二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

篝火【腐向け】

INDEX|2ページ/3ページ|

次のページ前のページ
 

ぐしょ、と濡れた感触に目を見張れば己の手が赤黒い液体に塗れていることに気付き、佐助は弁丸に触れようとしていた手を止めた。
雨にも流されず絡みつくそれは咎のように穢れのように佐助を絡めとり、どこかへ引き摺っていこうとする。
目の前に立つ弁丸の腕からは今も少しずつ熱が流れ出ているというのに、佐助の体は動かない。
彼の命が失われるのも、己の手に絡みついた赤で彼を穢してしまうのも、どちらも同じくらい恐ろしかった。

「佐助」
「っ!」

血塗れの手を掴んだ弁丸の手を佐助は咄嗟に振り払った。
しまった、と思うと案の定、見下ろした顔はむっと眉根を寄せていた。
小さく柔らかな手はもう一度、どす黒い穢れの上から己の手を重ねた。

「佐助、怪我はないか」
「おれは、ないよ」

さりげなく腕を引こうとするが、両の手でしっかり握ってくる手が許さない。
熱を伝えてくるそれをすぐにでも振りほどきたい衝動をなんとかやり過ごしながら、佐助は低い声を喉から絞り上げた。

「……離して」
「なぜだ」
「よごれる、若が」

ともすれば雨音に掻き消されてしまいそうな声を弁丸はどのように拾い上げたのだろう。
握られているほうが痛いくらいの力が両の手にこめられる。
さすがに腕の怪我に響いたのか弁丸は顔をしかめたが、真っ直ぐ強い視線は佐助を貫いていた。

「おれのために動いた手が、なぜ汚れているのだ」

言って佐助の手を引き寄せて己の頬に触れさせる。
その柔らかな感触が、血糊に汚されてもなお穢れを感じさせぬ血色の良い肌色が、冷えた指先を温める熱がたまらない。
熱い塊が腹の底から競り上がって来る感覚以上に、心の臓が締め付けられるような苦しみに佐助の足は今にも崩れ落ちそうだった。
目の前の幼子に縋りついて獣のように咆哮を上げれば、いくらか楽になるのだろうか。
顔をしかめた佐助に弁丸は驚いたように目をまん丸にして、慌てて体を引き寄せて雨に冷たくなった背を抱いた。

「佐助、泣くな佐助」

この土砂降りの中、涙と顔を伝う雨粒の別などつくのだろうか。何より忍である己が泣くはずなどないというのに、主はやはりまだ分別のつかぬ子供なのだ。
全身を包む温もりは心地が良いはずなのに、佐助は身の内に臓腑全てを灼かれるような熱を感じ、弁丸の肩越しにゆっくり息を吐いた。
己の吐息が震えた理由は、よく分からなかった。
何かに惹かれるように佐助は彷徨わせた腕をそっと、それでも幾分か戸惑いながら、小さな弁丸の背に置いた。
小さなそれは血塗れた指先には酷く温かだった。

 

 

近侍であった青年の死体はその日のうちに川の下流域で発見された。
雨での増水を苦ともしない手際はさすが真田忍よと、数刻後この事件を耳に入れた昌幸は惜しみない賛辞を送った。
弁丸を害した忍の亡骸も手早く回収されたが雇い主の手掛かりを示す物はほとんど携帯しておらず、証拠隠滅する暇も無く佐助が屠った事を考えると暗殺より脅迫の意味の強い捨て駒だったのかもしれぬ。
あれは生け捕りにして拷問にかけるべきだった。
冷静さを欠いた佐助の行動は厳重に罰せられて然るべきであったが、弁丸の命を救った事と、その弁丸の嘆願によって長時間の説教で済まされた。

 

その夜、不寝番から外された佐助を呼び出したのは幼い主だった。
まだ雨は降り注ぎ、暗闇を激しく叩いていた。
戸の前で若、と呼びかけても返事はない。
もう時刻も遅いしぐずっているうちに眠ってしまったのかと思ったが、それならそれで確認しなければなるまい。
佐助は音もなく襖を開け、猫が通れる程の隙間をするりと抜けた。
弁丸は真っ暗な部屋の真ん中で夜着をすっぽり頭まで被って横になっている。
もう一度声を掛けて返事が無ければ帰ろうと、枕元に膝を付いて静かに主を呼べば臙脂色の布団がずりずりと下がり、真ん丸い目がこちらを伺った。
それは耳を伏せて身を低くした猫に似ている。

「……」
「どうしたの?」

なるべく優しい声色で問えば、弁丸は顔に安堵を滲ませて布団から這い出してきた。

「なかなか眠れぬ」

昼間起きた事を考えれば恐ろしい程の落ち着きようだが、幼子が凄惨なものを目にしたことに変わりはない。
佐助は頷くと目の前に座している弁丸の肩に綿入れを掛けた。

「夜話が得意なのを呼んでこようか。
 それとも甘酒をこさえてもらう?」
「甘酒!」

弁丸の瞳が一瞬輝くが、彼はすぐに首を横に振り小さな体を佐助に寄せてきた。

「いや、いい。このような時刻に厨番を起こすのはかわいそうだ」
「そう?」

胸に頭を預けてくる主からはいい匂いがする。
気を落ち着けるために香でも焚いていたのか、きっと己を呼ぶまでに相当他の者の手を焼かせたに違いないと佐助は思った。
さて子供を寝かしつけるにはどうしたものかと逡巡していると、犬の子がするように頭を摺り寄せられた。
佐助は弁丸の背にそっと腕を回し、完全に沈黙する。
子供の慰め方など知らなかった。
二人だけの空間を暗闇と静寂が支配する。
止む気配のない雨はぬかるんだ地面を叩き、泥と一緒に近くを流れる小川へと流れ込んだ。

「……あの近侍は、どうなったろうか」

先に口を開いたのは弁丸だった。
雨雲に覆われた空より白くなっていた顔を思い出し、佐助は唇を引き結んだ。

「……」

沈黙を答えととったか、弁丸は身を縮めて佐助の手に己の小さな手を重ねた。
裾から覗く包帯が痛々しいが、弁丸の見せた沈痛な面持ちのほうが、佐助の心にはもっと痛かった。
幼子の表情ひとつでこんなにも落ち着かない気持ちになる己はきっとどうかしてしまったのだ。
昼間の失態などは自分自身、信じられない。
”猿飛佐助”は己の与り知らぬ所で壊れ始めているのではないかと思うと背筋が寒くなった。

「……佐助」

主の声に物思いから現実に引き戻される。
普段より随分気弱なそれを意外に思って視線を落とすと、丸い目がこちらを見上げていた。
小さな体をすっぽりと佐助の腕の中に収めながら、まだ足りぬというように弁丸は肩を摺り寄せてくる。
天真爛漫を通り越して時折豪胆さすら見える己の主だが、こうしていると酷く弱々しい生き物に見えた。

「どうしたの」
「佐助は、どこへも行かぬな」
「……」

主の問いに佐助は返事をしなかった。
敏い主は繰り返そうとした言葉を飲み込んだようで、部屋にはまた沈黙が訪れる。
弁丸は嗚咽を漏らす代わりに何度か肩を震わせると、縋り付くように佐助にしがみ付いた。
佐助の心臓が、締め付けられたようにまた痛む。
その薄い肩を力を込めて抱きしめてやれば小さな体から力が抜けた。
佐助は弁丸が眠るまで、温かで柔らかく、か細い主を胸に抱いていた。

 
 

 

指先で触れた篝火は熱くてたまらないのに、彼は手を引けなかった。
まだ小さくて不安定なそれに、彼はどうしようもなく焦がれるのだ。
痛みを感じながらもそれをそっと手に包み込むと、闇の濃い世界にあっても己が肉体を持ち、さらに痛覚まで持ち合わせていることを認識出来た。
これに与えられる光と痛みがあってこそ、自分は人間足り得るのだ。
彼はいつか炎が身を焦がして灰にするまで、その篝火を胸に抱えて生きるだろう
作品名:篝火【腐向け】 作家名:はち@LGM