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紫煙の向こう側

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利害の上に成り立つ恋は、毀れる灰のように儚い。
 そして今日も、紫煙のうえに涙の雨が降る。






 長い煙管から立ち上る煙のむせ返るような香りに慣れたのは、一体いつ頃からだっただろう。そんな自分に抗うように、煙管の口を噛むことが癖になったのは。最初は怯えていたはずの客との床入れを、仕事、あるいは情報を得るための手段として何とも感じなくなったのは。
 もう、思い出せない。
 遠い昔、この地に染まりきっていないあの頃に、全部置いてきてしまった。
 禿だった幼い頃、吉原のきれいな面だけを見てきた。色とりどりの豪華な着物、贅の限りを尽くしたもてなし、芸。性別ではなく魅力のあるなしで遊女としての価値が問われるこの世界で、姐さんたちのように立派な遊女になるのだと希望を抱いていたのはもう過去のこと。
 ここは牢獄だ。行き場のない遊女を閉じ込め、一晩の夢を見せる幻のような場所。華やかなのは表だけ。位の低い遊女への扱いはひどく、位が高くなっても自由はなく、華やかなこの世界で生きていくこともまた、戦いと同じだった。
 幼いころからこの景色を見続け、男としては珍しく花魁まで登りつめても、決して満たされることはない人生。ただ人形のように飾り立てられ、持て囃され、金持ちの相手をしながら、このままここで何の変化もなく死んでいくのだろう。
 そう、思い込んでいた僕の日常は、ある日ひとりの客の男によって一変させられる。

「おいらん、おいらん」
「あねさま」

 ちょうど前の座敷で歌を披露し、客を補佐の遊女たちに任せて喉を潤していると、禿の青葉と杏里が小走りで駆けてきた。どちらも僕の身の回りの世話をしてくれる禿だ。こうして幼い禿を立派な遊女に育て上げるのも、位が上の遊女のつとめだ。

「ご指名が入っております。はじめての方です」
「初めての?」

 杏里の言葉に、訝しげな視線を向けてしまう。それも当然で、花魁というのは見世のトップであるのは勿論、それだけでなく吉原自体でも数えるほどしかいない。つまり一見の客が簡単に指名できるような遊女ではないのだ。相当な権力者であれば話は別だろうが。
 僕の疑問にピンときたのか、青葉が傍に寄ってきて小さく、

「大金を簡単に差し出したそうです。ご当主は逆らえない感じだったと」

 そう、理由を説明されて納得した。こんな時世だ、当主が何か弱みを握られていてもおかしくはない。もしくは、本当に当主を黙らせるほどの大金を簡単に支払ったか。

「…僕が出ないわけにはいかないか」

 花魁のような高級遊女はいわば見世の顔だ。当主を見逃してもらうには自分が出るしかないだろう。
 僕は長い着物の裾を翻し、二人の禿を引き連れて見世の表玄関へ向かった。









「君が帝太夫…、竜ヶ峰帝人君?すごいね、男の子で花魁にまで登り詰めるなんて。なかなか出来ないことだ」

 客が僕を視界に入れて、当主と遊女たちがいっせいに振り返った。やっと解放される、そんなほっとした表情。それを冷ややかな思いで見つめながらも実際はにこやかに、営業用の顔をしてみせた。
 立っていた件の客は、大金を簡単に出したというのが嘘のように若い男だった。折原臨也と名乗った着流しの彼は、まるで風のように現れた。ラフな出で立ちなのによくよく見ると良いものを着ているし、端正な顔は隠しようもない。金持ちの家の息子というよりは、自分の力で稼いでいる、裏の世界の男の顔、そんな印象。彼は僕を客として取るより先に、仕事を手伝わないかと言い出した。僕が惹きつけられざるをえない条件とともに。

『俺と取引しない?俺は情報屋をしてるんだ。仕事を手伝ってくれたら、いずれ君を吉原から連れ出してあげる』

 そっと顔を近づけてきたかと思うと、僕の耳元でとんでもない条件を提示してきた。耳打ちとはいえ、当主や他の遊女たちもいる場所でなんてことを言い出すんだ。そう思う「花魁」としての自分の意識の裏側で、「吉原の外」その言葉に少なからず興味を抱いている自分もいた。

『吉原の、外』

 幼いときからこの吉原に居て、ここでの生活が当たり前だった。男は魅力的な遊女にはなれない、そんな言葉が悔しくて、絶対に花魁になってやると自分に誓ったこともある。登って、登りつめて立ったその場所で、それでも何かが手からこぼれ落ちて行くような気がしていた。ここにあるのが安寧でも、外に僕の知らない世界が広がっていると聞いて、そこへの興味が尽きないのも確か。
 そんな僕の弱点を、この男はいとも簡単に見抜いて、的確に突いてきた。

「俺は間違いなく、君にとって、いやこの見世にとって一番の上客になるよ。その代わり、君も俺を…、楽しませてくれるよね?」

 含みのある言い方。花魁である僕だからこそできることがあるのだと、彼は手を差し出した。
 変わらない日常、変わらない風景。ここでこれ以上望めるものはない、そう思い込んでいた僕に、新しい扉を見せてくれた。一方的に優位な条件を与えるのではなく、利害の街・吉原に相応しい駆け引きの提示のしかたで。
 花魁の身請けには莫大な資金が必要になる。それをこの男が払うというのは、パッと見あまり現実的ではない気がしたが、彼がどうやって僕を連れ出すのか。その方法は関係なかった。
 このまま無感情にこの鳥籠での日々をやり過ごしていくのだろうと思っていた僕の、興味を引くには十分で。

「…わかりました。あなたに協力します。その、条件で」
「いい子だ」

 僕は、その手をとった。煙管の煙が晴れて、彼の顔が鮮明に映る。
 恐ろしく整ったその笑顔はやはり非の打ち所もなくて、逆にぞっとした。この手は僕を楽園へ導くのかもしれないし、地獄へ落とすのかもしれない。でも、そのどちらだとしても、
 
 僕はもうこの人の手の中から逃れることはできないだろう。それでも、死んだようなこの目に命が宿るなら。

 手を引かれながらなんとなく、そう思った。







 あの日から、客を取ることが増えた。花魁とは別の、いや花魁という立場を使ってやる「仕事」のためだ。
 臨也さんが知りたがる情報を持つ相手を客として取り、情報を引き出す。そして収穫を得た後は、臨也さんを客にとってそれを伝える。その繰り返しだ。客を取るより芸を見せることが多い花魁のなかで、僕は珍しい部類なのかもしれない。とはいえ、ただでさえすくない花魁の中でも男なのは僕一人で、その珍しさも手伝って、僕を指名したがる客は後を絶たなかった。そういう意味で、僕は目当ての客を取ることにおいては何の苦労も必要なかった。
 いつものように客を送り出した後、重い体を引き摺って歩く回廊で、僕を待つ人影がいた。

「帝人、無茶しすぎだ」
「…静雄、さん」

 廊下の壁に寄りかかって僕を待っていた彼は、いつものように煙管をくわえたままこちらへずかずかと歩いてくると、半分はだけた僕の着物の上から羽織りをそっとかけてくれた。

「…オマエが何をしてるかは、あらかた察してる。その場で止められなかったことがこんなに悔しいと思ったことはねぇ…。オマエが傷つくのを、ただ、見てるだけ…、いや見てることさえできねえなんて」
作品名:紫煙の向こう側 作家名:和泉