子供の領分
喉奥で小さく笑いながら、イギリスが冗談交じりに告げる。その言葉にアメリカは頷いて肯定の返事をすると思ったが、予想に反して、返ってきたのはきょとんとした表情だった。
「何言ってるんだいイギリス。結婚って一人の相手とするものだろう」
「は?」
「少なくとも俺の国はそうだぞ。イギリスだってそうじゃなかったのかい?」
「いや、まぁそうだけど……」
「だろう! で、俺はイギリスに指輪を渡したんだぞ。他の女の人にも渡すわけないじゃないか」
「ちょっと待て。お前、結婚ってのがそもそもどういう意味か解ってるのか?」
さも当然というように話を進めるアメリカに、今度はイギリスの方が驚いてしまう。あくまで『ずっと一緒に居たい』という意思表示でくれたのではなかったのか。
「馬鹿にしないでくれよ! 唯一特別な相手と一緒にいるって約束する事だろう」
「まぁ間違ってはいないけど、結婚っていったら普通は男女限定の話なんだぞ。俺もお前も男だから、結婚は無理なんだ」
「知ってる。でも俺はイギリスが良いんだ」
「神様だって男同士で結婚するのは禁止してるんだよ」
「……それも知ってる。だったら、神様が寝てる間に結婚しちゃえばいいじゃないか」
「お前なぁ……」
頬を膨らませ、ぷいと視線を逸らしながらむちゃくちゃな事を言う姿は、まさに駄々っ子そのものだ。イギリスはどうすればやんわりと説得できるのかと必死に頭を働かせる。だが反面、この状態になってしまったアメリカを説得するのは難しい事も解っていた。それにアメリカは全て解った上で言っているのだ。これ以上、一般論を説いて聞かせた所で無駄だろう。
そこまで考えた所で、不意にイギリスは自分の重大な勘違いに気付いた。
そもそもアメリカの感情が恋愛であるとは限らないのだ。というよりも、アメリカがイギリスへと抱いているのは、確実に親子や兄弟に感じるような肉親の情だろう。おそらくアメリカは、感情の種類を少しだけ勘違いしているか、あるいは情愛の現し方を解らずに間違えているだけだ。
「……!」
アメリカの言葉を一瞬でも本当の恋愛感情と錯覚しかけた自分の思考が恥かしく、一気に顔へと熱が上がっていく。これではまるで自分の方がアメリカとの結婚を望んでいるようではないか。
あまりの居た堪れなさに、いっそどこか隠れる場所があるなら隠れてしまいたい気分だ。もしこの場にアメリカが居なかったら、その場で大声を出して身悶えたかもしれない。
「イギリス? どうしたんだい?」
「えっ、あ、いや、なんでもない!」
イギリスの様子が妙な事に気付いたようで、拗ねていたはずのアメリカが心配そうに覗き込んでくる。イギリスは慌てた様子で手を振りながら言うと、誤魔化すようにひとつ咳払いをした。それから、出来る限り平静を装って口を開く。
「……解った。お前がそこまで言うなら、妙な言い方だけど、俺との結婚を認める」
「ほんとかい!」
「ただし、条件がある」
解りやすく喜色を浮かべたアメリカへ、イギリスはぴっと指輪が嵌っている人差し指を突き出した。アメリカは急に突きつけられた指に驚いたのかびくっと震えてから、神妙な顔つきでイギリスを見つめる。
「お前が大人になって、それでも同じ気持ちでいたならな。それまでは俺も独り身を守ってやるから」
「なんだそんな事かあ! てっきり紅茶をもっと上手に淹れられるようになれとか、イギリスの友達と話せるようになれとか、そういう難しい条件がくるのかと思ったよ! それなら楽勝だから絶対大丈夫」
自信満々に言い切るアメリカに、イギリスは微笑ましさと共に複雑な気持ちを覚えた。それなりに長く生き、様々な出来事を見てきたイギリスに、幼いアメリカの言葉を信じきる事は到底できない。寧ろ、アメリカが他に大事な相手を見つけることを前提で言っている節すらある。
だがイギリスは、そのような思いを微塵も感じさせない楽しげな笑みを浮かべながら、おもむろに背広の内ポケットへと手を入れた。
「そうだ、今日もお前に特別なプレゼントがあるんだよ」
「え? 本当かい!」
「あぁ、ほら」
期待に目を輝かせるアメリカの目の前にイギリスが取り出したのは、銀の懐中時計だった。控え目ながら美しい細工の施されたそれを、差し出されたアメリカの掌へと落とす。
「これって……」
アメリカは困惑した様子で懐中時計とイギリスを見比べている。イギリスは小さく笑ってアメリカの頭にぽんと手を載せると、懐中時計の鎖を軽く持ち上げた。
「お前、自分の時計持ってなかっただろ? そろそろお前も大きくなってきたんだから、持っておいた方が良いぞ」
「でも、俺知ってるよ!この時計ってイギリスの大事なものだろう!」
ぶんぶんと首を横に振ってアメリカが言う。
「いいんだよ。陛下からはこの前また別の時計を賜ったからな。二個も持ってたところで使わない。倉庫で腐らせるなら、お前が持ってたほうがそいつも喜ぶさ」
鎖を軽く揺らしながら、柔らかく笑いかける。アメリカは未だに困ったように時計とイギリスの間で視線をきょろきょろさせていたが、暫くしてからゆっくりと頷いた。
「……解ったよ。絶対に大事にする」
「ああ、そうしてくれ」
真剣な表情で言うアメリカに、イギリスが笑みを浮かべたまま頷き返す。それから再び頭をぽんと叩くと、大きく息を吐いて不意に椅子から立ち上がった。
「さて、それじゃあそろそろ飯作るか。俺が作ってる間に、お前は顔と手だけでも洗ってから、服を着替えてこい。流石にそれじゃあご飯は無理だろ?」
「あ」
どうやら自分の状態をすっかり忘れていたらしい。アメリカは言われて気付いたような声を上げ、慌てて自分の手と服を見た。どこもかしこも土埃に汚れていて、お世辞にも綺麗とは言えない。
「すぐ洗ってくる!」
「急がなくていいから、ちゃんと洗ってこいよ」
「うん!」
イギリスの言葉院元気に返事をしてから、アメリカが駆け足でドアへと向かっていく。イギリスもアメリカの家においてある食材を確認しようとキッチンへのほうへと視線をめぐらせた。
「あ! そうだ! イギリス!」
「ん?どうした?」
何かを思い出したのか、アメリカが立ち止まってイギリスへと振り返る。首を傾げて問いかえすと、アメリカが悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「今度一緒に俺と森にいこうよ! 懐中時計のお返しに、イギリスに見せたいものがあるんだ」
「なんだ、おっきな蛇の抜け殻とかじゃないだろうな」
「違うよ! もっと良いものさ! な、いいだろ?」
ワクワクとした様子を隠さないアメリカに、イギリスは今日何度目になるか解らない苦笑を零しながら頷いた。
「解ったよ。じゃあ明日な。ほら、今は早く洗ってこい」
「やったあ! イギリス、約束だからね!」
手をぶんぶんと振っていってから、アメリカは今度こそくるりと踵を返して外へと出て行った。アメリカが見せたいものとはなんなのだろう。前にそう言った時は、動物の子供がいるところに連れて行ってくれたのだったか。
「明日が楽しみだな」