介事に巻き込まれているのなら余計に面倒だ。
「……最近、多いしな」
 ぼそりと那岐は呟いて、緩慢な動作でベッドから起き上がる。脳裏をよぎるのは、影に紛れる異形。雷鳴のイメージと結びつけられた、この世界のものではない何か。
 何かが変わる予兆などとは、思いたくなかった。
 那岐は眠気と一緒に頭の中の考えを振り払うかのように乱暴に頭をかくと、家の鍵と財布だけをポケットにつっこんで部屋を出た。

 通りを曲がるごとに祭囃子の音は大きくなり、見上げる山の裾野には華やかな灯りに照らされた境内がぼんやりと浮かび上がって見えた。だらだらと歩いていた那岐は、不意に角から飛び出してきた小さな塊に驚いて、一瞬足を止める。塊はよく見れば小さな二人連れの子どもで、やたらと大きすぎるお端折りにふわふわとした兵児帯を巻いたその姿は、まるで色違いの金魚でも見ているかのようだった。走り去る二人の後ろ姿を無意識に見送った那岐の隣を、ゆっくりとした足取りで若い夫婦が歩いていく。さっきの子どもたちの親なのだろう。
 自分に親はいないけれど、胸をよぎるこの感情は、羨望とは少し違う。
 もう何年前のことだったか忘れたが、確か自分たちもああして祭に出かけたことがあった。風早がどこか近所からもらってきたというお下がりの浴衣を着て、千尋は心底嬉しそうに笑った。浴衣などめんどくさいだけだから逃げようと思った那岐も、風早と千尋があまりにもしつこく言うものだから、しぶしぶ従ったのだ。
 珍しくはしゃいだ様子の千尋に手を引かれて、あのときもこの道を駆け抜けた。
 あのときの浴衣は、どうしたのだろうか。風早のことだから、押入れの奥を探せばいまだに大事に取ってあるんじゃないかと思えた。もう自分たちの体は大きくなりすぎて、あんな小さな浴衣は意味をなさないのに。
 変わらないものなど、何もない。
 子どもたちの消えた先を見送って、那岐は反対側、祭囃子の鳴り響く方へと足を向ける。


 ああ、めんどくさいところに遭遇してしまった。
 半ば予想して諦めていたものの、目の前の光景に那岐はため息をつく。
 狭い境内を人の波を避けるようにして歩いていたら、境内のはずれ、木の茂った暗がりのあたりに、目的の人物を見つけた。近づいて声をかけようとして、そこに千尋以外の人物がいることに気づき、那岐は足を止めたのだ。
 千尋と一緒にいる男は、確か隣のクラスの男子だっただろうか。やたらと自分たちの教室に顔を出すので見覚えがあった。この距離ではわからないが、男はつっかえつっかえ、何事かを必死で千尋に話している。当の千尋は、表情一つ変えないまま黙ってそれを聞いていた。いや、あれは固まっていると言った方が正しいのか。
 なんてわかりやすくてめんどうな場面だろう。
 そのまま何も見なかったふりをして帰りたい衝動に駆られながらも、那岐はその場で成り行きを眺める。風が吹いて木々を鳴らし、祭の音を少し遠ざける。
 やがて少しの沈黙の後、千尋は小さく何かを告げると、静かに頭を下げた。男は一瞬落胆した表情を見せて、気を取り直したように笑うとその場を去る。
 やっと終わったか。
 少し間を置いてから、那岐はその場に一人立ちつくす千尋に後ろから声をかけた。
「千尋」
「……あれ、那岐。どうしたの?」
「どうしたもこうしたも。千尋を迎えに来たんだよ。先生の言いつけでね」
 千尋は少しほっとしたような顔をすると、小さな声で「さっきの、見てた?」と尋ねる。
「まあね。見たくもなかったけど」
 那岐が答えると、千尋は沈黙したまま少しうつむく。引き結んだその唇を見下ろしながら、那岐は千尋に尋ねた。
「それで、千尋は何て答えたの」
 うつむいたまま、千尋は呟いた。
「……わかりませんって、言った」
 片眉を上げた那岐を見上げて、千尋は困り果てた子どものような顔で言う。
「そういうの、まだわかりませんって。だから」
「だからごめんなさいって言ったわけ?」
 さいあくな答えだね。那岐の言葉を聞いて、千尋は少し怒ったような声で問い返す。
「じゃあ、那岐ならどう言うの」
「さあね。自分で考えなよ。少なくとも、千尋よりはましな答えができる」
 今にも泣き出しそうな顔をする千尋に背を向けて、那岐は歩きだした。3歩、歩いたところで、那岐は振り返らずに少し大きな声を出す。
「ほら、早く行くよ」
 背中の後ろで、千尋が戸惑ったように言うのが聞こえた。
「帰るの?」
「帰る前に、やることがあるだろ」
 そう言って、那岐は振り返る。きょとんとした千尋の顔が見えた。
「僕はさっき来たばっかりなんだ。お参りもせずに帰るわけにもいかないだろ」
 そう言って手を差し出すと、千尋は一瞬目を丸くして、そうしておかしそうに笑いながらその手を取った。
 少し小さなその手を引いて、那岐は歩く。いつもよりほんの少し速く。何も考えないで歩けるくらいの速さで。けれど、下駄をはいた千尋がついてこられる遅さで。
 千尋に手を引かれて走ったいつかの夜を思い出し、那岐はあのときと逆だな、とぼんやり思う。こうしてこちらの世界に来なければ、ああして千尋が自分の手を引くことも、あんなふうに笑うこともなかったのだろう。
 そして、今こうして自分が千尋の手を引くことも。きっと。
 変わらないものなど、ない。けれど。

作品名:やさしい手 作家名:おでん