子供の領分
眠りについてからどれぐらい経ったのだろうか。
不意にぽこぽこと頭を叩かれている感覚を覚え、イギリスは沈んでいた意識を僅かに浮上させた。なんだか小さい何かが頭にぶつかってくる。誰だよ気持ちよく寝てるのに。イギリスは内心で悪態を吐きながら、瞼を下ろしたまま眉を寄せた。それからのっそりとした手付きで頭の辺りをぱっと払う。しかし、一向に頭を叩くものは止まらない。
本当になんなんだと、本格的に苛立ち始めた段階で、イギリスの意識は覚醒した。勢いよく上半身を起こし、慌てた様子で窓の外へと視線を向ける。寝る前までは透き通っているように青かった空は、薄らと橙色に染まり始めていた。どうやら一時間ほど寝てしまっていたらしい。おかげでだいぶ頭がすっきりした。
次いで視線を下げると、小さな生物と目があった。イギリスの頭突きを食らわないように慌てて逃げた妖精達である。姿かたちからするに、寝入る前に、アメリカがきそうになったら起こしてくれと頼んだ妖精達だろう。
「お前達、約束どおり起こしてくれたんだな。悪い、有難う」
頭を下げて礼を述べると、妖精達は照れたように笑ってから、ひらひらと手を振って窓の外へと戻っていった。おそらく、彼らはもう寝る時間なのだろう。
「ただいま!イギリス、来てるかい?」
「ああ。おかえり、アメリカ」
妖精達と入れ違いでアメリカが帰ってきた。アメリカはリビングに居るイギリスを見つけるなり喜びに目を輝かせ、転がるようにイギリスの元へと駆け寄ってくる。イギリスも久し振りに見るアメリカの姿に反射的に頬が緩んだが、その出で立ちを見た瞬間にその笑みは苦笑へと変わった。アメリカの服や手は土埃で汚れており、まるで地面で寝転んできたかのようだ。
「お前、どうしたんだ?その格好」
「ちょっと森にね! それよりイギリス、手を出してくれよ」
「ん?なんだ?」
「ほら、早く!」
両手を後ろに隠しながら、アメリカがイギリスを急かす。イギリスは目を瞬かせながらも、アメリカの言葉に従ってとりあえず両の掌を出した。森で何か面白いものでも拾ってきたんだろうか。
「違う違う。左手だけくるって回して」
勢い良く首を左右に振り、アメリカが自分の左手を差し出しながら言う。どうやら物を渡すのではないようだ。ますます何だろうと疑問を抱きながらも、イギリスは右手を下げて、左手を甲のほうへ回した。
「こうか?」
「うん、そう! で、目を瞑ってくれないか?」
「あ、ああ」
躊躇いがちにうなずいてから、イギリスは目を閉じた。布を 擦ったようなぐしぐしという音がした後に、不意にひんやりとしたものが手に触れてきた。アメリカの手だろう。先程のぐしぐしという音は、土で汚れた手を自分のズボンで拭ったものに違いない。
「ええと、こっちだよなあ」
困ったような声で呟きながら、アメリカはイギリスの人差し指に触れる。暫くうーんうーんと悩んだ後、意を決したように思い切り良くイギリスの人差し指へ何かを指へと嵌めた。指輪かと思ったが、感触的に金属ではない。どちらかというと、草に近いような……。
「イギリス、もういいぞ!」
アメリカの弾んだ声を聞きながらゆっくりと目を開ける。それから、右手へと視線を落とした。そこにあったものに、目を丸くする。
「花の指輪?」
「ああっ! 綺麗だろう?」
イギリスの指に嵌められたものは、様々な色の花で作られた指輪だった。此処まで持ってくる間が長かったのか少し萎びてしまっているが、それでも十分に可愛らしい。
「これ、俺にくれるのか?」
「当たり前じゃないか! じゃなきゃ君の指に嵌めたりしないよ!」
顔が自然に綻んでいくことを自覚しながらイギリスが尋ねると、腰に手を当てて頬を膨らませながら、アメリカがきっぱりと言い切った。最近は随分と大きくなってきたアメリカだが、子供らしい大袈裟な仕草や、ころころ変わる表情は昔から変わらない。
「……なあイギリス、気に入ってくれたかい?」
「当たり前だろ!」
一転して不安そうに尋ねてくるアメリカへ、イギリスは即座に頷いた。アメリカの顔がぱあっと明るくなる。
「お前がわざわざ作ってくれたんだ。どんな指輪よりも俺にとっては価値があるものだよ。アメリカ、ほんとに有難うな」
フランス辺りが聞いたら吹き出して大笑いしそうな台詞だとは思うが、本心なのだから仕方が無い。自分が出せる最大限の優しい声で言いながら、イギリスはアメリカの金髪を撫で回した。くすぐったげにアメリカが目を細める。
「でも、なんで急にくれたんだ? 今日は別に記念日でもなんでもないだろ」
「あれのお返しさ!」
首を傾げて問うイギリスへ、アメリカは机上の兵隊人形を指差しながら答えた。
「イギリスからあの人形達を貰った時、本当に嬉しかったんだ。あ、勿論、いつもくれる紅茶とかも嬉しいよ! でもあれは特に嬉しかったから、俺もちゃんとイギリスに何かお返ししたいと思ってね」
言いながら、アメリカは照れくさそうに笑って頬を掻いた。イギリスは何か言葉を返そうと思ったが、この喜びと幸福感をどう言葉にすればよいか解らない。あまりに嬉しくて涙すら出てきそうだったが、それは流石に年長者としてのプライドが許さなかった。ぐっと奥歯を噛んで涙を堪える。
幸いにもアメリカはイギリスの内心には気付いた様子もなく、照れ笑いを浮かべたまま自分の言葉を続けた。
「それでイギリスにあげるプレゼントは何が良いかなって考えた時に、昔読んだ絵本を思い出したんだ」
「絵本?」
「ああ! イギリスが読んでくれた絵本だよ。お姫様と王子様が、色んな試練を乗り越えて結婚するお話!」
言われ、記憶をあさってみるが、イギリスにはどの絵本だか解らなかった。今までアメリカに読んで聞かせた童話は星の数ほどあり、お姫様と王子様が試練を乗り越え結婚といった展開だって童話の定番みたいなものだ。これで限定しろというほうが難しい。
「ああ、あったな」
些細とはいえ嘘を吐く事に罪悪感じみたものを感じながら、イギリスは曖昧に頷いた。
「そこで最後に、ずっと一緒にいる約束として指輪を渡してるだろ! だから俺も、イギリスにずっと一緒に居て欲しいから、指輪をあげようって思ったんだ」
「……ってことは、これは結婚指輪のつもりだったのか?」
「そうだぞ!」
エヘンと胸を張って答えるアメリカを見てから、右手へと一瞥を送ってイギリスは苦笑した。
「アメリカ、結婚指輪は人差し指じゃなくて薬指にするんだぞ」
「え!」
人差し指に嵌められている指輪を見せながらイギリスが言う。アメリカは大袈裟なまでに驚いた様子で声を上げた後、がっくりと肩を落とした。
「やっぱり薬指だったのかあ……人差し指と悩んだんだ」
むぅとアメリカが眉を寄せて唇を尖らせる。イギリスからすれば微笑ましい間違いなのだが、アメリカにとってはどうやら重大なミスだったようだ。すっかりむくれてしまっている。
「間違いやすいからしょうがないだろ。でも、お前が大きくなって好きな女に渡す時は、ちゃんと薬指に嵌めてやれな。じゃないと、笑われるどころじゃすまないかもしんないぞ」