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掌編 『鼓動』

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とくり、とくり。
 手の中に感じる確かな脈動に、菊は形のよい眉を顰めた。
「気持ち悪いです」
 心の底からそう思う、というように吐かれた言葉。そんな彼の様子に反して、頭上からはくすくすと楽しそうな笑い声が届いた。
「酷い言われようだなあ。僕、傷付いちゃった」
 謝罪と賠償を要求してもいい? だなんて、まるでどこかの誰かのようなことを言いながら無邪気に笑う青年。
「怖くは、ないのですか?」
 そんな青年の様子に表情を変えることもなく、彼は淡々と尋ねる。
「私が今この手に力を入れれば、いとも容易く貴方の鼓動は止まるのですよ。イヴァンさん」
 今、菊は比喩ではなく青年の心の臓を掴んでいた。白い肌を抉るように差し込まれた色の異なる手は、肉の狭間に収められた塊を捕らえるように、しっかりと握りこまれている。
「でも、僕たちはそのくらいじゃ死なないよ?」
 確かに、菊が強く力を込めた瞬間にイヴァンの鼓動は止まるだろう。しかし止まった鼓動はやがて蘇り、潰れた心臓はあるべき形を取り戻す。それは人ならざる彼らの『常識』だった。それでも。
「……貴方は、非常識なのですよ」
 人ならざる存在であっても、彼らの姿は人を模したもの。つまり本来であれば皮膚の下、肉の奥深くに守られているべきその器官。けれどもこの男のそれは、薄い皮膚の下にぽかりと開いた暗い洞に収められて、ときに容易くその身を離れる。
 そしてそれでも尚、強く脈打ち続けるのだ。


 今日もまた散々に踊り狂った会議が終わり、ひどく疲労を覚えた菊は友人の誘いも断って真っ直ぐにホテルへ戻ろうとしていた。
 けれど、装飾の施された廊下を出口に向かって歩いていたときに、彼はそれを見つけてしまったのだ。上等な赤い絨毯の上に転がった、さらに深い赤を纏い脈打つ臓器を。
「……」
 どんなスプラッタホラーだ。頬を引き攣らせつつも、菊はポケットからハンカチを取り出すと、生温く蠢くそれを包んだ。
(これはもう使えませんね)
 薄水色のハンカチに染みていく赤に、思わず溜息を吐く。洗えばそれなりに落ちるだろうが、血汚れというのは頑固で、臭いも残ってしまうものだ。
 ホテルに戻れば予備のハンカチもある。仕方がないと諦めて、それの持ち主が居るだろう場所へと向かった。
 会議室とは反対側に用意された、ホスト国である男の控え室。突き当たりにある扉の前に立って、菊は思案した。
(トーリスさんでもいらっしゃればいいのですが……)
 いつも北の大国に振り回されている人のよい青年の顔を思い浮かべ、菊は扉を控えめに叩いた。
 できれば本人とは顔を合わせずに済ませたい。そんな彼の願いは、ノックした扉の向こうから現れた姿によってはかなく消える。
「はいはーい。あれ、菊くん? 君がぼくのところに来るなんて珍しいね。どうしたの?」
 きょとん。
 体格の良さに反して幼い子供のように振舞うのが常の青年は、綺麗な菫色の瞳をまんまるにして彼に問うた。
「これ、落とされたでしょう」
 ハンカチを開きながら無愛想にそれを差し出すと、イヴァンはにこにこと嬉しそうに笑った。
「あ、本当だ。わざわざ届けてくれたの? ありがとう」
「……視覚の暴力でしたので。通行人の邪魔になりますから」
 菊からしたらある程度慣れたものだが、一般人が見つけたら気絶でもしかねない。
 さっさと渡して去ろうとした菊だったが、なぜかイヴァンはそれに手を伸ばそうとしない。訝しげに彼を睨んだ菊の耳に、のんびりとしたイヴァンの声が届いた。
「ねえ、菊くんが戻してくれないかな」
 自分でやると上手くできないのか、よく落としてしまうからと笑いながらイヴァンは言った。
「『視覚の暴力』なんでしょう?じゃあ落とさないようにしっかりと戻さなきゃいけないよね。君、精密機械とか作るの得意なんだしきっとうまくいくよ」
「……それでなぜ私なのですか? エドァルドさんなども器用な方だとだと思いますが」
 いつも彼の傍に従っている、眼鏡をかけた几帳面な青年の名を上げると、イヴァンは困ったように笑った。
「エドァルドは用事があって帰っちゃったんだ。ついでに言うと、トーリスもライヴィスも今日は用事があるから僕のところに戻るのは時間が掛かりそうだって」
「では、使用人の方をお呼びすればよろしいでしょう。私はこれで失礼します」
 イヴァンの言うことに従う義理はない、とテーブルの上にハンカチごとそれを置き、菊は扉から出ようとした。しかし、突然手首に掛かった力によってそれは叶わなかった。
「意地悪なこと言わないで。お願いだから、ね」
 無邪気な笑顔で首をことりと傾げておねだりをするそれは、おそらくフェリシアーノあたりがやれば愛らしいと言えるのだろう。しかしこんな大男がやるとどこか滑稽だった。
 しかも『お願い』と言いながら、手首を掴む力はどんどん強くなっている。これは脅迫というのではないだろうかと、菊は溜息を吐いた。
(まったく……無視をして捨て置けばよかったですよ)
 しっかりと細い手首を掴んだ大きな手は、ちょっとやそっとで外れそうにもない。無理をすれば外せないことはないのだろうが、ここで騒ぎを起こすよりは大人しく従った方がマシだ。そう判断し、本当に嫌々という様子で、菊はイヴァンに頷いて見せた。
 途端に嬉しそうに綻んだ顔に、どっと疲れが押し寄せてきたのはきっと気のせいではなかっただろう。

 そして今に至る。

 温もりを持った赤い肉の内に手を入れるのには、少しばかりの勇気が必要だった。脈打つ心臓を差し込んだそこは、いつも体温の低いイヴァンの中だというのに、どきりとするほど温かかった。
 それがあるべき場所を探って集中する菊の目はとても真っ直ぐで、イヴァンはその真剣な表情に、キスしたいなと思った。彼は素直にその欲求を口にする。
「ねえ、キスしていい?」
「は?」
 思いもしない言葉に顔を上げた菊の前にあるのは、いつもと同じように笑みを浮かべたイヴァンの顔。菊の眉間に深く刻まれる皺に気付かないように、返事を待つ男に彼は剣呑な眼差しで答える。
「口付けの最中に心臓を握り潰されても宜しいのならばどうぞ」
 物騒な台詞に、返ったのは想像もしなかった言葉。
「ふうん。ああ、それもいいかも。幸せな感じがする」
「……あなた、マゾでしたっけ?」
 いますぐこの場から立ち去りたいという表情の菊に、イヴァンはにこにこと笑う。
「いやだなあ、違うよ。でも、幸せな瞬間には『もう死んでもいい』って言うでしょ」
 そういう気分なんだよ。楽しそうに語る男に、頭がおかしいんじゃないですか、と菊は毒を吐くが、彼には全く効いていない。
「それはあくまでも比喩であって、本気で死ぬわけではありません、よ……っ」
「まあいいや。勝手にキスするね」
 突然、厚みのある冷たい唇に菊の言葉は奪われる。唇をこじ開けようとする温度のない舌に、菊は大人しく口を開けた。
作品名:掌編 『鼓動』 作家名:からくり