マザーランド
別に俺のミスってわけじゃなかった。俺はこの仕事を始めてからミスなんて一回もしたことない。というのも、この仕事ではたった一度のミスが即座に自分自身の死に繋がるからで、つまり俺は、今までの人生でミスをしたことがないのではなく、まだミスをしていない結果としてどうにか人生をつづけられているに過ぎないのかもしれない。
そんな俺が、組織のナンバー3、上の上のそのまた上の上司みたいなもんの不始末が原因で死ななきゃならなくなった。繰り返すが、別に俺のミスってわけじゃない。事態は俺の関知しないところで動いている。それがどんな込み入った事情なのかも知らない。ただ俺は死ななきゃならない、それは定められた事項として端的に事務的に告げられたのだ。
正直言って、いつかは誰かに殺されるんだろうと思っていた。こんな仕事をしてる身だ、ベッドの上で死にたいだなんて思っちゃいない。人殺しの分際で、そんなお気楽な死を望んじゃいけない。ベッドの上の女の腹の上でなら死にたくないこともないが、それはまた別の話。
俺は自らの手で命を絶たねばならないのだという。何の謎も残さず、明快に爽快に死んでみせろという。おいおい、あのハゲジジイが俺の死んだ後ものうのうと生き残りやがるにも関わらずこの件に関して咎のない俺はあんな奴のために死ななきゃならんのか。頼むからお前が死んでくれ。どうせ老い先短いんだろ。しかし俺に免れえぬ死を告げた組織の使者は、「アナタが死ぬことで助かる命もあるのですよ、だいたい今回の引責で死ぬのはアナタだけではないのです、それなのにアナタはそんなにグジグジと男らしくないことを言って」ああそうだよ俺は往生際が悪いよ。悪くて悪かったか?
「死にたくない死にたくない死にたくない」
使者が帰った後、俺はベッドの中で毛布に包まる。呟く。泣くこともできない。恐怖ではなく嫌悪でさえなく、放心だった。思考能力が極端に低下してはいたが、死ななきゃならないことだけは理解していた。自分が、結局は組織の決定に逆らえないことも。
「死にたくない死にたくない死にたくない」
呆然として俺は呟きつづける。今は何時だ、明日まで何時間あるのだろう、やりのこしたこと、身辺整理、愛しい女達への最後のラブコール、レンタル期限の切れそうなDVD、遺書、楽な死に方ってやっぱ首吊りか、でもアレって死に顔が酷いんだよな、そんなことが断片的に頭に浮かびはするが俺はただひとつの言葉を繰り返し繰り返して繰り返す。組織が俺に最後の時間をくれたのは工作のためと、この世に悔いなくお別れができるようにとの親切心からなのかもしれなかったが、何も言わずにいきなり殺してくれたほうがよっぽど親切だった。それなら理不尽な死を自覚しないで済んだ。
「死にたくない死にたくない死にたくない」
こんな体に生まれついてなけりゃもっと違った生き方ができたのかな。マフィアになんかならず、フツーに医者でもやってイイ女と恋をして結婚してガキが生まれてパパになってもまだ若い女とアバンチュールを楽しんで、そのうち女房に愛想つかされて出て行かれるのがオチだったろうか。
「死にたくない死にたくない死にたくない」
俺は何人くらい殺してきたんだっけなあ、組織の命令に従って。あいつらにも家族がいて守りたい誰かがいて愛したり愛されたり、死にたい奴なんて誰もいなかった。なのに皆、呆気なく死んでいった。だから俺もいつかは俺が殺した奴らのように誰かに呆気なく殺されることを覚悟してきた。せめてそれまでは生きたいように生きていたかった。そんな俺の最後の仕事のターゲットが、俺。お笑い草だ。これこそが報い、という奴なのか。誰かに殺されるまでは生きていたかった俺を、俺自身の手で殺すことこそが。
「死にたくない死にたくない死にたくな――」
俺の丸まった背中に掌が置かれる。掌は俺の背中をやさしくさする。
「大丈夫だよ、センセーは死なねーよ」
なぜ、今、ここに山本がいるのか解らない。なぜ、俺は、最後の夜に絶世の美女、ではないにしても自分の知っている女達の中で一番の美女、ではなくこんなオスガキを選んで、一緒にいるのだろう。俺はもうフォローを入れられない。自分の言動にも、山本に対しても。山本は俺の背中をさすりつづける。時々は俺を毛布越しに抱きしめてもみせる。なぜか俺は、山本が俺の置かれた状態を知らないことを確信している。山本は純粋に、俺がちょっと不安定でよくわからないことになっているので慰めようとしてくれている。ガキのくせに。お前を抱きしめるのは俺の役目だろ。しかし今の俺は自分の膝を抱きしめることしかできない。なにせ余裕がないのだ。
「大丈夫だよ、死ぬ必要なんてねーよ」
それは違うぞ山本。明日には俺は死ぬ。死にたくはないが死ぬ必要があるので自殺する。朝日が窓から差し込んできたらさっさと山本を家に帰そう。こいつがいたら死ねない。でも、山本は俺と別れたあと、俺の死を知ってどう思うだろう。今夜の俺の異状を目の当たりにしている山本は、俺の死の陰に何らかの策謀が存在したことを嗅ぎつけるだろうか。そんな匂いは嗅がないでいてほしい。ガキが関わっていい問題ではないのだ。組織のため、一抹の不自然さも残さずに俺は俺の命を絶ち、それは単なる突発的な自殺と断定され、俺が消えたあとも世界は陽気に回りつづけなければならないのだ。
俺は後悔する。今日、山本に会うべきではなかった。会って、こんな弱さを見せるべきではなかった。俺は、一人で、おとなしく死んでいくべきだった。俺の死を山本は悲しむだろうか。きっと悲しむだろう。悲しまないわけがない。
しかし俺は卑怯にも安堵する。俺の真意を、俺が死にたくなかったことを、一人でも知っていてくれる人間がいるという事実に。
そんな俺が、組織のナンバー3、上の上のそのまた上の上司みたいなもんの不始末が原因で死ななきゃならなくなった。繰り返すが、別に俺のミスってわけじゃない。事態は俺の関知しないところで動いている。それがどんな込み入った事情なのかも知らない。ただ俺は死ななきゃならない、それは定められた事項として端的に事務的に告げられたのだ。
正直言って、いつかは誰かに殺されるんだろうと思っていた。こんな仕事をしてる身だ、ベッドの上で死にたいだなんて思っちゃいない。人殺しの分際で、そんなお気楽な死を望んじゃいけない。ベッドの上の女の腹の上でなら死にたくないこともないが、それはまた別の話。
俺は自らの手で命を絶たねばならないのだという。何の謎も残さず、明快に爽快に死んでみせろという。おいおい、あのハゲジジイが俺の死んだ後ものうのうと生き残りやがるにも関わらずこの件に関して咎のない俺はあんな奴のために死ななきゃならんのか。頼むからお前が死んでくれ。どうせ老い先短いんだろ。しかし俺に免れえぬ死を告げた組織の使者は、「アナタが死ぬことで助かる命もあるのですよ、だいたい今回の引責で死ぬのはアナタだけではないのです、それなのにアナタはそんなにグジグジと男らしくないことを言って」ああそうだよ俺は往生際が悪いよ。悪くて悪かったか?
「死にたくない死にたくない死にたくない」
使者が帰った後、俺はベッドの中で毛布に包まる。呟く。泣くこともできない。恐怖ではなく嫌悪でさえなく、放心だった。思考能力が極端に低下してはいたが、死ななきゃならないことだけは理解していた。自分が、結局は組織の決定に逆らえないことも。
「死にたくない死にたくない死にたくない」
呆然として俺は呟きつづける。今は何時だ、明日まで何時間あるのだろう、やりのこしたこと、身辺整理、愛しい女達への最後のラブコール、レンタル期限の切れそうなDVD、遺書、楽な死に方ってやっぱ首吊りか、でもアレって死に顔が酷いんだよな、そんなことが断片的に頭に浮かびはするが俺はただひとつの言葉を繰り返し繰り返して繰り返す。組織が俺に最後の時間をくれたのは工作のためと、この世に悔いなくお別れができるようにとの親切心からなのかもしれなかったが、何も言わずにいきなり殺してくれたほうがよっぽど親切だった。それなら理不尽な死を自覚しないで済んだ。
「死にたくない死にたくない死にたくない」
こんな体に生まれついてなけりゃもっと違った生き方ができたのかな。マフィアになんかならず、フツーに医者でもやってイイ女と恋をして結婚してガキが生まれてパパになってもまだ若い女とアバンチュールを楽しんで、そのうち女房に愛想つかされて出て行かれるのがオチだったろうか。
「死にたくない死にたくない死にたくない」
俺は何人くらい殺してきたんだっけなあ、組織の命令に従って。あいつらにも家族がいて守りたい誰かがいて愛したり愛されたり、死にたい奴なんて誰もいなかった。なのに皆、呆気なく死んでいった。だから俺もいつかは俺が殺した奴らのように誰かに呆気なく殺されることを覚悟してきた。せめてそれまでは生きたいように生きていたかった。そんな俺の最後の仕事のターゲットが、俺。お笑い草だ。これこそが報い、という奴なのか。誰かに殺されるまでは生きていたかった俺を、俺自身の手で殺すことこそが。
「死にたくない死にたくない死にたくな――」
俺の丸まった背中に掌が置かれる。掌は俺の背中をやさしくさする。
「大丈夫だよ、センセーは死なねーよ」
なぜ、今、ここに山本がいるのか解らない。なぜ、俺は、最後の夜に絶世の美女、ではないにしても自分の知っている女達の中で一番の美女、ではなくこんなオスガキを選んで、一緒にいるのだろう。俺はもうフォローを入れられない。自分の言動にも、山本に対しても。山本は俺の背中をさすりつづける。時々は俺を毛布越しに抱きしめてもみせる。なぜか俺は、山本が俺の置かれた状態を知らないことを確信している。山本は純粋に、俺がちょっと不安定でよくわからないことになっているので慰めようとしてくれている。ガキのくせに。お前を抱きしめるのは俺の役目だろ。しかし今の俺は自分の膝を抱きしめることしかできない。なにせ余裕がないのだ。
「大丈夫だよ、死ぬ必要なんてねーよ」
それは違うぞ山本。明日には俺は死ぬ。死にたくはないが死ぬ必要があるので自殺する。朝日が窓から差し込んできたらさっさと山本を家に帰そう。こいつがいたら死ねない。でも、山本は俺と別れたあと、俺の死を知ってどう思うだろう。今夜の俺の異状を目の当たりにしている山本は、俺の死の陰に何らかの策謀が存在したことを嗅ぎつけるだろうか。そんな匂いは嗅がないでいてほしい。ガキが関わっていい問題ではないのだ。組織のため、一抹の不自然さも残さずに俺は俺の命を絶ち、それは単なる突発的な自殺と断定され、俺が消えたあとも世界は陽気に回りつづけなければならないのだ。
俺は後悔する。今日、山本に会うべきではなかった。会って、こんな弱さを見せるべきではなかった。俺は、一人で、おとなしく死んでいくべきだった。俺の死を山本は悲しむだろうか。きっと悲しむだろう。悲しまないわけがない。
しかし俺は卑怯にも安堵する。俺の真意を、俺が死にたくなかったことを、一人でも知っていてくれる人間がいるという事実に。