鬼隠し
するとアレルヤは金色の瞳を残したまま、灰色の瞳を隠すようにして上げていた前髪を降ろした。その刹那、彼の腕が唐突にニールの首へと伸び、強く掴んで押し倒した。青年の思いがけない行動にニールはそのまま仰向けに倒れ、その上に騎乗したアレルヤはニールの首を掴む手を緩めることなく、ぐいと顔を近づけて狂気的に見開いた瞳でニールを見つめた。
「ロックオン・ストラトスは鬼退治なんかしちゃいねぇんだよ…!」
苦しくなる呼吸に顔を歪めながらも、ニールは霞む瞳で青年を見上げた。
「アイツは俺を捕らえ、この地下牢にぶち込みやがった…!何故だかわかるかぁ!?」
「ゲホッ…ッ」
「ロックオン・ストラトスも、鬼に食われちまったのさァ」
狂気な笑みを見せる彼の顔を、瞳を見開いて見た。そのアレルヤの表情こそが、まさに鬼のようだと思った。
その時、ふっと絞められていた首への圧力が弱まる。アレルヤはゆっくりとニールの首を放すと一度俯き、再び顔を上げた時には金色の瞳は消え、灰色の瞳が涙を溢れさせていた。
「ほら、僕は鬼でしょう?」
力無く後ずさった彼はそのまま壁に背を預け、崩れ落ちるように腰を落とすと俯いて膝を抱えた。
「僕に食われた初代ロックオンは、僕を此処に閉じこめた。毎日、毎晩此処に来て、彼は僕を愛でた。彼が死ぬまで僕を愛で続けた」
一呼吸置いて、再びアレルヤは話し始める。
「ある日、ロックオンがパタリと来なくなった。僕には時間を把握する術はないからどれほどの間、彼が来なかったのかはわからないけれど…でも彼は、僕を捕らえた時から随分と老いていた。だから、亡くなったんだと悟ったよ」
ニールは喉をさすりながら、静かにアレルヤの話しに耳を傾けた。
「それからまた、誰かが此処に来る気配がした。天井の蓋が開いて、梯子を降りてくる足音…おぼつかない足取りだったから、それがすぐにロックオン・ストラトスでないことはわかったよ。だから僕は…やっと此処から解放されると思ったんだ」
しかしアレルヤは鬼だ。
鬼であるアレルヤがこの離れから逃がされることはあり得ない。アレルヤは死による解放を望んだのだ。
「ねぇ、でも、降りてきた男はロックオンにとてもよく似ていたんだ。瞳の色は違ったけど、生き写しかと思ったよ。彼は二代目ロックオンだと名乗ったよ。僕はその意味をすぐに察して…そして僕は…また二人目のロックオンも食ってしまったんだ」
解放などされるはずがなかった。それどころかまた、ロックオンを食ってしまった。押し倒され、白襦袢を剥がれ、ロックオン・ストラトスの様に二代目ロックオンもまた、アレルヤを愛で続け、三代目でもそれは繰り返された。
「ふふふ、どうしてかな」
アレルヤは自嘲的な笑いをこぼす。
「僕はどうして鬼に生まれて来ちゃったのかな」
俯いて話していたアレルヤがようやく面を上げた。その美しい灰色の瞳からは、止めどなく涙が溢れる。
そして、アレルヤは眉尻を下げながら微笑むと、ニールに投げかけた。
「貴方も僕に食われてしまうかもしれないよ、四代目ロックオン」
それまで黙ってアレルヤの話を聞いていたニールは、やっと震える唇を開いた。
「違う…俺はロックオンなんかじゃない…」
翡翠の瞳から、一筋の滴がこぼれる。
「俺は、ニールだ!」
その刹那、ニールはうずくまるアレルヤに駆け寄ると、強引に腕を引いた。よろけながら立ち上がるアレルヤを更に強く引き、ニールは梯子へ向かう。
「え、ロックオン!?」
「ニールだ」
「待って、ニール?」
「待たねぇ」
動揺するアレルヤの腕を掴んだまま、ニールは梯子を登る。反論する暇も与えず、一気に登りきってしまうと先ほどの書斎に出た。
そしてニールは、閉めておいた鍵を開錠し、離れの扉を開けはなった。
途端に、降り注ぐ太陽の光に100年以上地下牢にいたアレルヤは顔を逸らして目を瞑った。しかし恐る恐る瞳を開くと、視界に飛び込んできたのは100年ぶりに見る外の世界だった。青い空、白い雲、一度だけ見た母屋と離れを繋ぐ石畳。
「ろ…ニール?」
アレルヤは困惑してニールを見た。捕まれていた腕はいつの間にか放されていた。
「お前さんはやっぱ鬼だ。…どうやら俺も食われちまったらしい」
癖のある栗毛をかき回し、アレルヤに翡翠の瞳を細めて微笑んだ。
「だから、俺はお前さんを解放する」
アレルヤは目を見開いた。
「先代のロックオンたちとは違って俺、好きな奴は束縛したくねぇんだ」
アレルヤが鬼として捕らえられたのはもう100年以上も前のことだ。村人たちには「退治した」と伝えられていたし、100年以上前のことを知る者など誰一人として居ない。
誰もアレルヤが伝説の鬼だと気づかないだろう。
「お前さんには、自由に生きて欲しい」
言い伝えられてきた鬼と本物の鬼は異なるもので、女や家畜を捕って食うわけではない。
人の心を奪ってしまうほど、人を魅了するもの…それが真の鬼なのだ。
強い心を持ってすれば、鬼に食われることはない。鬼は人間の欲望に呑まれた弱い意志を食らう。
* * *
鬼は歳をとらない。鬼に寿命など無い。
アレルヤが解放されてから、もう数十年もの時が経った。彼は以前と変わらぬ姿だ。
「ニール、」
アレルヤはそっと語りかけた。
「鬼は、人間のように食われることは無いんですよ」
数十年前にも同じ問いを投げかけた。「わかってるさ」と彼が穏やかに微笑んだ姿が回顧される。
「鬼はどうして食われないか、知ってますか?」
布団に静かに横たわる、ニール手をそっと取る。以前は白く、細長く、綺麗だった指先。
アレルヤは慈しむように優しく撫でた。
骨ばって血管の浮かぶ手のひらと、時を経ぬ変わりない手のひら。
「人間の体は弱く、命が短いからです。…でも、どうしてかな、」
アレルヤはニールの冷たい手を頬に寄せると、そっと灰色の瞳を閉じた。それと伴に零れ落ちる雫。
「涙が止まらないんです」
離れの地下牢から逃がしてくれた、ニールの白く綺麗な手。もう二度とあの時のようにアレルヤの腕を掴むことはない。
地下牢から解放されてから過ごしたニールとの数十年間は、長いようであっという間で、幸せな記憶で溢れている。
「僕も、貴方に食われてしまったのかな」
どうして鬼として生まれてしまったのだろう
貴方との別れが こんなにも悲しい