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呼ぶ声

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 犬が消えたと知ったとき、泣いたのは下級生たちだけで、竹谷は特に嘆く様子もなく、それを慰めていた。その夜、いつもと変わらぬ様子の竹谷に、久々知は尋ねた。
「お前、悲しくないのか」
 寝転がったままこちらを向いて、竹谷は言った。
「悲しいかな。うん、悲しい」
「でも今日、泣いていなかった」
「それは、いつかこうなるって知ってたからだ」
 竹谷はむくりと起き上って、久々知に向き合った。
「あの犬はいつかここから出ていくだろうと思っていた。あれはそういう生き物だ」
「お前はそれでよかったの」
「よかったよ」
 そう言って、竹谷は笑った。
「ここはきっと、あいつにとってはとても過ごしやすい場所だっただろう。頑丈な壁に守られていて、牙も爪も持たぬふくふくとした手が、暖かな餌をくれる。これ以上居心地のいい場所は無い」
 下ろした久々知の黒髪に触れて、竹谷は言葉を続けた。
「けれどあいつは、その場所を捨てても出て行った。そういうふうに生きなければならないからだ」
「さみしくは無いのか」
 久々知が問えば、竹谷は困ったように笑った。
「さみしいかな。少しはさみしい。けど、どこかで会えるかもしれないし」
 くしゃくしゃと久々知の頭を撫でまわして、竹谷は言った。
「そのうちまたひょっこり顔を出すかもしれないし。そうしたらきっと、みんな喜んで迎えるだろう。もしそうじゃなくても、どこか違う場所で出くわすかもしれない。そのときあいつが鳴けば、俺にはわかる」
「鳴き声だけで?」
「そう、鳴き声で。俺を呼ぶ声は、わかる」

 目の前にいる狼は、あのときの子犬とよく似た目をしていた。もしかしたら、あの犬だろうか。竹谷が見れば、わかるのだろうか。その鳴き声を聞けば、わかるのだろうか。
 はあ、と吐く息が白かった。首に巻いた襟巻をぐいと引きあげて、鼻の上まで顔をうずめる。そうして狼がじっと見つめる中、久々知は前に向かって歩き出す。いくらなんでも、狼が見張る中で野宿をする気にはならなかった。縄張りを出ようと歩き出せば、足は思ったよりも順調に進んだ。この分だと日暮れまでには学園に帰りつくだろう。
「狼がつけてくるのは、自分の縄張りに入ってきた生き物を見張るためだ。何もしなければ、決して襲ってはこない」
 竹谷の話す声が聞こえる気がする。
 何もしなければ、何も起きない。ただほんの一瞬、生きる領域が重なるだけ。ほんの少し、道が交わるだけ。
 つかず離れず、狼と久々知は雪の中を歩き続けた。やがて森は終わりを告げて、狼の生きる場所と久々知の生きる場所はまた離れる。背中の後ろで、狼が一声高く鳴いた。どこかで聞いた鳴き声のような気もするし、そうでないような気もした。久々知にはわからない。
 竹谷に呼ぶ声がわかると言われたあの犬が、ほんの少しうらやましいと久々知は思う。それと同時に、呼ぶ声がわかると言いきった竹谷のことも、うらやましかった。

 真っ白な雪の上に足跡をつけながら、久々知は暖かなあの学園を目指す。今はあの暖かさに甘えてしまおう。暖かなあの部屋と、見慣れた顔が待つ学園。久々知の帰りを待っている場所。
 もう少し先、いつかの雪解けの日には、その場所は消えてしまう。久々知のための部屋は別の誰かの部屋になり、馴染んだ顔は、腕は、どこか遠くへ去る。けれどそのあとも、あの学園に帰れば、何かが自分を受け入れてくれるような、そんな気がした。



 遠い、とある冬の日。
 男が一人、雪の中を歩いている。
 男は迷っていた。このまま道を進むべきだろうか、それとも日が暮れる前に休む場所を探すべきだろうか。
 ふと男は思い出す。かつて同じように、こうして雪の中で迷ったことがあった。
 あのとき帰った場所は、今も同じようにあるだろうか。
 壁に守られたあの場所。暖かな腕が迎えてくれる、あの場所。
 一瞬だけ、そこを訪ねる自分を想像する。きっとあの場所は、あのころとは少しずつ違っているだろうけれど、あの日と変わらずに自分を受け入れてくれるだろう。そんな気がした。
 甘い感傷が一瞬だけ胸を掠めて、男は少しだけ笑う。そうして、襟巻をぐいと鼻の上まで引き上げて、また歩き出す。
作品名:呼ぶ声 作家名:おでん