灯る炎の温もりと
佐助は呆気にとられた表情のまま、障子を閉めて振り返る。
そこに間違いなく武田信玄その人が居ることを確認して、ようやく胸を撫で下ろした。
溢れる安堵と共に頬と、背中の痛みも襲ってきた。
その痛みに、そう言えば殴られたんだったと思い出す。
「大将、いくらなんでも起き抜けに俺を殴るのはひどくない?」
俺、一生懸命大将の看病してたのにさ。
不満げに呟く佐助に、信玄は鷹揚に笑う。
「はっはっは。すまんすまん。幸村の夢を見ていたのでつい、な。」
(旦那の夢?)
疑問に思ったのが表情に出たらしく、信玄が言葉を続ける。
「幸村の奴が随分しょぼくれた顔で儂の枕元に座っておってな。
しっかりしろとどれほど喝を入れてやりたかったことか。」
それで喝を入れてみたら佐助だったというわけだ。
そう言って笑う信玄の言葉に、佐助は呆れたように呟く。
「大将、それ笑い事じゃないから。」
しかも夢じゃない。
事実、竜とその右目にたきつけられるまでの幸村は、迷子になった子供のように不安をあらわにしていた。
「ふぅむ、儂が倒れただけでそれほどまでに動揺するとは。
幸村め、帰ってきたら鍛えなおしてくれるわ!」
腕を組んで言い放つ信玄に、佐助は苦笑を漏らす。
「まぁ、ほどほどにしてやってね。」
信玄の気持ちも分かるが、幸村の気持ちもよく分かる。
けして倒れることなどないと信じ、倒れさせまいと決意した相手が、
目を閉じて、まるで死んだように眠る姿は予想以上にきつい。
生きていてくれたことへの安堵と、守れなかった後悔と、次もまた、という恐怖。
口には出さないし、仕方のないことだとも割り切っているつもりだが、
佐助もまた、明智が奇襲してきた時にその場に居なかった自分を責めていた。
そして今、魔王に戦を挑む幸村の側に居れないことも。
また、守ると決めた相手を守れなかったら?
纏わりつく不安を振り払うように、佐助は明るい声音で信玄に声をかけた。
「大将、なんか食べたいものある?頼んでくるよ?」
立ち上がろうとする佐助。
しかし、信玄がその腕を掴み再び座らせる。
今度は何だ。
戸惑う佐助に、先ほど彼の頬を捉えた大きな拳が伸ばされる。
佐助は反射的に目をつぶる。
しかしその拳は目前で解かれ、大きな手が佐助の髪を撫でた。
初めて味わうその感覚が不思議と心地良くて、佐助は困惑する。
「ほぅ。佐助、お前の髪は存外柔らかいな。」
そう言って嬉しそうに笑う信玄。
笑顔と手の暖かさに、佐助の不安が溶けていく。
「大将、俺、もう子供じゃないんですから。」
拗ねたような言葉は照れくささの裏返しだ。
しばらく信玄のするがままになっていた佐助だが、いい加減恥ずかしさがピークになり、
「あぁ、もう、なんか適当にお粥とかもらってくるからね!」
と言って立ち上がる。
歩き出そうとしたときに後ろから声がかかった。
「佐助。」
背にかけられた声音が真剣なもので、無意識に背筋が伸びる。
「本能寺へ向かえ。幸村の援護を頼む。」
その言葉に慌てて振り返る。
こちらを見つめているのは、武田の将としての真剣な瞳。
「だけど、大将、」
「なに、儂ならこの通り、大丈夫じゃ。」
腕をぐるぐると回すその姿は、確かに元気そうだが、しかし。
「佐助。」
今一歩踏み切れない佐助の迷いを断ち切るようにゆっくり語りかける信玄。
「お前の仕事はなんだ。」
その重みのある声がじんわりと佐助の心に染み渡る。
「幸村を助け、二人で無事帰って来い。よいな。」
その言葉に、佐助は真面目な表情をつくる。
「はっ。真田忍隊隊長猿飛佐助。その任承りました。」
そういって瞬時に闇へ消えていく佐助。
信玄は闇に溶けたその後姿をしばし見つめると、微笑み、ゆっくりと目を閉じた。
―幕―