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眩熱

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 暫時、余韻を楽しんでいたかと思うと、つと視線を彷徨わせた。それは男が何かを思いついた時の仕草で、エドワードも眉を上げる。微かに小首を傾げて問うが、ホーエンハイムは応えずに、代わりにと鈍く光る腕を取った。装着したままではあるが、力の入らぬ義手を捧げ持つと、男の視線がこちらに絡んだ。エドワードはその眼差しの鋭利さに肩を揺らす。冷水を浴びたような面持ちで惑う子供になど構わず男は双眸を落とし、腕にした無機物に指を這わせた。
 ゆっくりと、まるで肌の湿り気を楽しむように。
 今後、この上から人工皮膚を付けるのだとホーエンハイムは言っていたが、まだ試作段階の義手は気持ち程度の樹脂が被る程度。実際、男の指に与えるのは、樹脂の微か弾力と鋼材のすべりの良さであろう。なのに、肌理細やかな皮膚とその弾力を心底愛しむように、何度も何度も撫で上げる。もどかしくも、緩やかな愛撫を紛い物に与えている。それは自身の熱を分け与えるかのように。
 エドワードはごくりと唾を呑んだ。それを聞きつけて、男は低く喉を震わせるので、決まり悪く眉を顰めた。
「…アンタ、何やってんだ。気持ちわりぃ」
 吐いて出た声は上擦り、なお気恥ずかしさが募る。その悪態にホーエンハイムは指をぴたりと止めて肩を竦めた。
「良いじゃないか。感覚は無いんだろう?」
 薄く笑う。その性質の悪い顔にエドワードは眉根を寄せた。振り払おうと力を込めるが、男の握力に叶うほどでもなく、腕は囚われたまま。
「それでも見てるだけでキモいんだよ」
「では、見なければいい」
 即座に返され、エドワードは声を失う。そういう問題ではない、と言葉を捜してる間に、ホーエンハイムは顔を落とした。先ほどまで執拗に指を這わせた前腕へ、唇を寄せて口吻ける。
「な……っ」
 自分の言など耳にも入れない男への一喝が喉へ逆戻りする。
 怒りと羞恥にエドワードが言葉を失うと、ホーエンハイムは視線だけを上げて、琥珀を誘い込む。口角を上げ、そして薄い唇から舌を突き出す。唾液に濡れる厚みをそのまま押し付け、手首から肘の内側へ義手の輪郭を辿るように這わした。
 眸が外せなくなる。胸が苦しくなるが、思考も何もかも奪われたように動かせなかった。義手だけでなく、生身の部分も麻痺する。ただ、むず痒さが視覚から侵食してくる。
 やめろ、と切れ切れに喘ぐが、精彩を欠いた制止に従うものはない。きつく掴まれて、自分の意思を表せぬ義肢は、ぴくりと小さく揺れる程度。それがまた、愛撫に身悶えするように見えて、エドワードの鼓動は早くなる。
 息が苦しかった。
 唇を噛み、強張る四肢に力を込めて、エドワードが左手を掲げると、男の腕が阻んだ。厚みのある指先が手首に食い込み、エドワードは小さく唸った。
「乱暴だな」
 余裕を見せた声音は優しく響く。それが憎らしく、柳眉を吊り上げ睨みつける。その険しさにもホーエンハイムは困ったように微笑むばかりで臆すことはなく、卓子へゆっくりと義手を下ろすと、今度は生身へと向き直る。捉えた拳に湿った鼻息が触れたと思うと、次には熱い舌先が押し付けられた。粘りのある湿りが肌を刺し、エドワードは慄く。直に与えられる感覚は淫らがましく、そして鮮烈だ。握りこまれた腕の痛みだけではない、何かがそこから流れ込む。その何かは身体の隅々まで行き渡り、侵して、痛覚を変質させる。
 指の関節球を唇で柔く食み、舌でぐるりと円を描く。粘液を塗り込めた矢先で、直ぐに下唇がその滴りを拭うように這った。知らしめるように、五本の指を汚し終える頃には、手首には甘いような痺れが残る。もう抵抗も出来ぬと察したせいか、掴んだ手が弱くなっていたせいかも知れない。男の指には、自分の鼓動の早さが確実に知れただろうから。エドワードは手首の脈打つ音を男の手の平で思い知ることを忌々しく思った。
「怖い目だ」
 ホーエンハイムは笑いながら、唇を離して、掴んだ腕をエドワードの膝にそっと乗せた。エドワードは唐突に気が抜けるが、それは安堵ばかりでない。物足りなさもあった。劣情は何時だって厄介で、そして男への懸念はいくらしても足りぬということはない。
 不審を込めた眼差しを送ると、ホーエンハイムは口角を上げて、エドワードの頭を撫でた。まだ幼い頃に与えられた感触を思い出すと、どうにも刺も抜かれてしまう。琥珀色の隙を突いて、ホーエンハイムは甘く唆した。
「よく、見ていなさい」
 流れるように、今度はエドワードの右、義手へと向き直る。恭しく手を添えて、エドワードの視界に手の甲が入るように肘を立たせる。そして、また唇を落とす。
 呆れに、エドワードは息を吐いた。しかし、それは直ぐに自分の喉へ吸い込まれていく。
 ホーエンハイムは肉厚の舌を押し付けた。義手の、外装も何もない醜く無機的な指となる部分だ。そこの関節球を唇で挟み込み、少し浮かせて、舌を差し出し、ぐるりと円を描く。
 先ほど生身でし終えた愛撫を、今度は義肢へ施していく。全く同じ動作で、同じように熱の篭った眼差しを向けて。
 既視感に目眩がする。
 生温い粘液を塗りこめる舌の熱さが繰り返される。義肢に感覚が芽生える。否、それは視覚から入り込んだ錯覚に過ぎない。肌で感じているのではない。脳が生み出しているだけだ。そうと判っていても、その猥らがましく這い上がるうねりに惑溺する。
「…あ……」
 ぽろりと零れた声音は甘く、エドワードは自分を罵った。視界の端で男の肩が震えている。声を殺して笑っているのだ。恥辱に全身が熱くなった。
「離せっ…!」
 男の為すがまま、思惑に乗るのも限界だ。エドワードは体を後ろに捻るが、すると逆に強く引きずられる。バランスを崩し、卓子の上につんのめると、ばらばらと小さな螺子や軽い鋼材が跳ねて床に転がった。その音に身体が竦み、息を詰めてただ銀色の軌跡を追う。
「後で拾うさ」
 ホーエンハイムはことも無げに告げて、エドワードの耳朶に、それよりも、と低い声を吹き込んだ。その吐息に肌が粟立ち、エドワードは背中を震わせながら、ゆっくりと男の顔を窺った。
「じっとして。何も感じないのだろう?」
 悠然と微笑を浮かべる姿に唇を噛む。エドワードがどう感じているのを悟りながら、それを逆手に取る男の底意地の悪さが憎らしい。
「…ホント、気色悪ぃ」
 地を這うような声を出せば、ホーエンハイムは口の端を上げる。
「じゃあ、見なくて構わない」
 会話も繰り返される。見ろと言ったり、見なくていいと言ったり、どっちなんだ、という不平はこの際、口にはせずエドワードは従うように、顔を横に逸らした。
 しかし視界の端にはホーエンハイムが頭を下げたのが過ぎる。そして、動いているのも。
 滑ったざらつきが作り物の指を這っているのだ。ゆるりと間を持たせ、時折歯を掠めさせながら、労りに満ちたもどかしい感覚を残す。男の手管はとうに知れて、身体に刻み込まれている。
作品名:眩熱 作家名:立花志郎