前を向いて
誰かから話しかけられると、どうしても焦ってしまう。
失礼の無いようにしよう、相手を不快にさせたくない。そう思ってぐるぐる考えた結果、そのまま黙り込んでしまうか、事務的で素っ気ない対応になってしまう事が多い。それが一番失礼だとわかっているのに。
対話をするには、相手の話を理解する時間と、返事を返す為に頭の中で言葉を組み立てる時間が必要だ。私はどちらの能力も人より劣っているから、相手を待たせてしまうんじゃないかと気が急いてしまう。回答の速度ばかり気にして、中身がおざなりになってしまう。
単純な単語しか出てこなかったり、意味のない「あの、その、えっと」で時間を稼ごうとしたり、断片的なまとまりのない言葉を口にして、意味不明な事になって玉砕する。
圧倒的に語彙が足りないという問題もある。魔術以外の勉強もしっかりしていたはずなのに。
何年か前まで、自分の無能さに対する批判や言い訳を手帳に書くのが好きだった。改善案を考えるのは楽しかった。今の自分を脱却する方法を探すのは喜びだった。その後の明るい未来を想像する時間は幸せだった。それだけで違う人生を歩いた気分になれた。変われる気がした。
でも実行に移すつもりはなかった。自分の意気地のなさはよく知っている。最初から出来ないとわかっているから思考に逃避するのだ。
つまらない自己分析。反省したふり。それで利口になったつもりか、と自己嫌悪。現実の自分はだんまりを繰り返すだけ。
ネルやパリスは優しいし、デネロス先生は的確な相槌で私が話すのを助けてくれる。オハラさんもアダさんも私がこんな風だって知っている。ラバン爺は私がきちんと話し終えるのを待っていてくれる。
でもそんな皆に甘えてばかりではいけない。知り合い以外と話す時に困るではないか。
そんな私だけど、魔術の知識には自信があるし好奇心も旺盛だ。だから、遺跡を見つけてしまった時、私が変われるきっかけがやって来たと思って少し嬉しかった。遺跡が見つかってからの怪異に対する罪悪感はもちろんある。ただ、遺跡への興味がそれを上回ったというだけの話だ。私は酷い奴なのだろうか。
初めてシーフォンに会った時の事はよく覚えている。
ああいう人には関わりたくないと思って様子を見ていたのだけれど、野次馬の中にネルを見つけてそちらへ行こうとしたら、運命の悪戯というものなのか、何もないところで転んでしまった。幸か不幸か床とキスをしたり尻餅をついたりする事はなかった。でも、よろけたせいで人垣を割ってシーフォンの前に出てしまったのだ。
シーフォンは喧嘩の直後。私は想定外の出来事に頭が真っ白。私のおどおどしたはっきりしない態度がシーフォンを苛つかせてしまって、あれよあれよという間に術比べをする羽目に。何でこんな目に……と嘆きはしたものの、いざ術比べとなると魔術師としてのプライドが私の闘志に火をつけた。私が勝った。
後でネルに言われたのだけれど、その時の私はかつて見た事がないほどにやる気に満ちていたらしい。自己否定してばかりのくせに無駄にプライドが高いなんて、いつもは嫌になるだけだけど、この時は感謝した。あそこでシーフォンに負けていたら、私はこんな性格だし、きっと見下されっぱなしだった。
シーフォンはとにかく口が悪い。そういう人は苦手だ。でも、術比べに勝った些細な優越感が私を助長させた。私は遺跡の探索中に彼から「どんくさい、のろま」と言われる度に「そののろまに負けたのは誰だっけ」と言い返した。誰かから罵られても黙って俯いて、私が愚図なのがいけないんだと卑下してばかりだった私にとって、何も気にせずにそんな事を言える相手は新鮮だった。自分でも意識せずに、彼ばかり誘うようになっていった。
シーフォンは私を「弱っちく見えて頑固でしぶとい。意外と強いと思いきや次の瞬間にはぶっ倒れてる。とにかくクソ面倒な奴」と評した。当たっていると思う。そんな私達に付き合わされるネル達にたまに謝りたくなる。でも彼らは、私が気兼ねせずに話せる相手を見つけた事を喜んでくれて、本当にいい人達に囲まれていると実感した。
他の探索者からお前らデキてるのかとからかわれたり、シーフォンの悪評を聞かされたり、私も都合のいい時だけべらべら喋って後はぶすっとしていて感じが悪いと陰口を叩かれたりもしたけれど、私と彼は他人に悪し様に言われるのには慣れていた。慣れてしまっていた。
私はシーフォンと罵倒し合いながらも悪友になれたらいいなと思っていた。でもそれは楽観的な考えだったようで、力を求めている彼とぶつかる事は多かった。特に鍵の書を巡って戦った時はお互い本気だった。私にとって鍵の書はただの魔導書ではない、デネロス先生の片身でもある。死者の書はあまり興味がなかったからあげていたけれど、こればかりは譲れなかった。もちろん私が勝った。
皇帝達が眠る墓所で死力を尽くしてタイタスを倒したあの時、どうして私はシーフォンを引き留められなかったのだろう。手を伸ばせば届いたのに、声を掛ければきっと振り向いてくれたはずなのに。