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マザーランド

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 いつの間にか深く寝入っていたらしかった。
 左隣には規則正しい健康的な寝息がある。山本。柔らかすぎるので買い換えようと思いつつ不便というほどの不便を感じてはいないので翌朝にはどうでもよくなっている枕、その大量の綿に沈み込んだ頭をそろりと左から右へ巡らせる。必要最低限の家具しか揃っていない、生活感のない自分の部屋。壁にかかったアナログ丸時計。室内が暗いせいで黒としか思えない紺色の厚いカーテンの隙間から、仄青い光が射しこんでいる。窓の外、月はまだ制空権をしぶとく主張しているようだ。
 今日は何日だっけ、俺はいつ死ななきゃいけないんだっけ、と考えて、自分が夢を見ていたことに思い至った。容器の中の泥水が時間と共に水と泥の二層に分離されていくように、混濁した意識が澄んでくる。そうか、アレは夢か。安心より先に脱力した。クソ。なんだってあんなくだらない夢を。
 首を、目覚めた瞬間の位置に戻した。俺の懊悩とは無縁の穏やかな寝顔をみつめる。
「山本」
 返事は無かった。左手を毛布から出し、仰向けになった横顔、丸みをもった頬のカーブを人差し指でなぞる。山本は眉を寄せる。が、目覚めることはなかった。そうだ、子供は寝とけ。まだ午前4時なんだから。
「勝手に俺の夢に出てくるなよ」
 俺は左手を毛布に仕舞う。山本はどんな夢を見ているのだろう。閉じた瞼の中、眼球がくるくる動いている。レム睡眠。
「俺は」
 お前が俺の夢に出てきた理由がわかる。俺が死んで一番悲しむのが、お前になってしまったんだろう。少なくとも、俺の頭の中では。
 俺はこの国に来てから忘れていた色々なことを思い出す。自分が普通の生活を送ってはいけないこと。人をほんとうに愛してはいけないこと。
 イタリアでは違った。女達との淫らな遊び、惜しみなく与え与えられる愛の言葉、毎夜の乱痴気騒ぎ、その騒がしくも華やかな生活の中で俺は、自分がいつか確実に死ぬ存在であることを意識しない日などなかったのだ。誰かを愛し、愛されもしていたのだろうが、それらはすべて刹那の戯れでしかなかった。俺は明日にでも死ぬかもしれず、俺が死んだら泣いてくれるだろう沢山の愛しい女達は、俺が死んだ翌日にはもう他の男に媚びを売り腰を振り、そのことが容易に想像できる故に俺は女達が愛しかった。
「お前を」
 今みた夢、あれはいつか俺の前に姿を現すかもしれない未来だ。あの未来とこの現在の境界線なんて細いロープ程度の頼りないものでしかなくて、俺はいつでもその場所へ行けるし、その場所からお呼びがかかれば自分の意思とは関係なく行かなきゃならない。そういう世界に身を置いてしまっていた。後悔はしていなかった。今、この瞬間までは。
「本当に」
 山本が再び眉を寄せた。瞼がかすかに震え、睫毛が揺れる。細く開いた眼は、まだ何も映していないようだった。俺はついに山本を起こしてしまった。
「…んだよー…どしたの…」
 起き抜けの声が掠れているのは、脳が眠りから覚めるよりも声帯が眠りから覚めるほうが断然遅いからだ。ぼうっとした間抜け顔を俺に向けた山本に、俺は言おうとしていた言葉を失う。そもそも言うべきではない言葉を吐き出しかけていた気がする。
「ねむれねーのかよ…」
 俺は左に向けていた顔を天井と平行にする。見上げた天井の壁紙は白だが、淡い水色で四角いフラクタルパターンが入っている。今は暗くてよく見えない、濁った灰色にしか見えない。ちらと左に視線を遣ると、山本は顔の位置を元に直し、また眠りに落ちていた。かに思えたが、急にこちらを向き俺の腰に腕を廻してきた。俺の体は引き寄せられ直角に回転する。目を閉じたままの山本の顔が近づき、視界が奪われ、俺の唇と山本の唇が出会い頭の接触事故を起こした。やわらかなダメージ。唇は一瞬だけ触れて、ゆるゆると離れていった。
「ねむれね…なら、おれのこと……ても、いいから…」
 むにゃむにゃと二、三の意味のとれない寝言をこぼし、それを俺への置き土産に山本は今度こそ眠りの国へ舞い戻った。
 わからん。
 なんだ今の。
 こんな姿勢で入眠できるお前は何者だ。
 俺は山本が何を言わんとしたのかを考える。何をしていいってんだよ。案外、山本はもう、俺がどんなに酷い真似をしても嫌がらないんじゃなかろうか。そんなことを考えてしまうのは俺が身勝手な甘ちゃんだからで、こんなにも俺を盲目的に愛し必要としているガキ、という認識も俺の頭の中でだけのもので、実際の山本は俺のことをそんなには必要としていなくて俺がかつて愛してきた女達のように俺が消えても一日だけ泣いたあと綺麗さっぱり忘れて新しい恋に生きてくれる、そんな想像こそ身勝手極まりないのかもしれなかったが、今はその素敵な想像をよすがにして眠ることにした。とは言っても、こいつと密着しすぎてて眠れるかどうか不安。俺を抱きしめる山本の体は温かい。これじゃ夢のつづきみたいだな。
 あの夢が現実の傍らでひそやかに舌なめずりして俺を待っているのだとしても、俺はまだ、ロープを踏み越えてはいなかった。だけど、明日の自分が生き延びているのか、そんなことにばかり拘泥していた故国での生き方をうっかり思い出してしまった俺は、そろそろ山本に今までと違う何か、今まで言うべきではないと思って言わずじまいだった何か、を言っておいたほうがいいんじゃないかと、妙な気持ちにもなっている。問題は、こいつ相手にTi amoなんて言葉を使ってしまえばそれはそれで後戻りのできない変な場所へのロープを踏み越えちまいそうだってことなんだが。
作品名:マザーランド 作家名:まさω