金魚
だがアルフレッドと接する時間が増えれば増えるだけ、アーサーの心には釈然としない蟠りみたいなものが大きくなっていった。少し前から感じていた、違和感のような焦燥だ。
「……なぁ」
「なに」
呼びかけられて、アルフレッドは大きなどんぐり眼を上目遣いにして、主人であるアーサーをあどけなく見上げた。
「お前は、餌になるってことがどんなことだか、解かってんのか?」
「?」
アーサーの問いを、アルフレッドは異国の言葉のように不思議な発音として受信した。
「うん、解ってるよ。死ぬってことだろ?」
「……だったら、なんでだよ?」
アーサーはとても苦しそうな表情をしている。なぜアーサーがそんなに辛そうなのかが解らなくて、アルフレッドはぴょこんと首を傾げた。
「それが、どうかした? いつも言ってると思うけど、俺たち肉食魚用の餌として育てられた金魚は餌になるのを常に夢見てるんだ。だってそのために生まれてきたんだし、そのために生きてるんだし。少しでも美味しい餌になれるように、ご飯もらって、運動して、お昼寝して。美味しく食べてもらえるようにって、いっつもそれだけを考えてるんだぞ?」
「でも、食われたら痛いだろうよ」
「そりゃあねー。食いちぎられるわけだから。でも、痛みよりも幸せの方がおっきいよ。きっと、断然おっきい」
「そんなの……!」
納得いかない、とばかりに声を荒げたアーサーに、アルフレッドは子供らしからぬとても静かな瞳で対応した。その落ち着きっぷりに、アーサーはますます神経を逆撫でられてしまう。攻撃的な感情が先行し、語尾が乱暴になるのを止められない。
「食べられたら……死んじまったら、もう二度とアイスも食べられねーし、俺とも喋れなくなるし、そこで全てが終わるんだぜ? そういう運命を不幸だとは思わねーのかよ」
「うーん……アイスは甘くて大好きだし、アーサーも面白いから大好きだよ。でも、俺は餌としての本分をまっとうできない人生なんか、想像するのもヤだ。そんな不幸な出来事、ほかにはない」
アルフレッドの声音は竹を割ったようにきっぱりとしていた。DNAに組み込まれた本能に従って突き動かされているように、その口調には一切の曇りも躊躇も無い。
駄目だ。これでは永久に平行線だ。人間と家畜の価値観は、これほどまでに異なったものなのだろうか。
アーサー自身は、誰かに食われる事を夢見るなど言語道断で勘弁だった。正常な神経ではないと思う。自分が殺されて身体を貪り食われる想像なんて、一秒でも考えたくはない。おぞましさで虫唾が走る。
「……俺は」
俺は、一体何がしたいのだろうか。
数日前から如実になってきた、無視できない感情。とても自己中心的な、自己顕示欲の塊。
アルフレッドに、死んでほしくないと思ってしまった、自分。
(何故だ……?)
暇さえあれば寝ているけれど、声を掛けたり頬を突付いたりして起すと、眩しいばかりの満面の笑顔で、煩いほどに屈託なく話し掛けてくれるアルフレッド。
アルフレッド本人もこの生活に満足しているようだし、ずっとこのままでいられればいいと思っていた。このまま、人間と変わらずに、ずっと一緒に暮して、生きていく。
だけど、アルフレッドはやっぱり家畜で。
自分との生活よりも「彼女」に食われる事を強く望んでいて。
「……だったら」
早く食われちまえばいいんだお前なんか、という台詞は、最後まで発される事は無かった。
「……早く、食われる様になるといいな」
「おー!」
嬉しそうに返答するアルフレッドを正面から見ていられなくて、アーサーはふいと視線をずらした。
ぼんやりと、脳裏の片隅に思惟が浮かぶ。
(他のヤツが食う位なら、俺が……)
その決意は、まだ俄然柔らかくて、定まらないものだったけれど。
そういう選択肢が芽生えたことに、アーサーは思いのほか満足して、そっと部屋から退出した。