ナイフ
俺はいろんな人間を愛してあげたんだから、天国に行けないなんて割に合わない。
だってそうだろう?愛された側が何を思ったかは別だ。僕はただ無償の愛を捧げてきたんだもの。
…眩しい。
鉛のように重い瞼をなんとか持ち上げる。白い白い…天井?
なんだ、天国じゃないのか。と思ったのは、それが見慣れた天井だったからだ。
何度目かのまばたきを終えた時、がたん、と大きな音が聞こえた。
「…やぁ、運び屋さん」
ひどい声だ。それでも、驚いて椅子を倒した彼女には届いたらしい。
少し息苦しいのは酸素マスクをつけられているからだろう。
淡々と、PDAを叩く音が聞こえる。こつこつ、こつこつ。
[大丈夫か、居たくないか、意識は?]
誤字に口角が上がる。見た目とは裏腹に、驚きや恐怖を引きずる癖が彼女にはあるのだ。
PDA越しにいくつかの会話を交わした後、黒い運び屋は新羅を呼びに行ってしまった。
意識をなくしたあの路地から、この闇医者の家まで僕を運んだのは彼女らしい。
まぁ、僕を助けたからといって、僕に良い感情を持っているってわけでもないんだろう。
残念なことに、嫌われている自覚はあるのだから。
彼女はただ愛しい新羅の指示に従った、それだけ。
…ただ。そうなると、路地から新羅に連絡した人物がいることになる。
「いーざーやーくーん…」
聞こえた声に体を強張らせると、腹の傷がじくじくと痛み出す。
僕を呼び、部屋の入り口で腕を組む、彼。
「いいザマだなぁ?こんな奴が最強だったなんてなぁ、池袋が汚れるぜ」
無理やり上体を起こして酸素マスクを顔から引き剥がす。
もう傷の痛みなんかどうでもいい。
大きく息を吸い込めば、今更、生きていると感じた。
可笑しくて可笑しくて、腹の底から笑いがこみ上げてくる。
「ふふ。あはははは!よく言うよ。新羅に僕のことを教えたのはシズちゃんなんだろ?
そのまま殺してしまえば良かったのに。シズちゃんはやっぱり馬鹿だ!」
言ってやればシズちゃんは、僕の胸倉を掴んで至近距離から睨み付けてくる。
そうそう。彼はやっぱりこうじゃないとね。ふふ。僕も彼を睨み返す。
「ハンデがあったんじゃあ意味がねえんだよ。対等に勝負してぶちのめす。じゃねえと俺の気が済まねぇ」
「わかったわかった。ああ、あと一応言っておくけどこんなので貸しを作ったと思わないでね?
これは心優しいシズちゃんが勝手にやったことで、僕は君になぁんにも頼んじゃいないんだから」
「…上等だ」
これは協定だ。二人がいつかまたぶつかりあうための。
彼の、怒りを滲ませながらと笑ってみせるその顔が、僕は。
「何してるんだい?二人まとめて解剖するよ!」
駆け込んできた新羅が叫ぶ。運び屋が[解剖はやめろ!]と、強い力で新羅を殴った。
[静雄も、そんな状態の人間に何をしているんだ]
「…おう」
叱られた子どものような顔が可笑しくて、僕は笑う。
傷の治りきらないうちに、僕は新羅の元から消えた。
池袋の夕焼けを遠くから眺める。
シズちゃん、シズちゃん。
他の誰にも殺されないで、はやく僕を殺しにきてね、僕も君を殺してあげる。
僕も誰にも殺されないで、待ってるから。
大嫌いだよ、シズちゃん。