鬼隠し
その村には遠く昔から鬼が住まわっていた。
鬼は天災をもたらし、村の家畜や女、子供を食らい、村人たちを脅かした。
しかしその鬼を退治しようと立ち上がった者が居た。翡翠の瞳と栗色の髪の青年、ロックオン・ストラトスだ。彼は村人たちから勇敢だと有名だった。そんな彼が立ち上がり、三日三晩寝ず食わずで死闘を繰り広げた後、彼はとうとう鬼退治を成し遂げたのだ。
以来、彼の家は代々讃えられ、この伝説を知らぬ者は居ないほどだ。
「四代目、ロックオンの就任です」
三代目ロックオン…ニールの父が亡くなったのはつい七日ばかり前のことだ。
ロックオン・ストラトスの鬼退治以来、彼の子孫である家長は代々勇敢な彼の名から由来する「ロックオン」を役職名として鬼の監視役を継ぐことになっている。とは言え、初代の時代とは異なり今の世は鬼の居ぬ世。特別することもなく、ただ村の安泰の象徴として存在するのだ。今もなお村人たちが「ロックオン」を慕うのは、初代の素晴らしい活躍と代々引き継いでいる誰からも慕われる優しくて勇敢で誠実な人柄にあった。
その「ロックオン」に、先代ロックオンの第一子であったニールが就いたのだ。
彼自身はロックオンの地位に興味が無かったが、第一子が継ぐというのがロックオンの規則であった。
堅苦しい儀式を終えたニールは堅苦しい羽織の紐を緩めながら大きなため息をついた。
「俺が今日から『ロックオン』か…」
正直、そんな実感が湧かない。
先代ロックオンであったニールの父はロックオンとしての職務が忙しく、家庭にはあまり姿を見せない人だった。彼の仕事場は家の敷地内にはあったが、母屋からは離れていたしロックオン以外近づくことを決して許されなかった。
そんな離れの鍵が、ロックオン継承の儀でニールに渡されたのだ。
儀式に参加した村の長老たちは、ロックオンの全てはその離れにあると話し、それ以上は語らなかった。…いや、それ以上は彼らでさえ知らないのかもしれない。
「百聞は一見にしかず、か」
肩を落として古びた鍵を見つめていたニールは鍵を握り直すと、離れへと続く石畳へ足を降ろした。
それほど大きくはない離れ。昔、弟のライルがいたずら心に此処へ近づき、そこへ運悪くこの離れから出てきた彼らの父に酷く叱られたことがあった。しかしその時の彼の怒り様は尋常ではなく、幼いながらに此処だけは決して近づいてはいけないのだと悟ったのを覚えている。
ガチャリ
錠は重々しい音を立てて開いた。
「ここに、『ロックオン』の全てがある、か」
そしてあのときの父の怒りの理由もここにあるのだろうか。
薄暗い室内に足を踏み入れ、扉を後ろ手に閉めて中から施錠をすると、燭台に火を灯した。ゆらりと揺れて照らし出した室内は、多くの書物や机が置かれている。ここを書斎として仕事をしていたのだろう。
足下に落ちていた書物に気づき、それを拾おうと屈むと、床に違和感があることに気がついた。奇妙な出っ張りがあるのだ。まるで、その床が扉になっているかのように…。本を避け、興味をそそられたニールはその出っ張りを掴むと、ゆっくりと引いた。すると案の定、床の一部が蓋のように開き、ヒト一人が裕に通れるほどの穴に、下へ降りる梯子がかけてあった。
「まるで忍者屋敷だな」
しかし現れた地下への道にすっかり興味を抱いてしまったニールは、ためらうことなく梯子に足をかけて燭台を落とさぬように気を払いながらゆっくりと降りた。
頼りなく軋む梯子を降り終えると、そこは地上の離れより一回り広い部屋になっていた。
「何だ…ここは」
離れに地下室があるなんて思ってもみなかった。
「こんにちは」
すると突然、居るはずのないニール以外の人の声が暗い部屋に響いた。ニールは驚いて声のした方を振り返り、燭台でそちらをてらすとそこには見知らぬヒトが居て、思わず声を上げそうになった。
「はじめまして、四代目ロックオン」
蝋燭の光にぼんやりと照らされたヒト…ニールとそれほど変わらぬ年頃の青年が微笑んでいた。
「お前さん…何者だ?どうしてここに…」
ここは村の長老たちも、家族でさえ近づくことを許されなかった場所。そしてニールがここに来たときには確かに外側から鍵がかけられていたはずだ。
「僕はアレルヤです」
アレルヤと名乗る青年は、気怠るそうに床に横たわったまま灰色の隻眼でニールを見上げてくる。
部屋の四隅に灯籠があるのに気がつくとそこへ火を移し、再び青年を見つめ返した。穏やかそうな雰囲気に反して、背丈が随分あり体格もがっしりとしているようだった。着崩れた白襦袢から覗く胸とすらりと伸びた足にどきりとし、慌てて視線を逸らすとぎこちなく質問を投げかけた。
「アレルヤ、どうしてお前さんはここに…それに俺がロックオンだと…?」
「だって、そっくりですよ?ロックオンに」
「…父さんに?」
此処にいるということはやはりニールの父である先代を知っているのだろうかと問い返すと、アレルヤはクスリと笑いをこぼした。
「はい、三代目に。それに二代目にも似ているし…もしかすると、初代に一番似ているかも」
「初代だって?」
思いがけない名前に眉を顰めた。
「ロックオン・ストラトスです。貴方は彼と同じ翡翠色の瞳だね。他のロックオンは違ったけど…」
どこか嬉しそうにそう話すアレルヤに、ニールは失笑した。
「はは、待てよ…そんなわけない。初代ロックオンは俺の曾祖父だぜ?俺が生まれたときにはとっくに死んじまってたんだ。俺でさえ会ったこと無いのにどうして…」
「あぁ、まだ貴方には教えていなかったね」
アレルヤはゆっくりと立ち上がると、ニールに歩み寄った。そしてくしゃりと彼の長い前髪をかき上げる。するとそれまで隠れていた彼の右目が露わになった。
「僕は鬼です」
露わになった右目の、その金色に輝く人ならざる異質さに、ニールは息を呑んだ。
「鬼…だって?」
絞り出した声は震えていた。
鬼、それは今となっては昔話に出てくる程度のものだ。この村に住み着き、女や子供を食い、災害をもたらし、村人たちを恐怖に陥れていた鬼…しかしそれを退治したのが、ニールの曾祖父に当たるロックオン・ストラトスだ。
「お前さん、何言ってんだ?鬼は俺の曾祖父が退治した。だから鬼なんてもう存在しないし、冗談にしては時代錯誤過ぎて笑えないぜ?」
ニールは引き吊った笑いを見せるが、アレルヤは至って落ち着いていた。
「でも鬼は確かに此処にこうして存在しているし、僕はあまり上手い冗談を言うのが得意じゃないよ…」
確かにアレルヤ右目はヒトの瞳の色をしていない。金色に輝くそれは、鬼のものとしか言いようがない。
しかしそれでも信じられないニールは強い口調で、怒鳴るように切り返す。
「だが俺は…俺たちは初代ロックオンが退治したと聞いてる!」
鬼は天災をもたらし、村の家畜や女、子供を食らい、村人たちを脅かした。
しかしその鬼を退治しようと立ち上がった者が居た。翡翠の瞳と栗色の髪の青年、ロックオン・ストラトスだ。彼は村人たちから勇敢だと有名だった。そんな彼が立ち上がり、三日三晩寝ず食わずで死闘を繰り広げた後、彼はとうとう鬼退治を成し遂げたのだ。
以来、彼の家は代々讃えられ、この伝説を知らぬ者は居ないほどだ。
「四代目、ロックオンの就任です」
三代目ロックオン…ニールの父が亡くなったのはつい七日ばかり前のことだ。
ロックオン・ストラトスの鬼退治以来、彼の子孫である家長は代々勇敢な彼の名から由来する「ロックオン」を役職名として鬼の監視役を継ぐことになっている。とは言え、初代の時代とは異なり今の世は鬼の居ぬ世。特別することもなく、ただ村の安泰の象徴として存在するのだ。今もなお村人たちが「ロックオン」を慕うのは、初代の素晴らしい活躍と代々引き継いでいる誰からも慕われる優しくて勇敢で誠実な人柄にあった。
その「ロックオン」に、先代ロックオンの第一子であったニールが就いたのだ。
彼自身はロックオンの地位に興味が無かったが、第一子が継ぐというのがロックオンの規則であった。
堅苦しい儀式を終えたニールは堅苦しい羽織の紐を緩めながら大きなため息をついた。
「俺が今日から『ロックオン』か…」
正直、そんな実感が湧かない。
先代ロックオンであったニールの父はロックオンとしての職務が忙しく、家庭にはあまり姿を見せない人だった。彼の仕事場は家の敷地内にはあったが、母屋からは離れていたしロックオン以外近づくことを決して許されなかった。
そんな離れの鍵が、ロックオン継承の儀でニールに渡されたのだ。
儀式に参加した村の長老たちは、ロックオンの全てはその離れにあると話し、それ以上は語らなかった。…いや、それ以上は彼らでさえ知らないのかもしれない。
「百聞は一見にしかず、か」
肩を落として古びた鍵を見つめていたニールは鍵を握り直すと、離れへと続く石畳へ足を降ろした。
それほど大きくはない離れ。昔、弟のライルがいたずら心に此処へ近づき、そこへ運悪くこの離れから出てきた彼らの父に酷く叱られたことがあった。しかしその時の彼の怒り様は尋常ではなく、幼いながらに此処だけは決して近づいてはいけないのだと悟ったのを覚えている。
ガチャリ
錠は重々しい音を立てて開いた。
「ここに、『ロックオン』の全てがある、か」
そしてあのときの父の怒りの理由もここにあるのだろうか。
薄暗い室内に足を踏み入れ、扉を後ろ手に閉めて中から施錠をすると、燭台に火を灯した。ゆらりと揺れて照らし出した室内は、多くの書物や机が置かれている。ここを書斎として仕事をしていたのだろう。
足下に落ちていた書物に気づき、それを拾おうと屈むと、床に違和感があることに気がついた。奇妙な出っ張りがあるのだ。まるで、その床が扉になっているかのように…。本を避け、興味をそそられたニールはその出っ張りを掴むと、ゆっくりと引いた。すると案の定、床の一部が蓋のように開き、ヒト一人が裕に通れるほどの穴に、下へ降りる梯子がかけてあった。
「まるで忍者屋敷だな」
しかし現れた地下への道にすっかり興味を抱いてしまったニールは、ためらうことなく梯子に足をかけて燭台を落とさぬように気を払いながらゆっくりと降りた。
頼りなく軋む梯子を降り終えると、そこは地上の離れより一回り広い部屋になっていた。
「何だ…ここは」
離れに地下室があるなんて思ってもみなかった。
「こんにちは」
すると突然、居るはずのないニール以外の人の声が暗い部屋に響いた。ニールは驚いて声のした方を振り返り、燭台でそちらをてらすとそこには見知らぬヒトが居て、思わず声を上げそうになった。
「はじめまして、四代目ロックオン」
蝋燭の光にぼんやりと照らされたヒト…ニールとそれほど変わらぬ年頃の青年が微笑んでいた。
「お前さん…何者だ?どうしてここに…」
ここは村の長老たちも、家族でさえ近づくことを許されなかった場所。そしてニールがここに来たときには確かに外側から鍵がかけられていたはずだ。
「僕はアレルヤです」
アレルヤと名乗る青年は、気怠るそうに床に横たわったまま灰色の隻眼でニールを見上げてくる。
部屋の四隅に灯籠があるのに気がつくとそこへ火を移し、再び青年を見つめ返した。穏やかそうな雰囲気に反して、背丈が随分あり体格もがっしりとしているようだった。着崩れた白襦袢から覗く胸とすらりと伸びた足にどきりとし、慌てて視線を逸らすとぎこちなく質問を投げかけた。
「アレルヤ、どうしてお前さんはここに…それに俺がロックオンだと…?」
「だって、そっくりですよ?ロックオンに」
「…父さんに?」
此処にいるということはやはりニールの父である先代を知っているのだろうかと問い返すと、アレルヤはクスリと笑いをこぼした。
「はい、三代目に。それに二代目にも似ているし…もしかすると、初代に一番似ているかも」
「初代だって?」
思いがけない名前に眉を顰めた。
「ロックオン・ストラトスです。貴方は彼と同じ翡翠色の瞳だね。他のロックオンは違ったけど…」
どこか嬉しそうにそう話すアレルヤに、ニールは失笑した。
「はは、待てよ…そんなわけない。初代ロックオンは俺の曾祖父だぜ?俺が生まれたときにはとっくに死んじまってたんだ。俺でさえ会ったこと無いのにどうして…」
「あぁ、まだ貴方には教えていなかったね」
アレルヤはゆっくりと立ち上がると、ニールに歩み寄った。そしてくしゃりと彼の長い前髪をかき上げる。するとそれまで隠れていた彼の右目が露わになった。
「僕は鬼です」
露わになった右目の、その金色に輝く人ならざる異質さに、ニールは息を呑んだ。
「鬼…だって?」
絞り出した声は震えていた。
鬼、それは今となっては昔話に出てくる程度のものだ。この村に住み着き、女や子供を食い、災害をもたらし、村人たちを恐怖に陥れていた鬼…しかしそれを退治したのが、ニールの曾祖父に当たるロックオン・ストラトスだ。
「お前さん、何言ってんだ?鬼は俺の曾祖父が退治した。だから鬼なんてもう存在しないし、冗談にしては時代錯誤過ぎて笑えないぜ?」
ニールは引き吊った笑いを見せるが、アレルヤは至って落ち着いていた。
「でも鬼は確かに此処にこうして存在しているし、僕はあまり上手い冗談を言うのが得意じゃないよ…」
確かにアレルヤ右目はヒトの瞳の色をしていない。金色に輝くそれは、鬼のものとしか言いようがない。
しかしそれでも信じられないニールは強い口調で、怒鳴るように切り返す。
「だが俺は…俺たちは初代ロックオンが退治したと聞いてる!」