白昼夢
余計なことを言った、という自覚はあるようだ。
町外れにある慣れ親しんだ長屋から賑やかな雑踏に出たあたり、鮮やかな夕暮れに身を包まれながら山田利吉は笠を深めにかぶり直す。
出入りの多いその町でその姿を忍者と知る者はなし。人一倍顔の整った青年は淡い微笑みを携えながら人混みの中に紛れる。
「しかしあの状況、周りから見ると何とももどかしいというか」
その子供に手を出したのは外ならない自分なのだが、あの堅物の先生は何か変わるであろうか。
いつも見ることのできなかったあの顔を拝めただけでそれはそれで楽しい体験だったと言えるんだが、妙な期待が利吉の胸を楽しませた。
すれ違い様に女に声を掛けられると、曖昧な笑みを浮かべ会釈と手を返すことでその場をやり過ごす。その長い髪に想い起こされたのは八重歯を覗かせる小憎たらしい少年の姿。
まぁ変わるもよし、変わらなければ私もそれはそれでやりやすい。
足は自然と主の元へ向かう。また賑やかな界隈に足を運べるのもそうそうないのだろう。しばらくは忍らしく漆黒の闇に沈むとしよう。
意地の悪い笑みは沈む夕日の差す光りで人の目から遠ざけられる。次に山田利吉がこの地を訪れるのはだいぶ先。
欲しい物が簡単に手に入ったらつまらないとでも言いた気に、振り返ることもなく進む青年の姿は狩りというより策を楽しむ様であった。
カナカナカナ・・・
聞こえてくる音は蝉から蜩に変わり、物寂しく鳴り響くその音色は暑い一つの白昼夢の終わりを告げる。
これからも残暑は続く。巡る季節のように変わりゆく関係にそれぞれ思いを馳せながら、暑い夏の夜を迎い入れた。
「ねぇ先生」
「ん。なんだ」
「彦星と織り姫は幸せだと思います?」
「なんだ唐突に」
「いいから答えてくださいよ」
「うーんそうだな・・・会えない日々が続くんだから幸せとは言えないんじゃないか」
「そうですか」
「そうですかってお前はどうなんだ」
「俺には分かりません、本人じゃないし」
「おい」
「どうもどうも~ではおやすみなさい」
「おい、だから一体何なんだ」
「知りたかったんですよ、彦星と織り姫の気持ちが」
「はぁ?」
「聞けたからいいんです。おやすみなさい」
「ああ、なんだか釈然としないが。おやすみ」
暗闇の中考える。
やっぱり根本的に考え方が違う。
好きな人に思いを馳せながら、会える日々を待ち焦がれて生きていけるなんて幸せじゃあないですか。
俺はそういう生き方の方が好ましい。
幸せの中に包まれると嬉しいけど怖いんだ。
だからまた会いに来ます。
卒業しても、この家を出て行っても帰ってくるの先生の元だと思っています。
彦星と織り姫は幸せだよ。
でも幸せじゃないかもしれない。それは本人でないと分からない。
俺は幸せ。
でも先生は寂しがると思うから、七夕なんて言わずもっと頻繁に会いに行くよ。
それまでは
夏の終わりを告げると共に訪れる学校生活。ほんの少し、夏休みが延びればいいのになときり丸は天井を仰ぐ。
そこに浮かぶは土井先生。
ああ、感傷に浸るのは今日まで。今日だけ。だから
夢心地のまま瞳を閉じた。夏だというのに暖かい温もりが自分を包み心地好い眠りが訪れる。
それが何だか分かっても
変わらないよ俺は
枕に忍ばせた手を無意識に覆うものに重ねるとゆっくり意識を手放した。
おやすみ。
そしてまたおはようと言い合おう。