I do not hand it to only you
最高の捨て台詞だったぜ。
【I do not hand it to only you】
俺のトコにこいつを置いておくのも、今日で最後か。
そう思いつつ、アーサーは荷作りをしている人物をちらりと見た。
誰かによく似た黒髪と瞳、そして装束。
一瞬、その誰かの姿がダブって、アーサーは驚いて目を瞬かせた。
彼の視線に気付いたのか、でかいトランクに荷物を詰める手を止めて、その人はアーサーを見た。
「……なんか用?」
きりりとつり上がった眉は、この百年の間に何故か鋭さを増していて、寡黙な彼をある意味引き立たせている。
アーサーは何食わぬ顔で、
「いや、何でもねぇ。それより、早く支度しちまえよ?香」
と言った。
香は疑問符を浮かべながらも、すぐに作業に戻った。
アーサーは窓から見える空を見上げながら、これまでのことに思いを馳せる。
そう遠くない昔、あいつを手中に収めるために、俺は香を人質にした。
引き離されていた間――二人は互いに何を考えていたのだろう。
大戦の時も、冷戦下でも。
そして今、これから再会するのだという時も。
……そういえば、二十年前くらいに香をあいつの家に帰す期限が近付いて来たからと、俺があいつん家で共同声明出した時だったか。
あいつは、色々照れ隠しに文句垂れてた俺を見て、「仕方無い奴だ」と笑った。
過去のことを思い出したはずなのに、相変わらず気丈というか。
久し振りに見た笑顔に、また惚れ直しちまったのは秘密。
ドスン、という音で、自身の思考に埋没していたアーサーの意識が、現実に引き戻される。
香が荷作りを終えたようで、トランクを床に立てて置いたのだ。
変わらず無表情気味な顔で、香はアーサーに言う。
「終わったけど……いつ行くんスか?」
急かすような言い回しをする辺り、いよいよ再会出来る事に喜びを隠しきれていない。
微笑ましい様子に、アーサーは思わず笑った。
「んな急ぐなって。心配しなくても兄貴に会えるぜ?ん、ちょっと日程確認してくる」
自室へと向かったその背中を見送りながら、香はひとり呟いた。
「嬉しそうなのは……アーサーもじゃんか」
*
いよいよ出発の時刻。
飛行場へ向かう車の前で、アーサーが待っていた。
香はよたよたと、トランクを抱えてそちらに向かっていく。
「おぉ、大丈夫か?」
「うん……よっと。マジ重かった……」
「お疲れさん。さて、忘れモンねぇな?」
「Of course」
「よし、じゃあ行くとするか」
かくして、二人を乗せた車は前進を始めた。
――車中でも機内でも、必要な睡眠以外、香は移ろいゆく景色をずっと見ていたという。
*
「おい、おい香」
「んむ……?」
「着いたぞ、中国だ」
香のまどろんでいた意識は、アーサーのその一言で瞬時に覚醒した。
ガバッと起き上がると、少々慌て気味に身支度を整える。
アーサーは思わず噴き出した。
「ぷっ……ははははっ!」
笑い声にピタリと動きを止めた香は、あからさまな自分の行動に、ほんの少し赤面した。
「だから、そんな急ぐなって言ってるだろ。今は夜だし、式典は明日だ。今日はゆっくり休んどけよな」
香の頭をくしゃりと撫でて、アーサーは手荷物やらを持って小さな飛行機の外へと向かっていった。
その後を追って、香も外へ出る。
それから、二人は宿泊するホテルへ行き、それぞれ休養を取る事になった。
食事や風呂を済ませ、自室に戻ろうとした時に、香はロビーで何やら電話をしているアーサーを見かけた。
なんとなく気になった香は、彼に気付かれない位置でそれを見守った。
途切れ途切れに、誰かと会話をする声が聞こえてくる。
「……あぁ、元気だぞ。あいつってば、楽しみすぎて空港に着いた時大慌てしてやがんの!はははっ……あぁ、うん……うん……。なんかごめんな……っておい!笑うなよ!え?……はぁ……お前ってヤツは――いや、なんでもねぇ。……あー……まぁ、なんだ。とりあえず明日な。いきなり電話してすまねぇ。……おまっ!……うん、あぁ、それじゃ」
アーサーが受話器を置くか置かないかの刹那、香はその場を立ち去っていた。
階段を上がりながら、先程のアーサーの表情を思い出す。
笑っていた。
滅多にそういう顔はしないのに、とても、楽しそうに。
それに、“明日”と言っていたから……相手は、たぶん。
部屋に辿り着いて、ドアを閉める。
窓に映った自分の顔は、酷く不満気だった。
――…やっぱりな。
別に、アーサーが嬉しそうだったからじゃなくて。
電話の向こうに居たのが、“あの人”だったから。
(俺は、あの人を)
***
「老師、随分賑やかな電話だったね?」
「あいやー、そうだったあるか?」
「うん。凄く楽しそうだったよー」
「うへっ!アイツとの会話で楽しそうだなんて屈辱あるね……」
「あはは、老師ったら。それで、電話の人の用件って何だったの?」
「聞いて驚くあるよ……」
「え……何……?」
「明日、いよいよ香が帰ってくるある!!」
「あーっ!そういえばその日だったぁ!なんで忘れてたのかなー、やだっ!」
「ははは!明日は良い日になるあるねー」
***
当日の朝を迎えた。
アーサーは予定通りに起床し、身支度、食事と済ませていく。
出発や開場の時刻を聞き、手荷物を取りに自室へ戻った。
そこでふと気付く。
「あれ……香は?」
部屋を訪ねてみたが、そこはもぬけの殻だった。
きっとまだ、ホテルの何処かには居るはず。
出発まで余裕があることを確認したアーサーは、とりあえず彼を捜し歩くことにした。
しばらくして、アーサーはやっと香を見つけた。
其処は、ホテルの屋上。
香は遠くをぼうっと見つめていたが、ドアが閉まる音でアーサーに振り向いた。
「あれ、アーサーじゃん」
「あれ、じゃねーよ……もう少ししたら出るからな。ん?お前荷物は?」
「先に車に積んでもらった」
「そこはちゃんとしてんのかよ」
「ん、まぁね。ゆっくり空見てたかったっつーか」
「空……」
見上げると、新たな始まりに似つかわしい、清々しく晴れ渡った青空が広がっていた。
(香は、あいつの事でも考えてたんだろうか)
アーサーは踵を返して、香に言った。
「……行くぞ」
「オッケー」
*
会場に着くと、二人は何故だか緊張してしまった。
これから、あの人に会うのだと思うと……。
一旦控え室に入ってから、しばらくして会場での式典へ。
会場に入ると、香はあまりに沢山の人が居ることに驚いたが、それより。
壇上の人の中に、敬愛するあの人――兄の姿を見つけて、思わず立ち止まってしまった。
後から来ていたアーサーが香にぶつかり、不満気に声をあげた。
「香っ!何してんだよ、さっさと上れって」
「あ……sorry」
席に着いてからも、香はそわそわしてばかりだった。
そんな香を見かねて、アーサーがその背中をポンポンと軽く叩く。
「大丈夫、家族なんだろ。かしこまらなくても自然に迎え入れてくれるさ」
「……そうッスよね」
「もうちょっと嬉しそうにしろよ。やっと帰れるんだぜ?」
アーサーは中国側の席へと視線を移す。
香もそれに続いて、右の方を見てみた。
【I do not hand it to only you】
俺のトコにこいつを置いておくのも、今日で最後か。
そう思いつつ、アーサーは荷作りをしている人物をちらりと見た。
誰かによく似た黒髪と瞳、そして装束。
一瞬、その誰かの姿がダブって、アーサーは驚いて目を瞬かせた。
彼の視線に気付いたのか、でかいトランクに荷物を詰める手を止めて、その人はアーサーを見た。
「……なんか用?」
きりりとつり上がった眉は、この百年の間に何故か鋭さを増していて、寡黙な彼をある意味引き立たせている。
アーサーは何食わぬ顔で、
「いや、何でもねぇ。それより、早く支度しちまえよ?香」
と言った。
香は疑問符を浮かべながらも、すぐに作業に戻った。
アーサーは窓から見える空を見上げながら、これまでのことに思いを馳せる。
そう遠くない昔、あいつを手中に収めるために、俺は香を人質にした。
引き離されていた間――二人は互いに何を考えていたのだろう。
大戦の時も、冷戦下でも。
そして今、これから再会するのだという時も。
……そういえば、二十年前くらいに香をあいつの家に帰す期限が近付いて来たからと、俺があいつん家で共同声明出した時だったか。
あいつは、色々照れ隠しに文句垂れてた俺を見て、「仕方無い奴だ」と笑った。
過去のことを思い出したはずなのに、相変わらず気丈というか。
久し振りに見た笑顔に、また惚れ直しちまったのは秘密。
ドスン、という音で、自身の思考に埋没していたアーサーの意識が、現実に引き戻される。
香が荷作りを終えたようで、トランクを床に立てて置いたのだ。
変わらず無表情気味な顔で、香はアーサーに言う。
「終わったけど……いつ行くんスか?」
急かすような言い回しをする辺り、いよいよ再会出来る事に喜びを隠しきれていない。
微笑ましい様子に、アーサーは思わず笑った。
「んな急ぐなって。心配しなくても兄貴に会えるぜ?ん、ちょっと日程確認してくる」
自室へと向かったその背中を見送りながら、香はひとり呟いた。
「嬉しそうなのは……アーサーもじゃんか」
*
いよいよ出発の時刻。
飛行場へ向かう車の前で、アーサーが待っていた。
香はよたよたと、トランクを抱えてそちらに向かっていく。
「おぉ、大丈夫か?」
「うん……よっと。マジ重かった……」
「お疲れさん。さて、忘れモンねぇな?」
「Of course」
「よし、じゃあ行くとするか」
かくして、二人を乗せた車は前進を始めた。
――車中でも機内でも、必要な睡眠以外、香は移ろいゆく景色をずっと見ていたという。
*
「おい、おい香」
「んむ……?」
「着いたぞ、中国だ」
香のまどろんでいた意識は、アーサーのその一言で瞬時に覚醒した。
ガバッと起き上がると、少々慌て気味に身支度を整える。
アーサーは思わず噴き出した。
「ぷっ……ははははっ!」
笑い声にピタリと動きを止めた香は、あからさまな自分の行動に、ほんの少し赤面した。
「だから、そんな急ぐなって言ってるだろ。今は夜だし、式典は明日だ。今日はゆっくり休んどけよな」
香の頭をくしゃりと撫でて、アーサーは手荷物やらを持って小さな飛行機の外へと向かっていった。
その後を追って、香も外へ出る。
それから、二人は宿泊するホテルへ行き、それぞれ休養を取る事になった。
食事や風呂を済ませ、自室に戻ろうとした時に、香はロビーで何やら電話をしているアーサーを見かけた。
なんとなく気になった香は、彼に気付かれない位置でそれを見守った。
途切れ途切れに、誰かと会話をする声が聞こえてくる。
「……あぁ、元気だぞ。あいつってば、楽しみすぎて空港に着いた時大慌てしてやがんの!はははっ……あぁ、うん……うん……。なんかごめんな……っておい!笑うなよ!え?……はぁ……お前ってヤツは――いや、なんでもねぇ。……あー……まぁ、なんだ。とりあえず明日な。いきなり電話してすまねぇ。……おまっ!……うん、あぁ、それじゃ」
アーサーが受話器を置くか置かないかの刹那、香はその場を立ち去っていた。
階段を上がりながら、先程のアーサーの表情を思い出す。
笑っていた。
滅多にそういう顔はしないのに、とても、楽しそうに。
それに、“明日”と言っていたから……相手は、たぶん。
部屋に辿り着いて、ドアを閉める。
窓に映った自分の顔は、酷く不満気だった。
――…やっぱりな。
別に、アーサーが嬉しそうだったからじゃなくて。
電話の向こうに居たのが、“あの人”だったから。
(俺は、あの人を)
***
「老師、随分賑やかな電話だったね?」
「あいやー、そうだったあるか?」
「うん。凄く楽しそうだったよー」
「うへっ!アイツとの会話で楽しそうだなんて屈辱あるね……」
「あはは、老師ったら。それで、電話の人の用件って何だったの?」
「聞いて驚くあるよ……」
「え……何……?」
「明日、いよいよ香が帰ってくるある!!」
「あーっ!そういえばその日だったぁ!なんで忘れてたのかなー、やだっ!」
「ははは!明日は良い日になるあるねー」
***
当日の朝を迎えた。
アーサーは予定通りに起床し、身支度、食事と済ませていく。
出発や開場の時刻を聞き、手荷物を取りに自室へ戻った。
そこでふと気付く。
「あれ……香は?」
部屋を訪ねてみたが、そこはもぬけの殻だった。
きっとまだ、ホテルの何処かには居るはず。
出発まで余裕があることを確認したアーサーは、とりあえず彼を捜し歩くことにした。
しばらくして、アーサーはやっと香を見つけた。
其処は、ホテルの屋上。
香は遠くをぼうっと見つめていたが、ドアが閉まる音でアーサーに振り向いた。
「あれ、アーサーじゃん」
「あれ、じゃねーよ……もう少ししたら出るからな。ん?お前荷物は?」
「先に車に積んでもらった」
「そこはちゃんとしてんのかよ」
「ん、まぁね。ゆっくり空見てたかったっつーか」
「空……」
見上げると、新たな始まりに似つかわしい、清々しく晴れ渡った青空が広がっていた。
(香は、あいつの事でも考えてたんだろうか)
アーサーは踵を返して、香に言った。
「……行くぞ」
「オッケー」
*
会場に着くと、二人は何故だか緊張してしまった。
これから、あの人に会うのだと思うと……。
一旦控え室に入ってから、しばらくして会場での式典へ。
会場に入ると、香はあまりに沢山の人が居ることに驚いたが、それより。
壇上の人の中に、敬愛するあの人――兄の姿を見つけて、思わず立ち止まってしまった。
後から来ていたアーサーが香にぶつかり、不満気に声をあげた。
「香っ!何してんだよ、さっさと上れって」
「あ……sorry」
席に着いてからも、香はそわそわしてばかりだった。
そんな香を見かねて、アーサーがその背中をポンポンと軽く叩く。
「大丈夫、家族なんだろ。かしこまらなくても自然に迎え入れてくれるさ」
「……そうッスよね」
「もうちょっと嬉しそうにしろよ。やっと帰れるんだぜ?」
アーサーは中国側の席へと視線を移す。
香もそれに続いて、右の方を見てみた。
作品名:I do not hand it to only you 作家名:三ノ宮 倖