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センセイと私

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自分たちの関係をなんと呼ぼうか。恋人だったり、擬似兄妹だったり、愛人だったり。あるいは、そのどれもがしっくりこないと思う。


 デンマークに校舎裏で発見された時、ノルウェーはあちこちを泥で汚していた。昨夜のうちに降った雨で草木は水に濡れ、地面がぬかるんでいたところにいたのだろう。その上、また降り出した雨でしとどに濡れたふたりは、傘を出す暇を惜しんでデンマークの車へと駆けだした。ノルウェーを助手席に押し込み、デンマークは自宅へ帰りついた。
「ったく、あんなとこで何やってんだおめぇは!」
 めずらしく素直に手を引かれ、ノルウェーは足を動かしながらふてくされたように「妖精が困っとったから」と言ってそっぽを向く。問い詰めたところで、話したくないことならがんとして口を開かないノルウェーである。デンマークはそれ以上、詮索するのはやめた。
「それでノルが身体冷やしたら元も子もねぇっぺ!とにかく風呂だ、風呂!」
 住宅街にある一軒家にデンマークはひとりで住んでいた。ノルウェーの手を引いたまま、玄関の引き戸を器用に片手だけで解錠すると、三和土で靴を脱ぎ散らかして、廊下の奥にある風呂場へ向かう。デンマークが手のひらに握っている、自分とはやわらかさも手触りも違う小さな手は、雨に濡れてひやりと冷たかった。
 風呂を沸かしている間に、狭い脱衣所で押し合いへしあいしながら服を脱ぐ。肌寒い浴室で小さくくしゃみをするノルウェーに、熱めのシャワーを頭からぶっかけてやる。怒ったノルウェーがやり返そうとするのを「ほれほれ、とっとと頭洗ってすっきりしようなー」と風呂イスに座らせると、ノルウェーはむすっとした顔をしながらもすとんとイスに腰を下ろした。
「んじゃ、まずは頭洗うかんな。目ェつぶってろ」
「いちいちやがまし」
 思ったことは全部口に出てしまう性分なのだ。デンマークはにぎやかにあれこれと話しかけながら、ノルウェーの髪を濡らし、華やかな香りのシャンプーを泡立てていく。風呂場には常時、彼女愛用のシャンプーが用意されていた。
「こないだ、間違っておめぇのシャンプーのボトルをプッシュしちまってよ。もったいねぇがらそれで洗ってみだら、一日じゅう甘ぇにおいで落ち着かんかったべ」
「おめとお揃いとか冗談じゃねぇべや、馬鹿あんこ」
 シャンプーをたっぷり泡立てて、地肌も指の腹で揉むように丹念に洗ってやると、だんだんノルウェーの悪態のキレが悪くなっていった。傾いていく頭を支えながら、「湯、流すっぺー」と声をかけると、はっと気づいたように背筋を伸ばし、しっかりと目をつぶる。そのかわいい顔を見たいのだが、正面の鏡をぬぐうとノルウェーが怒る。
 デンマークの持ち家は、本来はファミリー向けに設計された家だったので、浴室も浴槽も、ひとり住まいのそれにしては大きめである。デンマークが手早く大雑把に頭を洗っている間に、ノルウェーが浴槽の湯を泡風呂に変えていた。ノルウェーを後ろから抱き抱えるようにして、泡の中に沈む。
「湯加減どうだ、ノル?」
「ぬるい」
「これ以上熱くすっと、すぐのぼせちまうべよ」
 腕の中にすっぽりとおさまった身体を丁寧に洗って、汚れをきれいに落とす。手のひらを滑らせると、じかに触れる彼女の柔肌の感触が気持ちいい。他人に触れられるのがくすぐったいのか、ノルウェーは時おり身をちぢこめる。
「細っせえなぁ」
 泡にまみれた手首をつかんで、目の前にかざす。デンマークがちょっと力をこめるだけで、ぽっきりと手折れてしまいそうだ。つかまれていた手をほどき、デンマークの無骨な手に、ノルウェーの細くしなやかな指が絡みつく。ふん、と彼女は鼻を鳴らした。
「私のことはええ。それよりもフィンだ」
「うん?」
「細けりゃええってもんでもねぇべや」
「だっぺなぁ」
 ノルウェーとは気が合うらしくよく一緒にいるフィンランドだから、デンマークは彼女のこともよく把握している。フィンランドと聞いてまっ先に思い浮かぶのは、彼女がはにかみながら浮かべる、人懐っこい笑い顔である。その性格と姿かたちが醸しているであろう、ふんわりと丸っこい雰囲気をデンマークは好ましく思っているのだが、フィンランドにとってはその体型こそがひそかな悩みの種だという。
「フィンはあのスウェーデンに惚れとるな。ダイエットだの何だの言い出したのはあいづが来てからだ」
「好いた男のために、け?けなげなのはええけど、スーはなぁ……あいづの守備範囲は、ある意味広ぇぞ。ぽちゃぽちゃとか細っこいとかでねぇ、めんこいかどうかで選ぶかんな」
 つまり、スウェーデンにとっては、フィンランドが肥えていようと痩せていようと、さほどの違いはないということだ。フィンランドにしてみればそういう問題でもないのだろうし、彼女の乙女心を思えば分からないこともない。
 にしても、デンマークはえらく気安く新任化学教師をスーと呼ぶ。ひょっとして、実はこのふたりも知り合いだったりするのだろうか。
「それはええが、スウェーデンとはどんな関係なんだ、おめは」
「先輩と後輩だっぺ」デンマークはそれだけをさらりと答えた。
「もっとも俺は、あいづを親友と思っとるがな!」
 それからデンマークは、大学時代のスウェーデンとのエピソード(病院送りになりかけた殴り合いの喧嘩の逸話など、やたらと血なまぐさい話ばかりだった)をつらつらと語ったが、ノルウェーはデンマークの戦歴にまったく興味がないらしく、あいづちすら打たず泡とたわむれていた。

 泡を流して風呂から上がり、ノルウェーの身体をすっぽりとバスタオルに包んで水気をぬぐう。身体があたたまって眠たげな彼女に服を着せてやるのもデンマークの役目だ。
 ふらふらと危なっかしい足取りでリビングに行くノルウェーを、デンマークはドライヤー片手に追いかける。
「待て待て、まだ髪が濡れてるっぺよ!」
「うっつぁし」
「おめぇはもう……ほれ、こっちだノル!」
 リビングのじゅうたんの上にあぐらをかいてノルウェーを呼ぶと、彼女はぺたりとデンマークの前に座った。いつもに増して素直なのは、デンマークに髪をいじってもらうことが心地よいと知っているからだ。こんな時だけは本当にかわいげがある。――しかし常時ここまで従順だと、むしろデンマークの調子が狂ってしまいそうなので、稀に気まぐれに素直でいてくれるだけで充分である。
 ノルウェーの頭を引き寄せて、自分の髪を乾かす時の数倍は丹念に、細い金の髪に温風を当てる。金糸に指を通して、ひっかかりを指先でほぐしながら、ノルウェーが熱くないようまんべんなく温風を吹きつけていく。
「ノル、眠かったら寝てもええぞ。その間に夕メシ作っがら」
「ん……」
 デンマークの腰に腕を回して、薄くて軽い身体がもたれかかってくる。重たげだったまぶたがいよいよ、落ちた。うっすら開いた唇からもれるのは、すうすうと気持ちよさそうな寝息である。
 しめった髪をざっと乾かし、手ぐしで梳いてやって、デンマークはほんのりとあたたかく熱をもっている髪の手触りを楽しむ。
「めんこいなぁ、おめぇは」
 眠りおちた天使は悪態をつかない。
 元々世話焼きな性格ではあるデンマークだったが、ことノルウェーに関しては別格であった。
作品名:センセイと私 作家名:美緒