洛中の畳
泥酔し疲れきった体を引きずり私が帰宅すると運の悪いことに部屋を小津が陣取っていた。夜風に晒され若干酔いの冷めた頃には見たくない顔である。
「おい、勝手に入るなと言っているだろう」
「まあまあお気になさらず」
この男は私を置き去りにして一足先にサークルの飲み会を抜け出したはずだったが、逃げた先が私の部屋というのは私としてはいただけない。しかも開け放された窓には師匠こと樋口さんが腰掛けていた。
「飲み会どうでした? あなただいぶと酔っていましたからね、抜け出すのは至難の技だったのでは?」
「貴様私を生贄にしておいてよくそんな口が利けるな。飲み会は解散した」
「ということは最後までいたんですか。律儀ですねぇ、若年層の鑑だ」
「適当なことを言うな!」
ぴしゃりと叱り飛ばしたとたん眼鏡がずれた。どうも据わりが悪い。相当に飲んだのが一因であろう。
サークルの打ち上げ、つまり飲み会に私達が出席したのはこれで三度目だった。我々のように非社交的な人間にも声がかかるのであるからサークル長の統率力には脱帽しきりである。因みに不参加はサークル追放を受け入れることと同意義であった。私はそれもやむなしと考えていたが、小津は頑として参加の意志を崩さず私にもそれを強要した。二人して悪巧みをするためにはサークルの後ろ盾が必要不可欠なのである。人間同士の繋がりあいは脳のようにフクザツに絡み合っているというわけだ。飲み会による刹那の苦労と日常での憂さ晴らしを天秤にかけるとやはり後者をとるべきであるかと思われ、私は出席を決意した。小津との出会いが私の神経を蝕んでいるのだが、今になって気付いても後の祭りである。
また、今回の打ち上げは少しばかりお高い店で行われ、なおかつ参加費不要というのも私達の腰を軽くさせた。優勝賞金は一夜にして飢えた学生どもの肥やしへと変化する。そう、私達のサークルは優勝したのだ。一体何に優勝したのかそもそも何のサークルであるかは割愛させていただきたい。どうにもこの流れを幾度となく繰り返している錯覚に襲われるため、私はこの手の説明をすることが非常に面倒くさくなっているのだ。
人間、長く生きていればこういった時期もある。
打ち上げは四条木屋町の仙酔楼で行われた。夏場だけ現れる鴨川の納涼床に席を予約しているらしい。私と小津が床に下りると既に宴会は始まっていた。床の一角を占有ししきりに笑い声を上げるのはどこからどうみても我々が所属するサークルである。あそこに座れば十分と立たぬうちに泥酔への道を辿るのは必至であった。
そして私は泥酔した。
気付けば小津は頃合を見計らって抜け出した後であり、私はポイ捨てされたゴミのようにちんまりと胡坐をかいていた。座布団はとうの昔にどこかへ飛んでいた。
酔っ払いの相手をするのは弱者の仕事である。私は彼らに次から次へと酒を注がれ言われるがままに飲んだ。これで機嫌がよくなる人間というのもおめでたい話ではあるが、そういったおめでたい人間が世界を回す傾向にあるのだから仕方のないことである。
結局私は飲み会に最後まで付き合う羽目になってしまった。悪ふざけに伝票を押し付けられなかったのは我ながら立派である。
帰り際に床で派手にすっ転んだのも対価と思えばなんということはない。ただ、転んだ際に眼鏡を落としてしまった。弦が歪んだらしく、やたらめったら鼻梁を滑る。そういえば転んだ際に何か毛玉のようなものを踏んだ記憶があったが、あれは一体なんだったのだろうか。咄嗟に謝罪した時にも毛玉は見当たらなかった。
「おい聞いているのか小津!」
「いやですねぇ聞こえていますよ、隠居した爺ではないんですから」
私と小津の会話を聞いているのかいないのか、樋口さんは夜風に吹かれながらギターを片手に己の世界へダイブしていた。ギターから零れる単音と樋口さんの歌声は夜に沈んだ京都の空へ水泡のごとく浮かんでは弾けた。
それより部屋の中は蒸していた。暗い室内に私を含む三人もいると夏まっさかりの熱帯夜はさながら灼熱の鍋である。そういえば数人で鍋を囲んだような記憶が私の明晰な頭脳を掠めたが生憎私はそれどころではなかった。頭痛が治まらない。更に痛みが増す理由として、畳の上に転がる発泡酒の缶が挙げられた。私は頭をかち割られそうであった。小津は本当にやりたい放題すき放題である。缶だけならまだしも赤玉の瓶まで転がっていることは見逃せなかった。一体どこからくすねてきたのか問いただす権利はあるはずだったが、そのような気力は全て飲み会で使い果たしてしまったのだった。
「とにかく帰れこのゴミクズ細胞男!」
「粗野ですねぇ」
非常にいただけないと小津は芝居のように首を振った。そのまま首がもげて落ちればよいのだ。私はなによりも早く休息をとりたかった。そうこうしている間にも頭痛は勢いを増していた。
「そもそも何故お前がここにいるのだ、お前がここにいる理由を述べろ十文字以内だ!」
「あなたに土産ですよ」
小津は私にずしりと重い瓶を差し出した。
「偽電気ブランです。これは貴重ですよ、我々のような貧乏学生にはおいそれとしたためることはできません。何せ年代物ですからね」
暗い色をした瓶のラベルには見覚えがなく、揺れる水面は私の頭痛を僅かながら緩和させた。小津のことであるから理由もなしに貴重な酒を贈るなどありえない話だが、もう気にしていてはキリがない。私は酔っているのだ。酔っ払いであるからには酔っ払いらしい言動をしなければ損というものだ。飲み会にて精神をもみくちゃにされた私は半ばヤケになっていた。
憎らしいことい察しのよい小津がビアグラスを二つ畳の上に並べている。ふと窓際に目を向けるといつの間にやら樋口さんの姿が消えていた。ぱかんと開いた窓にはカステラの如き黄金色の月が浮かんでいた。
「おい、勝手に入るなと言っているだろう」
「まあまあお気になさらず」
この男は私を置き去りにして一足先にサークルの飲み会を抜け出したはずだったが、逃げた先が私の部屋というのは私としてはいただけない。しかも開け放された窓には師匠こと樋口さんが腰掛けていた。
「飲み会どうでした? あなただいぶと酔っていましたからね、抜け出すのは至難の技だったのでは?」
「貴様私を生贄にしておいてよくそんな口が利けるな。飲み会は解散した」
「ということは最後までいたんですか。律儀ですねぇ、若年層の鑑だ」
「適当なことを言うな!」
ぴしゃりと叱り飛ばしたとたん眼鏡がずれた。どうも据わりが悪い。相当に飲んだのが一因であろう。
サークルの打ち上げ、つまり飲み会に私達が出席したのはこれで三度目だった。我々のように非社交的な人間にも声がかかるのであるからサークル長の統率力には脱帽しきりである。因みに不参加はサークル追放を受け入れることと同意義であった。私はそれもやむなしと考えていたが、小津は頑として参加の意志を崩さず私にもそれを強要した。二人して悪巧みをするためにはサークルの後ろ盾が必要不可欠なのである。人間同士の繋がりあいは脳のようにフクザツに絡み合っているというわけだ。飲み会による刹那の苦労と日常での憂さ晴らしを天秤にかけるとやはり後者をとるべきであるかと思われ、私は出席を決意した。小津との出会いが私の神経を蝕んでいるのだが、今になって気付いても後の祭りである。
また、今回の打ち上げは少しばかりお高い店で行われ、なおかつ参加費不要というのも私達の腰を軽くさせた。優勝賞金は一夜にして飢えた学生どもの肥やしへと変化する。そう、私達のサークルは優勝したのだ。一体何に優勝したのかそもそも何のサークルであるかは割愛させていただきたい。どうにもこの流れを幾度となく繰り返している錯覚に襲われるため、私はこの手の説明をすることが非常に面倒くさくなっているのだ。
人間、長く生きていればこういった時期もある。
打ち上げは四条木屋町の仙酔楼で行われた。夏場だけ現れる鴨川の納涼床に席を予約しているらしい。私と小津が床に下りると既に宴会は始まっていた。床の一角を占有ししきりに笑い声を上げるのはどこからどうみても我々が所属するサークルである。あそこに座れば十分と立たぬうちに泥酔への道を辿るのは必至であった。
そして私は泥酔した。
気付けば小津は頃合を見計らって抜け出した後であり、私はポイ捨てされたゴミのようにちんまりと胡坐をかいていた。座布団はとうの昔にどこかへ飛んでいた。
酔っ払いの相手をするのは弱者の仕事である。私は彼らに次から次へと酒を注がれ言われるがままに飲んだ。これで機嫌がよくなる人間というのもおめでたい話ではあるが、そういったおめでたい人間が世界を回す傾向にあるのだから仕方のないことである。
結局私は飲み会に最後まで付き合う羽目になってしまった。悪ふざけに伝票を押し付けられなかったのは我ながら立派である。
帰り際に床で派手にすっ転んだのも対価と思えばなんということはない。ただ、転んだ際に眼鏡を落としてしまった。弦が歪んだらしく、やたらめったら鼻梁を滑る。そういえば転んだ際に何か毛玉のようなものを踏んだ記憶があったが、あれは一体なんだったのだろうか。咄嗟に謝罪した時にも毛玉は見当たらなかった。
「おい聞いているのか小津!」
「いやですねぇ聞こえていますよ、隠居した爺ではないんですから」
私と小津の会話を聞いているのかいないのか、樋口さんは夜風に吹かれながらギターを片手に己の世界へダイブしていた。ギターから零れる単音と樋口さんの歌声は夜に沈んだ京都の空へ水泡のごとく浮かんでは弾けた。
それより部屋の中は蒸していた。暗い室内に私を含む三人もいると夏まっさかりの熱帯夜はさながら灼熱の鍋である。そういえば数人で鍋を囲んだような記憶が私の明晰な頭脳を掠めたが生憎私はそれどころではなかった。頭痛が治まらない。更に痛みが増す理由として、畳の上に転がる発泡酒の缶が挙げられた。私は頭をかち割られそうであった。小津は本当にやりたい放題すき放題である。缶だけならまだしも赤玉の瓶まで転がっていることは見逃せなかった。一体どこからくすねてきたのか問いただす権利はあるはずだったが、そのような気力は全て飲み会で使い果たしてしまったのだった。
「とにかく帰れこのゴミクズ細胞男!」
「粗野ですねぇ」
非常にいただけないと小津は芝居のように首を振った。そのまま首がもげて落ちればよいのだ。私はなによりも早く休息をとりたかった。そうこうしている間にも頭痛は勢いを増していた。
「そもそも何故お前がここにいるのだ、お前がここにいる理由を述べろ十文字以内だ!」
「あなたに土産ですよ」
小津は私にずしりと重い瓶を差し出した。
「偽電気ブランです。これは貴重ですよ、我々のような貧乏学生にはおいそれとしたためることはできません。何せ年代物ですからね」
暗い色をした瓶のラベルには見覚えがなく、揺れる水面は私の頭痛を僅かながら緩和させた。小津のことであるから理由もなしに貴重な酒を贈るなどありえない話だが、もう気にしていてはキリがない。私は酔っているのだ。酔っ払いであるからには酔っ払いらしい言動をしなければ損というものだ。飲み会にて精神をもみくちゃにされた私は半ばヤケになっていた。
憎らしいことい察しのよい小津がビアグラスを二つ畳の上に並べている。ふと窓際に目を向けるといつの間にやら樋口さんの姿が消えていた。ぱかんと開いた窓にはカステラの如き黄金色の月が浮かんでいた。