赤い糸
「音無さんに抱きしめられた時、焦りましたけどね。気づくかなって」
「あの時は無理だろ」
「はい、そうですね。僕もそんな事より音無さんに抱きしめられている事が嬉しかったし」
「あー、えっと…」
「はい、離しますよ」
「このままじゃ駄目なのか?」
「音無さん、目がいやらしいですよ」
「うっ!!」
音無はしぶしぶ直井の胸から手を離した。
直井は楽しそうに音無を見つめる。
「あー、どうしよう…」
音無はがっくりと肩を落とす。
「音無さんは僕が男の方が良かったんですか?」
「違う…その、お前を…抱きたくなった…」
「音無さん…目がいやらしいですよ」
「うぎっ!」
「それにさっき、乱暴にキスしたのは誰でしたっけ?」
「うごっ!」
「ふふ…」
直井は静かに微笑む。
それは優しい、音無だけに向けられるものだった。
「僕は…音無さんのものですから…その…いい…ですよ」
後半は小声で、直井は音無を受け入れる。
「直井…」
音無は直井の頬に触れようとする。
だが、その手が止まった。
「音無さん?」
「…嫌だ」
「え?」
「嫌だ、俺は…お前を…」
「どうしたんですか?」
「ごめん…」
音無は直井を抱きしめる。
直井が小さな悲鳴を上げる。
そのくらい音無は力を込めて、直井を抱きしめていた。
「音無さん…痛いです…」
「ごめん、直井、ごめん…」
音無は何度も謝罪した。
力だけは緩めてくれたが、直井を放してくれなかった。
その晩、直井は音無にずっと抱きしめられていた。
あれから月日が経過した。
SSSのメンバー達がゆっくりと、それでも、早く、
直井と音無の前から姿を消していった。
皆、成仏したのだ。
直井は音無から事情は聞かなかったが、察する事ができた。
音無は皆を成仏させようと天使と結託して、行動していたのだ。
直井は音無の行動を止めなかった。
直井は音無だけがいればよかった。
「結弦さん」
もはや使われなくなった校長室ではなく、屋上で、
直井は隣に座る音無に話しかける。
「文人…」
音無は力なく笑う。
SSSのメンバーがいなくなった事が寂しいのか、
それともこれから起きる事が悲しいのか、
多分、両方だろうと直井は推測する。
「僕は十分、満たされましたよ」
直井は音無の腕に自分の手を絡ませる。
「俺はまだ文人といたい…」
音無は駄々をこねる子供のように呟く。
「なら、僕がこの世界の”神”になりましょうか?」
久しぶりのその台詞。
音無はほんの少しだけ頬を緩めた。
「結弦さんが望めば、この世界にずっとい続けるようにする事は僕には出来ます」
「…」
「でも、結弦さんの願いはそうじゃないでしょう」
「…」
「いなくなったあいつらの後を追いかけないと」
「…」
「結弦さん、大丈夫、また逢えますよ」
「…」
「結弦さん」
「…一緒に、逝こう。文人」
「…はい」
直井はポケットから赤い糸を取り出す。
「文人?」
「おまじないです。転生しても、僕と結弦さんが繋がっていられるように」
直井は音無の手を取り、小指に赤い糸を結ぶ。
直井は自分で、自分の小指に赤い糸を結ぼうとした。
だが、それを音無が止めた。
「俺が結ぶ」
「…はい」
音無が直井の手を取り、小指に赤い糸を結んだ。
「結婚式みたいですね」
「…ああ」
「嬉しいです。結弦さん」
「俺も嬉しい…」
2人、笑った。
その時、風が吹いた。
その風にはきらきらとした光が混じっていた。
音無が直井の手を掴む。
「文人、見つけるから」
「はい」
「待っていてくれ」
「はい、結弦さん」
「す…」
その時、直井の視界が暗くなった。
僕は待っていた。
ずっと待っていた。
たった1人を。
その人を。
待っていた。
田舎でも夏は暑い。
僕はつばの広い麦わら帽子をかぶり直す。
僕はこの村で生まれ、この村で生きた。
両親は既に他界している。
幸い、両親は財産を残してくれた為、細々とだけど、生きていけた。
そう生きている。
それだけで僕には十分だった。
待っていられるから。
僕は日課である散歩をしている。
こうして歩いていれば、逢えそうな気がしたから。
けれど、今までずっとそれは徒労に終わっていた。
それでも、待った。
あの人は約束を守る人だから。
僕は街と村を結ぶ唯一のバス停へと向かう。
そこで、降りてくる人を確認するのも日課だった。
バス停に行くと、既にバスが到着していた。
僕は降りてこないか、確認する。
しかし、誰も降りてこなかった。
僕は小さくため息を吐くと、次のバスの時間までどう過ごそうか、
考えながらバスに背中を向けようとした。
「すみません!!降ります!!」
バスの中からの声。
閉じかけた扉から聞こえた声。
僕は振り向いた。
運転手にひたすら謝って、降りてくるその姿。
知っている。
あの体の温もりを。
知っている。
その目の優しさを。
知っている。
「ゆ、結弦…さ…」
「ごめん、待たせた…文人」
僕は駆け寄る。
結弦さんに。
結弦さんも走る。
そして。
その温もりにまた、触れた。