きみにさよならする日まで
「そう、たぶん五百年くらい未来だと思う。そこで俺はきみと一緒にいて、なんか知らないけどきみのほあたとかいうヘンテコな魔法でここに飛ばされたみたいだ。すごく非現実的でバカみたいなこと言ってるんだけど、たぶん間違いないと思う」
バカなこというなと怒るかと思ったが、イギリスは真剣な表情でなにか考え込んでいる。
信じてくれているのか、頭がおかしいと思われているのかアメリカにはわからない。けれどとにかく信じてもらうしかないので、アメリカは祈るような気持ちでイギリスを見つめた。
その視線に気づいたのか、ふと彼が顔をあげる。そしてアメリカと視線が合うと、嫌そうに表情をゆがめた。
「そんな顔で見るな」
「だって、信じてくれないと俺は魚のえさにされるんだろう」
ハア、とイギリスはめんどくさそうに溜息をつく。
「嘘じゃないのはわかってる」
「ほ、ほんとかい? こんなこと信じるなんてきみはやっぱり不思議国家だな!」
「どういう意味だ、それ」
「悪い意味ではないんだぞ!」
「……どーだかな」
いつものイギリスならここで小型犬みたいにキャンキャン怒るのだが、目の前にいる過去のイギリスは嫌そうに眉をしかめて、それで終わりだった。
自分の知っているイギリスとまったく違う態度に若干拍子抜けしてしまう。からかいがいもないし、そもそも感情の起伏がなさすぎる。
「それで、そもそもなんで未来の俺はおまえをここに飛ばしたんだ?」
「海賊時代の話を聞かせてくれって頼んでたら急に怒ったんだよ。それで自分で見てこいって叫んで、気づいたらここにいた」
「へえ」
イギリスは驚いたようにぱちりとまばたきをする。
「俺がそんな親切なことを他人にするとはな」
「親切なのかい、これがっ?」
「親切じゃねーか。てめえのわがままのためにエンジェルのちからまで使ってやってんだから」
「きみの親切の定義は間違ってるぞ! いまのうちに改善しておいてくれ!」
あー、もう、うるせえなあ。とイギリスは迷惑そうに言って、右手で耳を押さえた。けれどそれ以上はなにをするわけではなく、ただ黙りこんでしまう。
もしかして怒ってしまったのだろうか。つられるようにアメリカもくちを閉ざすと室内は嫌な沈黙だけが沈殿して、息苦しささえ感じる。
イギリスはなにも考えていないような無表情で、ぼんやりとシーツの波目を見ているだけだ。これはきっと話しかけても取り合えってくれないだろうなと判断して、アメリカも己の思考の波に沈む。
海賊のことを自分で調べろと言われて吹っ飛ばされて来た世界。アメリカと出会う前のイギリス。
こんなことでもなかったら絶対に出会えなかった人を前にして、すこしだけ胸が高鳴りもしているのは事実だ。意識はすっかり海賊時代の探求よりもイギリスへの興味へ傾いている。
もともと冒険は大好きだ。未知の体験はわくわくするし、謎を解明していきその先で手に入れる真実や達成感の大きさも知っている。だからだろうか。あまり不安を感じていない。むしろ、この時代のイギリスのことをたくさん知って、自分のあるべき場所に帰ってからそのことをイギリスに話してやりたいとすら思う心の余裕もある。
そこまで考えて、アメリカはハッと気がついた。
「俺、帰り方を聞いてないぞ!」
「はあ?」
「ど、どうしてくれるんだいイギリス! きみ、人の事ぶっ飛ばすだけぶっ飛ばしてどうやって帰るのか教えてくれてないじゃないかっ!」
「……なんだおまえ、それが見えてないのか?」
「それ?」
イギリスの細い指がまっすぐにアメリカへ向けられている。なにを指さしているのか分からずばたばたとパーカーを叩いていると、溜息と共に「その変な服じゃねえ、手首だ手首」と付け加えられる。
「手首?」
自分の手首を見てみるが、なにもない普通の手首だ。ブレスレットをつけているときもあるがいまはそれもなく、見慣れた自分の骨ばった手首しかない。
「手首がどうしたんだい?」
「手首に緑色の糸が巻き付いてる」
「糸?」
ああ、とイギリスはうなずいた。もう一度確認するがやはりそれらしいものはなく、ただただ首をかしげるアメリカにイギリスは呆れたように言う。
「おまえは魔法のちからがかけらもないんだな。だから見えないんだ」
「魔法ねえ」
「いまは短く途中で切れてるが、こうしているあいだも伸びてるぞ。それがおまえの来た時代とつながったら帰れるんじゃないか」
「へえ、なんだか運命の赤い糸ってやつみたいだね」
「……運命の、なんだって?」
「知らないのかい? たしか日本が言ってたんだぞ。人の小指には赤い糸が巻きついていて、それは運命の相手とつながってるってね!」
「おまえのは運命ではなくて未来とつながってるんだがな」
まあいい、と一言置いてから、イギリスはさらに言う。
「その糸からはたしかにうちの妖精たちの気配がする。ということは、おまえが嘘をついていないという証拠だ」
「じゃあ、信じてくれたんだね!」
「まあ……そうだな。その伸び方なら三日か四日……、長くて一週間ていどでおまえのいた場所に帰れるんじゃねえか」
「ほんとかいっ?」
「ああ。とにかくまあ、俺のしたことならしかたねえし、帰れるまで特別にこの船に留まることを許してやる。その代わりここでは俺の命令が絶対だ。すこしでも自分勝手な行動したら沈めるぞ」
「わかってるよ! まったくきみってほんとにうるさい人だなあ」
わざと挑発するような物言いをしたのは、もはや癖だ。これは激昂するかなと思ったが、イギリスは不愉快そうに眉をしかめて忌々しそうに舌打ちしただけですいと立ちあがる。
「とりあえず、おまえは俺のいとこかなんかしておく。ソファーも貸してやるから寝泊まりはそこでしろ」
「いいのかい?」
「嫌だと言ったら便所か甲板で寝てくれんのか」
「い、嫌だよっ」
「みんなにはいとこの道楽息子が遊びで勝手に潜入したと伝えておくから、あとは自由にしていい」
それだけ言い置いて、イギリスはすいと歩きだした。乗組員にさきほどのことを伝えに行くのだろう。
呼びとめる理由のなくその背中を見守っていると、扉の前で不意にイギリスが立ち止まる。そして肩越しにこちらを振り返った。
「ひとつ聞いてもいいか」
「なんだい」
「俺とおまえは……、未来の俺たちはどういう関係なんだ」
イギリスの瞳が一瞬不安げに揺れたような気がした。けれどそれもすぐに空気のように溶け、残ったのは意志の強そうないつものイギリスの瞳だけだ。
関係。なんて答えようかいろいろと考えて、アメリカはニッと笑ってみせる。
「秘密だよっ」
「は?」
「あ、もちろん悪い関係じゃないよ! それはたしかだから安心してくれよ。でも、詳しい関係は秘密! 未来のお楽しみさ」
「……ふーん」
自分が聞いたくせに興味なさそうな声でそう言って、イギリスは今度こそ部屋から出ていった。
イギリスとアメリカの関係。
出会いは自我が芽生えたころの幼いアメリカを引き取り、育ててくれたところからだ。何度も通って慈しんでくれた。そして独立して、しばらく冷たい関係が続いた。いつごろか明確にはわからないが、植物が育つようにゆっくりと関係を修復させ、同盟国にもなった。
作品名:きみにさよならする日まで 作家名:ことは