ネビート・ギブナ・フウル・ロービア・ウンム・アリ・アフワ
ワインを一口、それからテーブルに肘をついて香りのいい煙草を二人に向けて左右に振った。
「それに抜け道があるかも知れないぞ。神様だってファウストを巡って悪魔と賭けをなさった」
真剣な表情だが、どうみてもふざけている。すかさず笑いながら口を挟んだのは節制だ。
「誰よ、そいつ」
「博士さ」
ダービーの様子はダートを三本的中させた時とそっくりだった。節制はその目をのぞきこみ、何か確かめると、さも恐ろしい事実を告げるように脅えた顔を作ってホル・ホースの陰に隠れ、大袈裟な震え声で訴えた。
「このクレイジー、神様とも一勝負する気だぜ!」
ダービーは余裕しゃくしゃくだ。
「ああ、できるものならやってみたいね」
「どうすんだよ、向こうサンが騙されてくれなかったら」
分別臭くホル・ホースは忠告した。と同時にわざとらしく肩に貼りついた節制を引きはがした。
「そこは神の無辺なるお慈悲にすがるさ」
「間違いなく地獄行きだな」
「ああ、それなら君達とも再会できるね」
ぬけぬけとダービーが両手を広げて見せる。しかしホル・ホースと節制は自分達を棚に上げてダービーを無視するという点で結束したらしい。
「しかも一方通行の行きっぱなし」
「地上がきれいになって、いいんじゃねえの?」
二人に負けずダービーも真面目くさって、
「いやいや、仏教徒は産まれ変わるというぞ」
「うわあ、死んだ後まで他人様に迷惑かけるなよ」
節制がのけぞって両手を上げ、三人は一斉に笑った。ホル・ホースが節制に、
「仏教に改宗するか?」
「まさか! 役者が抹香臭くてどうするよ」
彼はまだ持っていたダートを構え、片目でボードに狙いをつけた。
「それにしても、暇だよな。こんなの、の他に、する事が、ない、なんて、な。……よっ!」
一文節ごとに前後に振られていたダートは気合いと共に節制の手を離れ、緩やかな放物線を描いてボードに飛び込む、かに見えた。この日、どうやら幸運に見放されているらしい節制の矢は、またしても的を外れた。正確には、ダートが的に触れる寸前、それは椅子ごと金属コーティングされてしまったのである。メタリックに輝くダーツボードに当たった矢は跳ね返されて、高い音を響かせて床に転げ落ちた。
「あー! そりゃねえよ、姐さん!」
頭を抱えた節制の叫びは忽然と現れた黒い髪の女に向けたものだった。
「あらまあ、ずいぶん呑気じゃないの?」
黒髪の女ミドラーはドアの前で両手を腰にかけ、艶っぽく化粧した目で呆れたように一同を見渡した。相変わらず自信たっぷりで、あちこち宝石で光らせている。ダーツボードに金属のカバーをかけたのは彼女だった。『女教皇』は変身をそろりと解いて、すでに女主人の元に帰っている。
威風堂々の彼女は、興味と期待、そして非難の入り混じった三人分の視線をものともせずに受け止めて平然としていた。
「遊んでる場合じゃないのよ。さあ、ぼうや達」
真っ赤な口紅で描いたその唇が不敵に微笑んだ。
「お仕事よ」
三人は顔を見合わせ、その後そろって彼女を見た。この堂々巡りの退屈にピリオドが打てるかもしれない。
「どこで?」
「何を?」
「誰を?」
三人が完全に同時に尋ねた。
「あら、がっつくんじゃないわよ。それから、なに言ってんの?」
色っぽく眉をしかめたミドラーは優雅にスカートを翻しターンして、館の裏手に、つまり厨房に向かってさっさと歩き出した。
「お料理のおばちゃんが礼拝ついでに娘の所に寄って来るっていうのよ。お産が近いんですって」
三人の男はまたお互いに顔を見合った。三人とも、みんな間抜けな顔をしていると思った。彼女が何を言っているのか判らない。
「だから今夜はあたしがお料理してあげるのよ。感謝しなさいね」
ミドラーは肩越しににっこり笑って、
「そこで、あんた達のお仕事よ。お豆とお芋の皮剥いてもらうわ。ほら、とっとと来なさいよ」
華麗な香水の香りを残し、彼女は廊下に消えた。
三人はしばし動かず、呆然と座りこんでいた。
ミドラーを見送った姿勢のまま、ホル・ホースが一本調子に言った。
「体重八〇〇ポンドの雌ゴリラに何を与える?」
同じように節制が言った。
「鉄の爪を生やしたおネエ様に何を差し上げる?」
二人で声を揃えて、
「彼女の欲しがるものなら、なんでも!」
そして大声で笑いだし、立ち上がって肩を叩き合いながら、鉄の爪を持つミドラーの後に続いた。古い冗談だが、このバリエーションは定番のネタになりそうだ。
ひとり取り残されたダービーは、ワイングラスを一嘗めして、ゆっくりと座り心地のいい背持たれから身を起こした。組んでいた脚を慎重にほぐし、思う存分伸びをしてから溜め息をつき、ちらりと微笑をのぞかせて、言った。
「まったくだ!」
それから軽い身のこなしで立ち上がると、豆と芋の皮を剥くために厨房へと向かった。
ネビート…………ワイン
ギブナ……………チーズ
フウル……………ソラ豆のペースト
ロービア………インゲン豆、野菜、羊肉のシチュー
ウンム・アリ……エジプト風プディング
アフワ……………コーヒー
作品名:ネビート・ギブナ・フウル・ロービア・ウンム・アリ・アフワ 作家名:塚原