奏
「……よかったと言ってくれるなら、それはヘスラーのおかげ、だな」
「俺の?」
なんでだと不思議そうにしたヘスラーには、周りに対する故意の気遣いなどはないのだろう。
それは、自然で、自発的にくる心の作用。
普段から、人のよさが滲み出ているこの大事な仲間らしい様子に、アドルフは小さく微笑んだ。
「だから、」
だから、とアドルフは再びピアノに向き直る。
「今度はこの曲は、ヘスラーのために弾く」
一瞬目を瞬いて、それから、そうか、とヘスラーが微笑んだ。
「嬉しいな」
笑顔を横目に見て、整然とした白と黒の羅列に正対した。
両手を胸の前にすいと掲げる。
柔らかく下ろすその先で、白と黒の鍵盤が、奏でられるのを今か今かと待っているかのように見えた。
第一音、静かな音が部屋に響く。
ヘスラーの腕が、また、伸びてくる。
ページを捲ろうと定位置に付いた腕に、またアドルフは小さく微笑んだ。
『シューマン クライスレリアーナより 第2曲』
2010.6.12