至極軽い狂気
良い天気だな、とカーテンの隙間から覗く昊を見て帝人は思う。
夏に差し掛かったばかりのこの時期、今日のような晴れ間は珍しい。
雨は鬱陶しいし暑さも堪えるけれど、だからこそこの貴重な太陽の恩恵を満喫しようとしていたのだ。
嗚呼、それなのに、一体どうして。
どうしてこんなことになったのだろうと、帝人は真剣に思った。殆ど泣き出しそうな心境で。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。本当にもう勘弁して下さいコレ」
こんな真っ昼間から、自分は一体何をしているのだろう。
否、一体何をされようとしているのだろう。
ベッドの上で。この人に。
答えは既に提示されていたが、帝人はそれを死んでも認めたくなかった。
「さっきから何を謝ってるの? 別に帝人君は何も悪いことなんかしてないのに。謝るのも死ぬべきなのもシズちゃんだよねぇ」
「……だったら今直ぐ解放して下さい」
寝心地抜群のベッドに乗り上げ、足を抱えていざ事に及ぼうとしている臨也に、もう何度目かも分からない懇願を帝人はした。哀願でも良い。
けれど臨也はその言葉に、ニッコリと爽やか過ぎて逆に胡散臭い笑顔で、帝人を見下ろしながら却下した。
「それはダメー。何かあってからじゃ大変でしょ」
「僕は一人で出来ますよ」
「それはそうだろうけどね。まあ別に良いじゃない、そんな細かいこと。自分でするよりも満足すると思うよ、きっと」
「満足なんてしなくて良いです……というか、そこまで普通求めないですし」
第一満足って何だ、満足って。
こんな行為、生活する上で仕方無く処理するだけじゃないか。
帝人がなけなしの勇気を振り絞って睨み付けると、臨也がやれやれと溜め息を吐く。
「帝人君も我が侭だね。何も他人にされるのが初めてってわけじゃないだろう? ほら、黒沼青葉君とかさ」
「青葉君のこと一体何だと思ってるんですか……っ初めてに決まってるでしょう!!」
自慢じゃないが、帝人君の実家は平凡だ。家族以外が暮らす余裕なんてない。例えば、使用人だとか。
いや、それを抜きにしてもこれは明らかに変だ。異常だ。
何でこんなことを一々他人にやってもらわなくちゃならない。ちゃんと自分で出来るのに。
確かに自分はダラーズの創始者だが間違いなく男であり、女王様などという人種になった覚えはないと帝人は主張したかった。……出来なかったが。
「へぇ、なら俺が初めてってことか、それは光栄だね」
何が!?
本当に嬉しそうに笑う臨也に、帝人は背筋がゾワリと粟立った。
何だかもの凄く逃げ出したい心境だが、不幸なことに急所を抑えられていてそうもいかない。
しかも握られていたそこを軽く撫でられて、帝人はその刺激に反応せずにはいられなかった。
普段ならば……否、普段でもそんなところを触れさせたりはまずしないが、今、この状況下でそれはマズイ。非常に。
だが、このまま流されて臨也に全てを大人しく投げ出してしまうのは、帝人の男として……というか最早人としてのプライドが許さなかった。
なので、帝人はちょっとだけ頑張ってみた。
「何でそうなるんですか……普通は躊躇ったり引いたりするでしょうっ」
「俺は人間という『種』も竜ヶ峰帝人という『個』も愛してるから問題ないよ」
「愛はそこまで尊いものだとは知りませんでしたよ……」
呻くような声で帝人は言った。
というか愛云々以前に、臨也には人間としての誇りとか自尊心とか譲れない一線とかはないのだろうか。どうしてこんなことを進んで、否、寧ろ嬉々として取り掛かろうとしているのだろう。
帝人は少しだけ、自分の人を見る目を疑ってみたくなった。
一番精神衛生上良いのは、臨也が何かの外的要因で一時期に可笑しくなっていることだが、悲しいことに今は春でも真夏でもなかった。
しかも酒が一滴も入っていない、正真正銘の素面でもある。何てことだ。
別に酒の上での戯れなら許容出来るというわけでもないが、真面目にそんなことを臨也がやろうと考えているのかと思うと、何だか悲しくなってくる。
「君も大概しつこいね……そんなに酷くされたいの? 冗談じゃなく、流血沙汰になるよ。……それとも、酷くされた方が良いとか? そういった趣味があるなら俺も考えるけど」
いい加減焦れた臨也は、少しだけ実力行使に出ることにしたらしい。
掴んでいた足を軽く持ち上げて、角度を僅かに変える。
力を込めて少しずつ折り畳むようにしていけば、帝人は押し寄せる衝撃に体を震わせた。
「………っ」
声を上げる余裕すら無いらしく、ただ耐えるようにシーツを掴む手に力が加わる。
やがて帝人が耐えきれなくなる寸前の所で、臨也は動きを止めた。
あまりにも慣れたその態度に、一体今ではどんな生活を送って来たのだろうかと、目の前いる相手の嗜好が心配になるが、その考えは場違い過ぎていた。
何せ、被害者は他ならぬ自分自身なのだから。