理想を夢見るマザーファッカーの最後の独白
青白い顔でイギリスは吐いていた。真っ白で冷たく硬い肌の恋人を熱烈に抱きしめて死に体で床に倒れ込んでいる姿は無様ですらある。こんな姿は衆目にさらしていいものではないだろう。かつての大英帝国さま、普段紳士を気取っている男とは思えない姿である。が、見慣れないものでは決してないのだから、この男の本性というのも大概である。
横目で吐瀉物をみやれば半ば予想していたことではあるけれど食物らしきものは見当たらない。つんとした胃液の酸っぱい匂いと痛烈なアルコール臭を発しているのだからそれも当然だろう。わかっていたことではあったけれど、思わずフランスは眉間に皺を寄せてしまう。
バッコスとうまく付き合うやり方を知らないのか、あるいはもともとそんなつもりなどさらさらないのか、胃に食物をいれることもせずにただただアルコールだけを摂取し続けるような飲み方を、イギリスはよくする。そんなことをすればどんな強肝臓の持ち主であろうとも悪酔いするに決まっているし、第一、そんな流し込むような飲み方ではどんな名酒だって美味なはずがないのに。
ため息をつきながらフランスは便器に熱烈なキスをしている痩せた男の背中をそっと撫でた。薄い背中。さわるな、とこっちの好意を邪見にするような声ははいはい、と聞き流す。こういうときのイギリスの言葉など適度に相手をして、適度に聞き流すのが一番であることを、長年の経験からフランスはよくわかっていた。イギリスは、わかりやすくわかりにくい天邪鬼なのである。
「なぁにやってんだよ、お前は」
「うっせぇよ、ばか」
背中を撫でる手は止めずに揶揄をすれば即座に返される辛辣な言葉にフランスは鼻白むより先に笑ってしまう。気持ちが悪くて便器に縋り付いて倒れかかっているくせに、悪罵だけは忘れない。むしろ普段よりも険があるのは一応は被っていた体面というジャケットを脱ぎ捨ててしまったからであろう。ただ、そちらのほうがイギリスらしい、とも思う。回りくどい皮肉よりも痛烈な罵り、真綿で首を締めるよりも怜悧な刃物の一撃や幾百の矢の雨のほうがずっとこの男らしい。
「だいたい、お前、なんでいるんだよ」
少しは落ち着いたのだろう。口元を拭いながら漸くそこに気づいたらしいイギリスにペットボトルの水を手渡してやりながら、フランスは御丁寧に電話をいれてきた悪友の、何でもお見通しだけど別に何も全く興味はない、ただこちらが困るのを面白がっている、ということを一切まったく隠そうという気するすらない、のんびりした調子を思い出して苦笑を浮かべる。
「今更説明が必要か? お前がヨーロッパで酒を飲んで暴れてたらお兄さんのところに回収命令がとんでくるの。それが嫌なら自分ちで飲みなさいよ。だいたい、スペインの家なんて一番俺が呼ばれんじゃん」
イギリスの回収係、などという面倒な役回りがフランスに定着したのはいつのことなのか。飲んで暴れるならばせめて国内にすればいいものを。まあ国内でもさんざんやらかしているのだろうけれど、時折、この男はひとりで他国にやってきては浴びるように酒を飲んでは暴れまわる悪癖がある。そしてそのたびにフランスが回収する羽目になるのだ。
「……吐く」
水を口にした途端、再び吐き気が舞い戻ってきたらしい。再び便器の中に顔をつっこんだイギリスの手から落ちそうになったペットボトルをキャッチして蓋を閉める。苦しそうに噎せて咳き込むイギリスは先程のフランスの言葉なんて聞いてはいなかったのだろうし、尋ねたことすら記憶にないのかもしれない。だいたい、イギリスはフランスがこうして酔いつぶれたイギリスを迎え来るたびに同じことを聞くのだ。答えを聞いているのかいないのかわからないのもいつもと同じ。分かっていても文句つけずにはいらけないのだろう。フランスにも分からないことではない。この隣国の手料理を見るたびに、フランスだって、呆れと半ばの義務感から見るからに不味そうだ、と感想を述べずにはいられない。おそらくはそれと同じことなのだろう。
「あーあー、はいはいはい。心ゆくまで吐いてすっきりしちゃいなさい」
フランスは小さく笑う。イギリスの薄い背中が震えた。苦しいのだろうか。慰めるように撫でてやると、肩の震えが止まるから、フランスは参ってしまう。肩甲骨が浮き出た細い背中。乱れたシャツの襟元からのぞく項が、ふと目にとまる。酒精によってほんのりと赤く染まった白い肌。ふと、思う。ここにかぶりつきたいな。思ってしまえば、衝動のまま。ああ、またスペインに馬鹿にしたような、困ったものを見るような、それでいて呆れたような目で見られてしまう。それは御免なのだけれど、それでもやっぱりその衝動を、気づけば実行に移してしまっていた。熱を孕んだ項。きんいろの産毛。ほそい首。そして何よりもいいのは、びくり、と震える体だ。
「ねぇ、坊ちゃん、なんで泣いてたの?」
甘ったるい声だ。自分が聞いてもそう思うのだから、相当に甘い声を出している。俯いているイギリスの顔を覗き込めば、うつくしい緑色の瞳にたっぷりの涙を滲ませて耐えるように唇を噛んでいる。真っ赤な目。赤い頬。涙の痕。ああ、また泣くなぁ。今にもその大きな目からぽろぽろと大粒の涙が溢れてきそうだ。その涙をぬぐいとってやることは吝かではないのだけれど。それでもまず先に、聞いておかなければいけないことがあった。それなしでは先には進めない。イギリスが迎えに来たフランスを罵倒するように、フランスがイギリスの料理を馬鹿にするように。
ねぇ、教えてよ。そう耳元でさささやくと、イギリスの真っ赤な顔が、更に真っ赤になった。リンゴみたいと笑うと、ばか、とイギリスが小さく悪態をついた。
唇からこぼれる甘えるような罵倒はイギリスの常套文句だ。そういえば最近は聞いていなかったかもしれない。イギリスはとてもわかりにくく寂しがり屋で、甘えただ。べたべたと触られることを嫌うくせに、その手が離れてしまうと途端に寂しそうな顔をする。たった一瞬のことだからほとんど誰も気づかない。けれど気づいてしまったならば、誰であれ彼を甘やかさずにはいられないだろう。だってその表情といったら、稚い子供が迷子になって途方に暮れて母を呼ぶときのような、絶望と悲嘆に塗れたかなしい目をしているのだから。
もういちど、彼はばか。と言った。力のないこえ。ああかわいいなあ。どうしようもなく湧き上がってきた感情にフランスは苦笑する。まったく、自分も懲りない。
「ねぇ、教えてくれる?」
かたくなにフランスと目を合わせないように便器をから顔をあげないイギリスの顔を自分の方に向けさせて耳元でささやけば、イギリスは少しだけ口ごもったあとで諦めたようにため息をついた。
「もう、聞いてんだろ? あいつと、アメリカと、別れたんだよ。振られた」
「うん、聞いた」
横目で吐瀉物をみやれば半ば予想していたことではあるけれど食物らしきものは見当たらない。つんとした胃液の酸っぱい匂いと痛烈なアルコール臭を発しているのだからそれも当然だろう。わかっていたことではあったけれど、思わずフランスは眉間に皺を寄せてしまう。
バッコスとうまく付き合うやり方を知らないのか、あるいはもともとそんなつもりなどさらさらないのか、胃に食物をいれることもせずにただただアルコールだけを摂取し続けるような飲み方を、イギリスはよくする。そんなことをすればどんな強肝臓の持ち主であろうとも悪酔いするに決まっているし、第一、そんな流し込むような飲み方ではどんな名酒だって美味なはずがないのに。
ため息をつきながらフランスは便器に熱烈なキスをしている痩せた男の背中をそっと撫でた。薄い背中。さわるな、とこっちの好意を邪見にするような声ははいはい、と聞き流す。こういうときのイギリスの言葉など適度に相手をして、適度に聞き流すのが一番であることを、長年の経験からフランスはよくわかっていた。イギリスは、わかりやすくわかりにくい天邪鬼なのである。
「なぁにやってんだよ、お前は」
「うっせぇよ、ばか」
背中を撫でる手は止めずに揶揄をすれば即座に返される辛辣な言葉にフランスは鼻白むより先に笑ってしまう。気持ちが悪くて便器に縋り付いて倒れかかっているくせに、悪罵だけは忘れない。むしろ普段よりも険があるのは一応は被っていた体面というジャケットを脱ぎ捨ててしまったからであろう。ただ、そちらのほうがイギリスらしい、とも思う。回りくどい皮肉よりも痛烈な罵り、真綿で首を締めるよりも怜悧な刃物の一撃や幾百の矢の雨のほうがずっとこの男らしい。
「だいたい、お前、なんでいるんだよ」
少しは落ち着いたのだろう。口元を拭いながら漸くそこに気づいたらしいイギリスにペットボトルの水を手渡してやりながら、フランスは御丁寧に電話をいれてきた悪友の、何でもお見通しだけど別に何も全く興味はない、ただこちらが困るのを面白がっている、ということを一切まったく隠そうという気するすらない、のんびりした調子を思い出して苦笑を浮かべる。
「今更説明が必要か? お前がヨーロッパで酒を飲んで暴れてたらお兄さんのところに回収命令がとんでくるの。それが嫌なら自分ちで飲みなさいよ。だいたい、スペインの家なんて一番俺が呼ばれんじゃん」
イギリスの回収係、などという面倒な役回りがフランスに定着したのはいつのことなのか。飲んで暴れるならばせめて国内にすればいいものを。まあ国内でもさんざんやらかしているのだろうけれど、時折、この男はひとりで他国にやってきては浴びるように酒を飲んでは暴れまわる悪癖がある。そしてそのたびにフランスが回収する羽目になるのだ。
「……吐く」
水を口にした途端、再び吐き気が舞い戻ってきたらしい。再び便器の中に顔をつっこんだイギリスの手から落ちそうになったペットボトルをキャッチして蓋を閉める。苦しそうに噎せて咳き込むイギリスは先程のフランスの言葉なんて聞いてはいなかったのだろうし、尋ねたことすら記憶にないのかもしれない。だいたい、イギリスはフランスがこうして酔いつぶれたイギリスを迎え来るたびに同じことを聞くのだ。答えを聞いているのかいないのかわからないのもいつもと同じ。分かっていても文句つけずにはいらけないのだろう。フランスにも分からないことではない。この隣国の手料理を見るたびに、フランスだって、呆れと半ばの義務感から見るからに不味そうだ、と感想を述べずにはいられない。おそらくはそれと同じことなのだろう。
「あーあー、はいはいはい。心ゆくまで吐いてすっきりしちゃいなさい」
フランスは小さく笑う。イギリスの薄い背中が震えた。苦しいのだろうか。慰めるように撫でてやると、肩の震えが止まるから、フランスは参ってしまう。肩甲骨が浮き出た細い背中。乱れたシャツの襟元からのぞく項が、ふと目にとまる。酒精によってほんのりと赤く染まった白い肌。ふと、思う。ここにかぶりつきたいな。思ってしまえば、衝動のまま。ああ、またスペインに馬鹿にしたような、困ったものを見るような、それでいて呆れたような目で見られてしまう。それは御免なのだけれど、それでもやっぱりその衝動を、気づけば実行に移してしまっていた。熱を孕んだ項。きんいろの産毛。ほそい首。そして何よりもいいのは、びくり、と震える体だ。
「ねぇ、坊ちゃん、なんで泣いてたの?」
甘ったるい声だ。自分が聞いてもそう思うのだから、相当に甘い声を出している。俯いているイギリスの顔を覗き込めば、うつくしい緑色の瞳にたっぷりの涙を滲ませて耐えるように唇を噛んでいる。真っ赤な目。赤い頬。涙の痕。ああ、また泣くなぁ。今にもその大きな目からぽろぽろと大粒の涙が溢れてきそうだ。その涙をぬぐいとってやることは吝かではないのだけれど。それでもまず先に、聞いておかなければいけないことがあった。それなしでは先には進めない。イギリスが迎えに来たフランスを罵倒するように、フランスがイギリスの料理を馬鹿にするように。
ねぇ、教えてよ。そう耳元でさささやくと、イギリスの真っ赤な顔が、更に真っ赤になった。リンゴみたいと笑うと、ばか、とイギリスが小さく悪態をついた。
唇からこぼれる甘えるような罵倒はイギリスの常套文句だ。そういえば最近は聞いていなかったかもしれない。イギリスはとてもわかりにくく寂しがり屋で、甘えただ。べたべたと触られることを嫌うくせに、その手が離れてしまうと途端に寂しそうな顔をする。たった一瞬のことだからほとんど誰も気づかない。けれど気づいてしまったならば、誰であれ彼を甘やかさずにはいられないだろう。だってその表情といったら、稚い子供が迷子になって途方に暮れて母を呼ぶときのような、絶望と悲嘆に塗れたかなしい目をしているのだから。
もういちど、彼はばか。と言った。力のないこえ。ああかわいいなあ。どうしようもなく湧き上がってきた感情にフランスは苦笑する。まったく、自分も懲りない。
「ねぇ、教えてくれる?」
かたくなにフランスと目を合わせないように便器をから顔をあげないイギリスの顔を自分の方に向けさせて耳元でささやけば、イギリスは少しだけ口ごもったあとで諦めたようにため息をついた。
「もう、聞いてんだろ? あいつと、アメリカと、別れたんだよ。振られた」
「うん、聞いた」
作品名:理想を夢見るマザーファッカーの最後の独白 作家名:はな