銀の弾丸などはない
けたたましい破壊音に続き、窓から転げるようにして室内に入ってきたのは、しなやかな動きをした金髪の人物だった。立ち上がればひとつに結わいた長い髪が揺れて、意志の強さを容易にうかがわせる同じ色の瞳が絶賛闇取引中の高官と武器密売商人達を睥睨した。
すらりとした青年は、ともすれば中性的ともいえる整った顔でにこりと笑った後、楽しげに親指を首の前で動かした後、表情を非常に悪辣なものに変え、勢いよく下を指した。
「お前ら全員現行犯だ。抵抗すれば命はない」
そのうきうきした表情は如実に言っていた。抵抗しても構わない、と。むしろ抵抗してくれたら好きなだけぶちのめせるのに、と。そんな鮮やかな凶暴さにその端正な容貌は彩られていた。
「ひっ…!」
「マスタングの狗が…!」
腰を抜かすものあり、腰の銃に手を伸ばすものあり、反応は様々だったが、青年は慌てず騒がず一歩を踏み出し、ぱん、と乾いた音を立てて両の掌をあわせた。
そうして、満ちる光、それは。
「――まーったく、うっるせぇなあ!」
ぞんざいな口調でのぼやきと衝撃は同時だった。残光とともに彼が触れた場所から内装がかわっていく。椅子は椅子でなくなり、壁は壁でなくなっていく。そうして、ものの数十秒で闇取引の現場は押さえられた。関与する人間は皆、ふいに現われた檻に閉じ込められて。
「残念でしたけど捕まってもらいますね、えーと、少将閣下ぁ?」
青年は柄も悪く檻の中のひとり、最も位高い相手に呼びかける。相手は血の気の引いた顔で、逃げるように目をそらしていた。
「…まったく、」
どうにかすると若々しさのせいで位階よりも低く見られてしまいがちな黒髪の男は、呆れたような疲れたような様子で車から降りた。一瞬止めようとした警備の兵は、彼が無造作につけたいくつもの勲章から正体を覚ると慌てて敬礼をする。
それらに慣れた様子で頷いてから、未だ青年然として見える男は口を開いた。どこか愛嬌のある顔をして、小首を捻るようにして、少しだけ困ったような態度で。
「――鋼の錬金術師はどこにいる?」
由緒あるホテルなのに、とロイ・マスタング、現在少将への昇進秒読み段階中と囁かれる准将閣下はひっそり溜息をついてその建物の壁を見上げた。見事に破壊されている。毎度庇うこちらの身にも少しなって欲しいというか、…どうして何事も「彼」にかかると派手になってしまうのだろうか。全く、彼は「隠密」の言葉の意味を理解しているのだろうか、本当に。
赤煉瓦の壁にアイビーの似合う瀟洒なホテルだった。大きな宿ではなかったけれど由緒正しく上品で、かといって人を拒むような取り澄ましたところがあるわけでもなく、ふいの旅人にも暖かいスープを快く供すホテルだった。
…ロイは、久々に会うことになる相手をここに誘うつもりだったのだが。
「…はぁ」
彼はいささか情けない様子で再び溜息をついた。そうは言っても、壊れてしまったものはどうしようもないので。
「なーに溜息ついてんの」
と、廊下の先、開いていたドアの向こうからひょこっと顔を出したのは、長い金髪を一つに結わいた青年だ。大きな金色のつり目が猫のようにくるんと動き、意志の強そうな唇が、今はいたずらっ子のようににやりと口角を上げた。
「………鋼の」
ロイは、表情を選びかねて、銘だけを口にした。
そうすれば彼は視線の先で「おう、久しぶり」とふるい友達のように屈託ない表情で笑ったのだった。
――約束だからな。
エドワード・エルリックは、彼ら兄弟が追い求めていたものに一応のケリがついた時、そんな風にロイに言った。気負いのない様子で、出されたお茶にひとくち口をつけた後で。
約束、といえば、それは、あの五二〇センズの貸し借りのことしかない。ロイは目を瞠って彼を見ることしか出来なかった。自分はずっと覚えていた。けれどそれを口に出して確認したこともなかった。いや、冗談のように口にしたことはあったけれど、その本心は、意図は、なんて、ついに聞けたためしがなかった。
弟の体を取り戻して、けれど彼は、何のつもりか自分の体は戻さなかった。身長を伸ばすんじゃなかったのかい、なんて、冗談めかして聞いても、彼は静かな表情で「いいんだ」というだけだった。その凪いだ様子にロイはそれ以上の言葉を控えた。既に彼の中で幾度も検討され、葛藤を経た問題なのは明らかで、そこにこれ以上の言葉などさしはさむことは出来なかった。彼は子供でも、守らなければならない被保護者でもない。エドワード・エルリックという一個の人間で、希代の錬金術師なのだ。彼の決断は彼のもので、たとえどれだけ案じていたとしても、彼の出したそれを揺るがすことなどできはしなかった。
これからどうするんだ、話題を変えてそう尋ねたロイに、エドワードは言った。
「約束だからな。あんたがこの国をまともにするのを見届けるのはさ」
少年と青年の過渡期にあった、幼さの抜けてきつつあった横顔をロイは見ていた。
「あんたの駒にしてくれないか」
「…なに…?」
言われた意味が理解し難くて、ロイは眉をひそめた。そんなロイをまっすぐに見返しながら、エドワードは続けた。笑いもせず、真面目な顔をして。
「あんたは理想を追う」
結局は鋼のままの指先がロイを指差してきた。
「オレは、あんたができない汚いことをする」
「……、ちょっと待て、それこそ、」
エドワードの方がよほども性根は美しく、人に優しい。ロイはそう思っていた。彼の純粋さを知っていた。だからこそこの提言には無理がある、とロイは反駁しかけた。しかし。
「実際に腕にものいわすのは最後の手段だ。オレだって馬鹿じゃない。でもさ、あんたはセントラルで上を見なくちゃいけない。でも国はセントラルだけで動いてるわけじゃない」
エドワードはそこでほんの少し目を細めて、小さく笑った。思わず見とれてしまったロイに、彼の言葉は続いた。
「オレが見てきてやる」
「なに…?」
エドワードは一気に残ったお茶をあおった。
「あんたのかわりに。あんたの足になって、手になって、目に、耳になる。あんたのそばにはあんたが信頼する、あんたが認めた皆がいる。だからあんたの身の回りにオレは全然不安は覚えない。もしあんたの脅威になるものがあるとしたら、それは、あんたから遠いところで育つんだ」
エドワードはポケットから銀時計を出し、ロイに示した。ぱちんと弾いた後、彼は笑って、そうして再び銀時計をしまいこむ。
「そういうわけだから、オレはこれを返すのはやめにした。あった方が便利だしな」
「…それはもちろん、かまわないが…」
呆気にとられたロイに、エドワードは今度はとても楽しげな笑みを見せた。
「――期待してるんだぜ、オレ、あんたの作る未来にさ」
「……」
あまりにストレートな台詞だったもので、ロイは絶句してしまった。どころか、目元を軽く染めてしまった。照れくさくて。
そんなロイにエドワードは軽く敬礼などしてみせて。そうして、ごっそうさん、そう口にして部屋を退出していった。