多様性恋愛嗜好
「じゃあ、報酬をよこせ」
「ほう、しゅうですか?」
虚をつかれた古泉は困惑した様子で俺の顔を凝視してくる。
「今まで散々お前の我侭に付き合ってやっただろ。で、お前はそれで何がしかの利益を得ていたわけだ。なら俺にだってなにかあってしかるべきだろ。正当報酬だ」
内容を咀嚼してるのか古泉の動きが止まる。数十秒経つと今度はいつものような余裕に満ちた笑顔を浮かべる。安心してるのか丸分かりだ、アホ。
「ええ、構いませんよ。僕に用意できるものならなんでも。お金ですか? 物品ですか?」
「違う」
言い切ると少し不思議そうに瞬いた。「その話は後にして、いい加減どいてくださいませんか」と古泉は苦笑しながら起き上がろうとする。それを許さず体重をかけて細身の身体を布団に押さえつける。ばふりと再び布団に横たわる自分の身体に目を丸くしている。
「お前をよこせ」
古泉が何かを言う前に顔を寄せるとお互いの唇を重ね合わせた。唇へのキスは始めてだ。思ったとおり柔らかく、伝わってくる体温が心地よい。唇をなぞるように軽く首を左右に動かす。最後に一際強く唇を押し当て、顔を離した。
「ぁ、え、ぇ……っと、僕の何が欲しいんですか? 内臓ですか? さすがにそれはちょっと」
始めてのキスのあとにしちゃ色気のない発言だ。歪んでがちがちになった笑顔でしきりに瞬きを繰り返す。無理やりにでも冗談にしようと、はぐらかそうとしているのがわかる。だがそれに乗ってやる義理などこれっぽっちもない。
「内臓なんかいるか。丸ごとにきまってるだろ。お前の、全てをよこせ」
身も心も、と耳元で囁いてやれば、今まで堪えてたものが一気に崩れ落ちたのだろう。かぁーっと頬が赤く染まり、恥ずかしいのかなんなのか目じりに涙を浮かべ、顔をくしゃりと歪ませた。
「あ、あなた! ご自分が何を言っているのかわかって……!」
「わかってるさ。どうやら俺はお前と同じ意味で、お前のことが好きだったらしい」
一度自覚してしまえば言葉は簡単に口から滑りおちた。あっけらかんとした俺の態度に古泉はひびの入った仮面をなんとか立て直すと、ぎりぎりと悔しそうに俺を睨みつけてきた。
しばらく睨みあいが続いたがふと強張っていた古泉の身体から力をがぬけた。突き刺すような視線は逸らされ、諦めたように深く溜息をつく。
「僕、結構自分勝手なんですよ。今まではずっとあなたの気持ちを無視してきました。自分のために。今度はあなたの言葉を、気持ちを言い訳にしますよ。あなたが僕を好きだって言ったんだ、仕方なかったんだってね。いつか、あなたは後悔するでしょう。僕は喜々としてあなたに全てを押し付けます。そして押し付けられた荷物の重みで押し潰れたあなたを、顧みることもなく見捨てるでしょう。それでもあなたはまだ僕がほしいだなんて世迷い言を言うのですか」
真っ赤な顔で涙を浮かべた表情から一転して、冷ややかに言葉を紡ぐ古泉にやれやれと溜息をつきたい気持ちをぐっと抑える。一応、最後まで馬鹿げた主張を聞いてやり、話が終わると同時に顔を寄せるとまた唇を触れ合わせた。
「いいからお前は黙っとけ」
複雑そうに、それでも言われたとおりに口を閉ざしたヤツの両手を解放してやる。手首にはくっきりと跡が残ってるが自業自得だ。首の噛み跡も合わせて、周囲への言い訳は自分で考えるんだな。
「預言者気取りも大概にしろ。誰がお前の我侭なんかに潰されるか。いいからお前は俺の言うことに頷いてりゃいいんだよ。……俺はお前が好きだ。付き合ってくれ」
目を逸らすな。小さな頭を両手で固定し、ぐっと顔を近づけて真正面から視線を合わせてやる。
「……良いですよ。後悔するのは僕じゃありませんから。嫌になったらいつでもおっしゃってください」
了承の返事と一緒に言う台詞がそれか。本当にこいつは人の話を聞かない。その上、自分勝手で頑固で負けず嫌いでプライドが高くて自分の主張が絶対だと信じ込んでいる。
だがまあ俺は、こいつが俺のことを好きだと知っている。優しく俺を見つめてくるあの眼差しや、お前が好きだと告げた一瞬の間に垣間見せた期待と怯えの混じった表情も。これで、俺とこいつは恋人同士なのだ。これからこいつが何を喚こうがそれは変わらない。変えてやらない。時間はたっぷりあるんだ。これからじっくりこいつの悲観的な思考を矯正してやるさ。できればやたらと俺をおちょくろうとする悪癖も。
「覚悟しとけよ」
不敵に笑っていつか言われた言葉を返してやれば、「あなたもね」とこれまた挑発的に返された。可愛くないが男に、まして古泉に可愛さを求めても仕方ない。可愛い古泉なんてその響きだけで気持ち悪いしな。
区切りがついた途端、気が抜けたのか猛烈な眠気が俺を襲ってきた。いつの間にか脇に追いやられていた掛け布団を古泉にかけてやり、その横に潜り込む。布団から抜け出そうとずり上がっていく古泉の肩を引き戻す。背中に手を回し力を込めると困ったように古泉は俺に声をかけてきた。
「ちょっと、離してくれませんか」
「断る。俺は眠いんだ。寝る」
「寝るなら、僕はもうベッドに戻りたいのですが……」
「お前もここで寝れば良い。恋人との添い寝も男のロマンだろ。大人しく抱き枕になってろ」
若干気色悪いかもしれんが、今の俺は腕の中の身体を手放す気にはなれなかった。男だし肉付きは良くないので骨が当たってちょっと痛いがそれを差し引いても人肌の温かさは俺に安らぎをもたらしてくれた。足まで絡めて抱きしめてやると「あなた、寝相悪いから一緒に寝たくはないのですが」などとほざいてきたので後頭部を掴んで肩口に押し付けてやる。しばらくもがもがと何か言っていたようだが観念したのか居心地悪そうに身動ぎを繰り返したあと、ようやく大人しくなった。
急激に意識が遠のいていくのがわかり、改めて古泉を逃さないよう強く抱きしめる。明日になったら一体なにから手を付けようかとあれこれ考えながら、俺は眠りに落ちていった。