めらんこりっくだとかなんだとか
春特有の、芽吹き出した草花と雨に濡れたコンクリートの匂いの混ざったような、腹の底がふわふわと浮き立つような空気の中、折原臨也は夜に溶けるようなファーつきの黒いジャケットを羽織り、片手には露西亜寿司の折り詰めを下げて帰途についていた。
雨上がりの天には今月二度目の顔をだす満月が蒼々と浮かんではその冷たさを感じさせる光で街を照らしている。
一月に二度満月を見ることが出来ると願いがかなう、などという迷信を信じているわけではないが、折原は天に空いた大きな穴を見上げると頬の緩みを押さえることができなかった。
(一体何がある?俺が願う良いことなんて全人類を愛せるようになることか、それかシズちゃんが死んでくれるくらいなんだけどね。)
折原は思わず仇敵の顔を思い浮かべてしまい、かぶりを振る。
(やめよう。こんな良い日にまであいつのことを考える必要なんてないじゃないか。)
意識せずとも深層まで根付いてしまった忌々しい男について考えないように思考を切り替えようとする折原を嘲笑うかのように、数メートル先に金髪のバーテン服がガードレールに腰かけているのが視界に飛び込んできた。
(勘弁してよね…)
前回おいかけっこをしたときは寿司折りがぐちゃぐちゃに崩れてしまって、蓋を開けた瞬間なんとも虚しい気分になったことを思いだしてげんなりとした気分になった。
袖からナイフを抜きつつ神経を尖らせる。
その顔がこちらを向けばまたいつもの殺しあいが始まるーー。
しかし、平和島が折原をちらりともみることはなかった。
ただ浅くガードレールに腰を掛け、ゆっくりと煙草をふかしているだけだった。
月に照らされた蒼白い顔を上向かせじっと天をみている。
その顔は夜も外すことのないサングラスに隠され表情を読み取ることはできない。
だが平和島は泣いているのだ、と折原は思った。
ただ直感的に思っただけの憶測にすぎないそれだが、当たっている、と自信を持って言えるのだ。
理由などない。しいていうなら平和島のことだからわかる、とでもいうべきだろうか。
平和島がこちらに気づかないのならば、そのまま方向転換をして別の道を通れば平穏無事に部屋まで帰りつき好物の大トロをぱくつくことができるのだ。
頭では理解していた。しかしその正しく幸せな夜を過ごすことよりも平和島がこちらを丸で空気のように扱うことに折原はとてつもない屈辱を感じたのだった。
(なんでこっち向かないの)
常なる跳ねるような歩き方ではなく、わざとらしく足音を立てて平和島に近づくと煙草を奪い取る。
しかし平和島は今は折原の手にあるそれと煙草を挟んでいたはずの指とをゆっくりと交互に見ると、無言でまた顔を背けた。
折原は瞬間的に頬が熱くなるのを感じ、平和島の緩く開いたシャツの襟を掴むと合間から見えた白い肌に手にした煙草をぐりぐりと押しつけた。
恐らく平和島にとっては蚊に刺された程度の痛みだろうが、一瞬でも眉をしかめさせることができたことわずかだが苛立ちが収まるのを感じる。
「…何だ。」
「別に、ただ君が見えたからね、腹が立っての行動さ。意味なんてないよ。悪いね」
口を開けばするりといつもの無駄口を叩けることにほんのすこし安堵し、口角を無理やり持ち上げ嫌味ったらしい笑顔を浮かべて見せた。
(さあ、のってこい)
しかし平和島は憮然とした表情を浮かべるだけで「服、こげてねぇよな」と小さく呟くと煙草のケースを尻ポケットにねじ込み折原に背を向けた。
「ちょっと、どこいくのさ」
「…どこでもいいだろ。帰るんだよ」
「逃げるの?ついに俺のこと怖くなっちゃった?」
「お前がそう思いたいならそう思えばいい。俺に構うな」
平和島はこちらを振りかえることすらしない。
「へぇ、そんなに泣いてるのみられたくないの?」
あまりにも普段と様子のちがう平和島に折原は段々と恐ろしくなってきた。
「…泣いてるように見えるか?」
「見えるね!今のシズちゃんはまるで迷子の子供だ!ママはまだみつからないの?迷子室につれていってあげようか!」
「迷子なのはお前じゃねぇのか?」
「は?」
はあ、と平和島は大きくため息をつくと突っ込んでいたポケットから手を出し髪をぐしゃぐしゃとかいた。
「そうだな、今日の俺は確かに泣きてぇ気分だよ。悩んでることだってある。でもな、だからどうした?泣いて見せれば手前は満足か?」
「…」
「それにな、俺はお前のママを探してやることはしたくねぇんだ。だからいくらそんな顔で俺を見たって俺の服の裾を握りしめてきたってなにもしてやらねぇししたくねぇ。わかるか?『折原』」
「…っ!」
平和島の目には嘲りも侮蔑も優越感のひとかけらすら浮かんでいなかった。真からそう思っているようで、まさに、それは、
がたがたと身体が震え出す。
手から寿司折りがすべり落ちる(おい、落ちたぞ、と声が聞こえたような気がした)
周りの音が遠ざかる耳鳴りがする景色が歪む目の前がよく見えない足場が崩れて行く
雨上がりの天には今月二度目の顔をだす満月が蒼々と浮かんではその冷たさを感じさせる光で街を照らしている。
一月に二度満月を見ることが出来ると願いがかなう、などという迷信を信じているわけではないが、折原は天に空いた大きな穴を見上げると頬の緩みを押さえることができなかった。
(一体何がある?俺が願う良いことなんて全人類を愛せるようになることか、それかシズちゃんが死んでくれるくらいなんだけどね。)
折原は思わず仇敵の顔を思い浮かべてしまい、かぶりを振る。
(やめよう。こんな良い日にまであいつのことを考える必要なんてないじゃないか。)
意識せずとも深層まで根付いてしまった忌々しい男について考えないように思考を切り替えようとする折原を嘲笑うかのように、数メートル先に金髪のバーテン服がガードレールに腰かけているのが視界に飛び込んできた。
(勘弁してよね…)
前回おいかけっこをしたときは寿司折りがぐちゃぐちゃに崩れてしまって、蓋を開けた瞬間なんとも虚しい気分になったことを思いだしてげんなりとした気分になった。
袖からナイフを抜きつつ神経を尖らせる。
その顔がこちらを向けばまたいつもの殺しあいが始まるーー。
しかし、平和島が折原をちらりともみることはなかった。
ただ浅くガードレールに腰を掛け、ゆっくりと煙草をふかしているだけだった。
月に照らされた蒼白い顔を上向かせじっと天をみている。
その顔は夜も外すことのないサングラスに隠され表情を読み取ることはできない。
だが平和島は泣いているのだ、と折原は思った。
ただ直感的に思っただけの憶測にすぎないそれだが、当たっている、と自信を持って言えるのだ。
理由などない。しいていうなら平和島のことだからわかる、とでもいうべきだろうか。
平和島がこちらに気づかないのならば、そのまま方向転換をして別の道を通れば平穏無事に部屋まで帰りつき好物の大トロをぱくつくことができるのだ。
頭では理解していた。しかしその正しく幸せな夜を過ごすことよりも平和島がこちらを丸で空気のように扱うことに折原はとてつもない屈辱を感じたのだった。
(なんでこっち向かないの)
常なる跳ねるような歩き方ではなく、わざとらしく足音を立てて平和島に近づくと煙草を奪い取る。
しかし平和島は今は折原の手にあるそれと煙草を挟んでいたはずの指とをゆっくりと交互に見ると、無言でまた顔を背けた。
折原は瞬間的に頬が熱くなるのを感じ、平和島の緩く開いたシャツの襟を掴むと合間から見えた白い肌に手にした煙草をぐりぐりと押しつけた。
恐らく平和島にとっては蚊に刺された程度の痛みだろうが、一瞬でも眉をしかめさせることができたことわずかだが苛立ちが収まるのを感じる。
「…何だ。」
「別に、ただ君が見えたからね、腹が立っての行動さ。意味なんてないよ。悪いね」
口を開けばするりといつもの無駄口を叩けることにほんのすこし安堵し、口角を無理やり持ち上げ嫌味ったらしい笑顔を浮かべて見せた。
(さあ、のってこい)
しかし平和島は憮然とした表情を浮かべるだけで「服、こげてねぇよな」と小さく呟くと煙草のケースを尻ポケットにねじ込み折原に背を向けた。
「ちょっと、どこいくのさ」
「…どこでもいいだろ。帰るんだよ」
「逃げるの?ついに俺のこと怖くなっちゃった?」
「お前がそう思いたいならそう思えばいい。俺に構うな」
平和島はこちらを振りかえることすらしない。
「へぇ、そんなに泣いてるのみられたくないの?」
あまりにも普段と様子のちがう平和島に折原は段々と恐ろしくなってきた。
「…泣いてるように見えるか?」
「見えるね!今のシズちゃんはまるで迷子の子供だ!ママはまだみつからないの?迷子室につれていってあげようか!」
「迷子なのはお前じゃねぇのか?」
「は?」
はあ、と平和島は大きくため息をつくと突っ込んでいたポケットから手を出し髪をぐしゃぐしゃとかいた。
「そうだな、今日の俺は確かに泣きてぇ気分だよ。悩んでることだってある。でもな、だからどうした?泣いて見せれば手前は満足か?」
「…」
「それにな、俺はお前のママを探してやることはしたくねぇんだ。だからいくらそんな顔で俺を見たって俺の服の裾を握りしめてきたってなにもしてやらねぇししたくねぇ。わかるか?『折原』」
「…っ!」
平和島の目には嘲りも侮蔑も優越感のひとかけらすら浮かんでいなかった。真からそう思っているようで、まさに、それは、
がたがたと身体が震え出す。
手から寿司折りがすべり落ちる(おい、落ちたぞ、と声が聞こえたような気がした)
周りの音が遠ざかる耳鳴りがする景色が歪む目の前がよく見えない足場が崩れて行く
作品名:めらんこりっくだとかなんだとか 作家名:食べるココア