Million Kisses
「…なに?」
無言でスプーンを手にしてすくって寄越す。食べ辛いのに…。
「髪の毛…。暇つぶしに絡めて遊んでいたから。」
「別に良いけど…。重かったろう?」
「寝てるうちに顔色が戻った。それを見てるほうが安心する。」
「寝て起きたらとりあえず忘れる方だから。」
すんだことは置いといてやらなきゃいけないことから済ませる。暇になると落ち込みそうで嫌だな。
「起きたら忘れるのか…。」
手が止まって考え込んでるのでその間にスプーンとって自分で食べる。あわただしく済ませて片付けて。
眉を顰めて何か考えてるので前にお茶を出しても気が付いてない様子。まいいか。
お茶を飲んでぼーっとしてると唐突に手を握ってくる。
「何?」
「寝て起きたら忘れるとは。何でもか?」
「とりあえず嫌なことは思い出さないよ。」
頭のどこかで対応策をシミュレートしたら戸棚にしまって開けないという感じだな。
後は忘れなれないことは無理して忘れないけど触れない。下手に思い出すと不味い。
「わたしのことは?」
「は?忘れた事ないけど。」
考えないようにしてただけ。
「仕事に夢中になると忘れ去られたような気がするが。」
「仕事の中心にあなたが居るのに?」
それはないだろ。
「わたしは名だけで中身は要らないような気がする。」
…ブランドだからなぁ。
「そんな事が気になる?」
「嬉しくはない。」
気にしなきゃ良いのに。
「おれはどうしたら物事良くできるかしか考えられないけど。名より実を取るよ。」
「…中身はどうでもいいのか?」
「と言うかあなたがいなかったらこんなことに係わってないよ。もっと機械そのものに係わって人は二の次みたいな感じかな。
その方が世の中の役に立つかもしれないな。」
「世の役に立ちたいのか?」
「役に立つと言うか。生産的なことに係わりたいんだよ。そんなに意外?」
「何かしたいことがあるのか?」
「今のところはNS以外の事はあまり思いつかないな。」何ができるかな。
「まーなんて言うか過ぎたことよりこれからの事のを考えたいんだよ。だからあなたも気にしないで欲しいんだけど…。」
そうじゃなきゃこんな所に居やしない。とは言えやつには無理かな?
無理なら無理で何処かに行けばいい。多分どこでも生きて行けるなおれは。
「出来ないと言えば?」
「…ちゃんと寝れるんなら何でもいいけどさ。」
そっちが重要。
「考えていたんだが…。」
じーつと見てるから何を言うか待つ。
「寝なきゃいいんだな。」
「は?」
「ずっと起きてれば忘れないだろ。寝させない。」
考えるより早く手が出ておでこを軽くぺちっと叩いた。
「寝ないと死ぬよ。それに片端から忘れるわけじゃないんだし。」
そりゃなんの病気だよ。
「単に嫌なことに蓋してるだけなんだけど。」
「わたしも寝て忘れられれば良いんだろうが…。」
「忘れるのが無理ならせめてそれに囚われないで欲しい。そうじゃなきゃ今が無駄になるだろ。」
「そうだな。」
「それこそ勿体無いよ。」
眉間に皺が刻まれたままなのでおでこに軽くキスをする。
「ま。無理することは無いけど。」
「無理じゃなく…。他に気がいかない様にもっと熱くさせればいいんだな。」
は?
「身も心も…もっと熱くしてわたしに夢中にさせれば良いんだろう…。」
えーと。面と向ってそんな事言われても…。じっと見る目が一瞬で変わったようだ。なに考えてんだか凄く楽しそう。
「わたしが飽きるまで付き合ってくれるんだろ?むろんきみを飽きさせない。」
「凄い自信だな。」
「躊躇すればきみは逃げようとする。」
そうかな?
「逃げようとするのはあなただろ。時々全部投げて逃げようとするくせに。」
「きみ以外は要らないと思うことはあるが。」
「それはおれがいやだ。」
「つれないな。」
「バランスの悪いものは嫌いなんだよ。」
「そのバランスを崩したい。」
思わず溜息が出る。
「わかってるのか?そうなるともっと自分をさらけ出さなきゃいけないことになる。そして距離を保つことが必要になる。」
あなたにそれが出来るの?
「そうしなければきみを失う。その方が恐ろしい。」
その前に己を見失わなければ良いけど。既に見失ってるかも…。
「そうまで言うなら…。正直言って苦手だけど。ま・焦らないやろう。」
「…言うことはそれだけか?」
拍子抜けしたようだ。いや。わかるけどそんなに意気込んでもなぁ。先の長い話だし。
「何か言って欲しいの?」
「きみに求めるのが無駄か…。」
そんなにあからさまに寂しそうにされると仕方ない。触れるだけのキスをする。
「好きだよ。」
「…それで誤魔化すつもりか。」
「今更誤魔化すも無いだろ。疑い深いなあ。」
「やらせてくれない…。」
やる気になったのか…。
「おあずけ。」
「は?」
「おれ今そんな気力ないぞ。もう少し休みたい。疲れた。」
さっさとベランダに出ていすに座って目を閉じる。柔らかい日差しがほっとする。
実際後のこと考えたら少し休んでおきたい。今必用なのは精神的ダメージを和らげる暖かさだ。
やつのもたらすのはじりじりあぶりだそうとする熱だ。
そうさせるのはおれだからお互い余裕が無いな。
もっと穏やかにならないものかなぁ。
体は動かないけど意識は半分周りの気配を感じている。半分寝てるおれを見てる視線には気遣わしさもあるが執着が勝る。
それなのに恐る恐る触れてくる手は優しい。狸寝入りじゃ無いのを見て自分も椅子に座ったようだ。
ずるいだのなんだの言ってる様だが意識は底に沈んでいくようで良く聞こえない。
何か言わなきゃと思いながら寝てしまう。徹夜は体質に合わない…。
目が覚めたら納得するまでキスを贈ろう。百万回することになるかもしれない最初のキスを。
2008/7
作品名:Million Kisses 作家名:ぼの