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眩熱

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ミュンヘンという街はせせこましい。
 朴訥としているが、林立する背の高い建築群は間違いなく都会である証拠だ。薄汚れた年代を感じさせるアパートメントから、少し足を伸ばせば豪華絢爛を描いた市庁舎、歴史ある広大な庭園。暇を思うことはない、充実した都市だ。
 路地に面した窓に視線を投げながら青年はうんざりと溜息を零した。シングルハントの硝子を隔てた先が灰色の石膏壁であるのが息苦しく思える。これをなだらかな稜線であれとは言わないが、せめて窓から身を乗り出して樹木の一本でもあればと思う。僅かな慰めは、やはり向かいの出窓から垂れる鉢植えくらいか。
 故郷の、何もないが平和で緑の麗しい情景を懐かしみながら、エドワードは顔を正面に戻した。
「…なあ、まだ?」
 視線の先へ気だるさを露わに問いかける。卓子に腕を投げ出した状態を固定されれば、肩が凝って仕方ないのだ。
 エドワードの不機嫌な催促に、された方はのそりと頭を上げた。窓から射し込む茜日に眼鏡の薄い硝子が照りかえり、エドワードは琥珀を眇めた。その眩しさに構わず、縁に掛かる白い物の交じった金髪を払いながら、男は視線を合わせてくる。そして子供の仏頂面を目に入れて、困ったように眉尻を下げた。
 すまないな、と幾分阿る口調で申し訳なさそうにしながらも、腕の細い導線が覗く丸い間接部分を指で指す。自分の行動を制すことはないらしい。ホーエンハイムらしいといえばらしい。
 エドワードは嫌味ったらしく、再度大きな溜息を落とした。
 その息の重さに、真摯な壮年の眼差しは、一度こそエドワードの瞳を映し、許しを請うように愛嬌を携えた苦笑を零すのだが、直ぐに肘に戻る。ニス塗りのマホガニーに無造作に置かれた義手を、息が詰まるほどの真剣さで、じっと凝視した。
「肘を曲げて。ゆっくりでいい」
 エドワードはそっと息を吐くと、男の求めのまま、右腕に力を込める。鋼材の骨組みに心ばかりの樹脂の外殻はいかにも機械じみていて貧相だ。こんなものが自身の代わりになりえるかと疑いは増すばかり。
 確かに機械鎧というのもその名の通り無骨で可愛げのないものであるのだが、筋肉を連想させる導線に、何より力強い形状に自分は誇りさえ覚えた。これが自分の手足だと胸を張れた。父親であるホーエンハイムが作った義肢はこの世界では類を見ない高度な仕掛けなのだろうが、機械鎧に慣れた身としては些か物足りない。
 間接部分にモーターを組み込んだ義肢は、動作の基本を回転としている。しかし人間の体にモーターのように回転する部分があろうか。
 人間の動きは筋肉の収縮だ。機械鎧では全く気にも留めなかったことではあるが、実際、回転の始動と停止を目の当たりにすれば、動きが不自然に角張り、「機械」であることを意識せずにはいられない。
 肘の間接部はぎこちなさに注視しなければ問題なく持ち上がり、ホーエンハイムは安堵を滲ませながら銀色に光る五本をそっと撫でた。
「肘は問題ないか。次は指を曲げて」
 エドワードはその言葉に今度は指先を意識する。眉間に皴を寄せ、歯を食いしばる。すると、躊躇うように指の関節が軋んだ。だがそれまでだ。握るというまでは運ばず、エドワードは歯軋りした。
 思うように動かぬことが、もどかしくて堪らない。まるでこの地にある自分の身上を表しているように感じる。
 覚束なさに対する焦りが身に積まされる。
 それも仕方がない。扉を違えた世界は物の理も違っているのだ。かつて自分にとって科学は錬金術であった。なのに、こちらではまやかしの魔術紛い。科学はあくまで狭義においての自然科学となる。
 機械鎧を自分の手足とし、鍛錬に励み、錬金術の肥やしにした時とは違う。今の自分は負具の子供でしかない。天才の名はなく、支えも何もないのだ。
「エドワード…、休憩にしよう」
 低い声が優しく頭上に降る。エドワードはそこで自分が眉間にきつく皺を寄せ、額には脂汗まで浮かばせていたことに気付いた。一度集中力が途切れると、身体からは自然と力も抜け、詰めた息もゆっくりと吐き出される。しかし与えられた休息に、エドワードは口を曲げた。不満を込めて目を眇めれば、男は顎に蓄えた髭を撫でながら、肩を竦める。
「筋電位は微弱でな。変化の検出に改良を加えた方が良さそうだ」
 自分の不手際のようにホーエンハイムは語る。実際そうなのだとしても、息子に対する気遣いが含まれていることは、何年と離れていても気付かずにはいられない。それを嬉しく思うのも事実で、エドワードは撓みそうになる口の端をぎゅっと噛んだ。
「……別に、無理しなくていいんだぜ」
 口を尖らせて零せば、ホーエンハイムは眉宇を寄せた。
「無理をさせたか?」
 心配そうに顔を歪め、問うてくる。心底自分の身を案じている響きにエドワードは、そうじゃない、と首を振って勢い込む。
「俺は全然平気だけど、アンタがっ! 色々忙しいんじゃねェの、変な集会とか何とか……」
 後半につれて声はか細く、喉に引っ掛かった物言いになるのは仕方ないだろう。エドワードは自分の目の前で精鋭さを窺わせる双眸を丸く瞠った男に、心中で毒づく。口元を綻ばせる父親に、勘違いをするなと釘をさしてももう遅い。
「今日は行かないんだ。有難う、エドワード」
 目を細め、柔らかな声が耳に届くと、自分の顔が段々と熱くなる。鏡など要らずとも、頬が真っ赤に火照っているのが判る。エドワードは、ふんっと鼻を鳴らして、顔を背けた。
 今更遅いとでも思わぬでもないが、羞恥に居た堪れない。普段であればがなり立て、喧々囂々と部屋でも飛び出すが、現在義手の調節という名目でホーエンハイムの自室にいる。そのベッドに腰掛けて、卓子の上で招いた男が工具を広げながら義手に触れる。無論、その義手はエドワードの身体に装着されて、まだ意のままに操れない身としては無茶も出来ない。何より、世話をかけている自覚は十全に有り、奇しくも歯止めとなっている。
 エドワードはこっそりと男を窺い、溜息を零した。
 自分はまだこの世界には馴染めていない。
 ホーエンハイムのように柔軟に意識を転換させて、錬金術がなければ、自然科学ないし機械技術へと造詣を深めるだけの踏ん切りがついておらず、あちらとこちらを見比べて、憂鬱になるのが精々だ。
 錬金術の腕に溺れたはずはないのに、自分は未練に引き摺られるまま、過去となった名声に縋っているのだろうか。そう、ホーエンハイムの目には映っているかもしれない。愚かな子供だと、世の断りに従う賢明なる男は呆れているだろう。
 はあ、とまた溜息が吐いて出た。それが鬱陶しいと自分で心底嫌になるのだが、出るものは出てしまう。
 エドワードが物憂さに沈んでいると、不意に髪が浚われる。ホーエンハイムが腕を伸ばし、耳に被る後れ毛を梳いていた。しなやかな質感を楽しむように、指を何度も絡ませる。
「さわんな」
 エドワードは渋面を作って唸った。するとホーエンハイムは残念そうに指を退ける。惜しげながらも絡ませた金糸を肩に落とした。はらりはらりと、最後の一筋まで目を細め、愛しみに満ちた枯葉色に写し撮る。
作品名:眩熱 作家名:立花志郎