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おとこのこ

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「やーい!立向居のへなちょこキーパー!」
「そんなことでおれ、怒ったりしませんから」

授業が終わって部室へ向かおうと歩き出した立向居の前に、口元に意地悪な笑みをたたえた同級生が立ちふさがった。
立向居はフイと顔を背け、彼を避けて廊下を早足で歩き出した。
彼は同じクラスのガキ大将のような存在でクラスの誰も逆らうことができない。
しかし、立向居はダメなことはダメとはっきり言う、正義感の強い性格だったのが災いした。彼はことあるごとに自分に逆らう立向居が気にくわなかったのだろう。
最近はいつもこうして立向居にちょっかいを出してくる。
「すかしちゃってつまんねーのー。おまえさぁ、いっつも円堂さぁん円堂さぁんって言ってるけどもしかしてホモかなんか?」
手を頭の後ろで組んで立向居の横顔を覗き込みながらニヤニヤ笑う相手を無視して立向居は歩みを速める。
いつものことだ。無視していたら飽きるだろう。
「その円堂さんって奴もホモなわけ?お前ら男同士で付き合って気持ちわりぃ-!」
まさか円堂のこと言われるとは思っていなかった立向居は驚きと怒りでぐっと拳を握り立ち止まった。ハハッと声を上げて笑った相手を睨み付ける。
相手としては予想外にいい反応が返ってきた、と内心ほくそ笑んだ。
「おれのことはなんて言おうとかまいません。でも円堂さんのことを悪く言うなら、おれだって黙ってませんよ!」
「へー!やんのかよ、優しい優しい勇気くんにできるかなぁー?そんな細っこい腕でマジでキーパーなんかやってんの?いっちょまえに睨み付けたりしてるけど、ぜーんぜん怖くないねぇー!」
「…っ!そんなに言うならおれだって黙ってないですよ!」
立向居が握った拳を振り上げると、相手は一歩下がっておどけたように笑った。
「へー!手出しちゃっていいのかなぁ?サッカー部が部活停止になるんじゃないのぉ?オレは別にいいけどな!」
サッカー部という言葉に頭に血が上りかけていた立向居は少し冷静になった。
「くっ…!おれは円堂さんを尊敬してるだけです!君には関係ないでしょう!もうおれにかまわないで下さい!」
立向居はそれだけ言うと、部室に向かってさっさと歩き出した。もうこれ以上彼とは話していたくなかったし、何より怒りで手を出してしまいそうだった。そしてもしそうなっては、サッカー部の皆に迷惑がかかると思ったからだ。
ここをまっすぐ行けば部室はもうすぐだ。さすがに部室の中にまでは入ってこないだろう。
「なんだよ、ムキになって…。あ、本当にホモだから怒ったんだろ?」
歩みを速めた立向居の後ろで彼が言った。
「なぁー!みんなぁー!!立向居と二年の円堂ってホモなんだぜー!!」
授業が終わり皆がそれぞれの部室へと行こうとするこの時間の校庭には、色々な学年の生徒が男女問わずたくさんいた。
彼の声はここら辺にいる生徒がこちらに注目するのに充分な大きさだった。
「ち、違います!ホモなんかじゃありません!!」
立向居は慌ててこちらに注目している生徒たちに向かって言った。
自分がホモ扱いされるだけならまだしも、敬愛する円堂までそんな扱いされてはごめんだ。自分のせいで円堂にまで変な噂が立つのは嫌だし、悲しかった。
「どうしてそんなこと言うんですか!もういい加減にして下さい!怒りますよ!」
「もう怒ってんじゃん。そんなにムキになるってことがお前らがホモだって証拠だよ!」
「言わせておけばぁ!」
立向居は相手に詰め寄り掴みかかった。立向居が本当に手を出すとは思っていなかったのだろう。相手はとっさのことに何もできず、背中から地面に倒れた。
「うわぁ!くそっ!はなせよ!!」
「円堂さんに謝るまで許しません!!」
立向居は相手に馬乗りになっておさえこむ。相手も必死になって暴れて立向居の顔をひっかいたり、殴ったりとがむしゃらに手を振り回した。
「お、おい!二人ともやめろ!」
サッカー部の部室前での騒ぎに、気づいた部員が慌てて出てきて二人を引き離す。
「立向居、落ち着けって!いったいどうしたんだよ!」
引き離されてもまだ相手に掴みかかろうとする立向居を羽交い締めにしながら綱海が尋ねた。
「あいつがっ!あいつが円堂さんのこと!!」
「本当のこと言っただけだろ!」
「なんだとぉ!」
引き離されて押さえつけられてもまだケンカしようとする二人をどうしようかと、綱海たちが目配せしている時だった。
「なんの騒ぎだ」
「響木監督!」
雷門サッカー部の監督である響木がゆっくりと歩いて来た。
響木の姿を見て自分がやってしまったことに気づいた立向居は暴れるのをやめて俯いて視線をそらした。
「立向居が先に殴りかかってきたんだ!」
「そうなのか?立向居」
立向居と同じく羽交い締めにされている少年の言葉に、響木がサングラス越しに立向居を見つめ尋ねた。綱海たち上級生も立向居の返答を待っているのが気配でわかった。
自分が先に手を出したと言ったらみんなどう思うだろう?失望するだろうか?でも仕方なかったんだ。円堂さんのことをあんな風に言われて黙ってなんかいられなかった。それでもやっぱり自分が悪いのだろうか。きっとみんな呆れてしまうだろう。今までずっと自分は何を言われても我慢してきたのに。たった一回、しかも円堂さんのことを悪く言われたから怒っただけなのに。
「立向居、どうなんだ?」
響木が立向居に一歩詰め寄った。
立向居は悔しさと悲しさで鼻の奥がツンとなるのを感じた。
「だ、だって、だって円堂さんのこと…!う、うぇ…、だから、おれ、おこってぇ、ヒック…」
立向居の言葉はそこまでしか聞き取れなかった。しゃくり上げる声にかき消されて所々日本語らしい言葉が聞こえるくらいだ。
「い、いつも、おれ、我慢して…れも、あ、あっちがしゃきに、ヒック…みんなに、きこえるように、いうから、おれ、やめてって、いったのに…ヒック…!うぇ…ヒック…!」
立向居が誰かに掴みかかってケンカしたのも驚きだが、まさかこんなふうに泣くなんて、とその場にいる誰もが思った。よく考えれば立向居はまだ一年生で、去年までランドセルを背負っていたのだ。仕方ないと言えば仕方ない。
「お、おい、立向居…。泣いてちゃわかんないぞ?話は聞くから少し落ち着け」
小さい子供に泣かれてどうしていいかわからない響木に代わって、風丸が立向居の頭をなでながら尋ねた。
「うぅ…ヒック…!らって…えんじょうしゃんのころ…わりゅく…いうからっ…!」
「あー、立向居。落ち着けって」
立向居の子供らしい泣き方に、先輩たちももう苦笑するしかなく、なんとも言えない雰囲気が流れた。
しかしその雰囲気を壊したのは彼だった。
「な、なんだよ!円堂さん円堂さんって!おまえ変なんじゃねーの!ガキみたいにピーピー泣いてんじゃねぇよ!オレはお前にちょっと突き飛ばされたくらい、痛くもかゆくもねーんだよ!」
立向居とケンカしていた少年は、泣きじゃくる立向居にそれだけ一気にまくしたてると、今度は響木や綱海たちに向き直って言った。
「別にこんなの、ケンカじゃねーよ!オレがこいつからかったら泣き出しただけだよ!だからオレが悪いんだよ!もういいこれでいいだろ!さっさとサッカーでも玉蹴りでも始めろよ!」
作品名:おとこのこ 作家名:犬川ム