灯る炎の温もりと
長く降り続いていた雨が止んだ。
今頃、幸村と政宗は本能寺にたどり着いた頃だろうか。
後を追った小十郎たちはまだ山を越えたところだろう。
そう考えながら見上げた空は未だ黒い雲に覆われている。
室内では篝火が絶えることなく燃やされいるので光源には困らない。
篝火の爆ぜる音がパチパチと響く。
館の中には、警護に残った兵達が多くいる。
そのはずなのに、館はまるで誰も居ないような静けさに包まれていた。
文字通り火が消えたような静けさに、佐助は居心地の悪さを感じる。
沈黙の暗闇。
目の前には横たわるお館様の姿。
大丈夫だと信じている。
それなのに、その向こうの暗闇から手招きする存在を感じて、無意識に体が震える。
どうやら自分も精神的に参っているらしい。
認めたくなかった事実を認めて、佐助は小さく溜息をついた。
手を伸ばして冷たく冷やした布を絞る。
信玄の看病と警護は佐助が幸村からじきじきに頼まれた仕事でもあった。
汗を拭こうと、信玄の顔に手を伸ばした瞬間。
「幸むるぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!!」
響く咆哮。
唸る拳は正確に佐助の頬をとらえた。
完全に油断していた佐助の体は勢いよく吹っ飛び、床の間の壁に激突する。
「この未熟者がぁっ!!!」
虎の高らかな咆哮が静けさに満ちていた空気を引き裂く。
砕け散った壁の木片の中から、佐助は目を丸くしてその姿を見つめる。
背中と頬が痛い。
だがその痛みを忘れるほどの驚きが佐助を包んでいた。
「大将…?」
間の抜けた声が漏れる。
その言葉に、耳に馴染んだ声が答えた。
「なんじゃ、佐助か。」
佐助は瞬きを繰り返しながら、声の主を見た。
服はいつもの赤ではなく、頭に巻かれた白い包帯が痛々しい。
しかし、「間違えたわ!」と豪快に笑うその姿は間違えようもない。
甲斐の虎、武田信玄がそこに居た。
佐助は突然の事態を受け入れられずに目を白黒させる。
その時、外からざわめきが聞こえた。
「お館様!?」
「今、お館様の声がっ!」
「お館さばぁっ!!」
留守を任されていた武田の兵たちが部屋の外へ詰め掛けてきたのだ。
「む。」
信玄が障子を開けるために立ち上がり、歩き出そうとする。
それを見て、佐助はようやく我に返り、
「ちょっと、大将!大将はまだ病人なんだから床に入ってて!」
と押しとどめ、信玄の代わりに障子を開けた。
外には、一目お館様の姿を。と押し寄せてくる兵たちの姿。
「佐助殿!お館様は!」
「お館様のお声が!」
一斉に声をかけられて佐助は眉間に皺を寄せる。
普段ならばこれぐらいのこと、たやすく裁いてしまうのだが、今は佐助も混乱しているのだ。
正直、何が起こったのか理解できていないし、そう言えば頬が痛い。
混乱するその場を沈めたのは鶴の一声ならぬ虎の一声だった。
「静まれぃ!」
びりびりと空気を震わすその声に場が一気に静まり返る。
おもむろに立ち上がった信玄が姿を現す。
一瞬、兵達の間を感動と興奮の波が走るが誰も声は出さない。
唇を結んで、感動をかみ締めている。
「心配をかけたが、儂は無事じゃ!
各々自らの職務に励めい!」
そして信玄の言葉に、兵たちの顔から興奮が消え、表情が引き締まる。
「はっ!」
兵達は声をそろえて答えると、それぞれ自らの持ち場へ散っていく。