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まだまだ終わっていなかった

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池袋の取立て屋、田中トムと平和島静雄は、本日中の処理を目標としていた業務を全て終え、自宅とする部屋の前まで戻っている。
 六月中旬、梅雨に入ったばかりだというのに真夏日となった今日は、精神より肉体的に堪える一日だった。
 二人が行う取立てという業務は、熱い寒いを愚痴っているようでは仕事にならない。熱中症対策で頻繁に取る水分は、飲んでも飲んでも汗となって体外へ排出されていき、下からでる気配もない。真夏特有の現象にげんなりとなりながら帰宅する。
 しかし、部屋のドアを開けた瞬間、中へ篭っていた熱気に気づかざるを得なくなり、辟易した声を上げた。

「熱いなぁ」
「熱いっすね」
「爆発すんじゃねぇの、六月中旬でこの熱気とか」

 部屋へ入り窓を開け放していくと、一日分の蒸された空気が篭った室内の空気より、外気の方がいくらか涼しいらしく新鮮な空気がひんやりと流れ込んでくる。

「ま、日も暮れましたし、大分涼しくなりましたよ」

 静雄の柔らかな声でのフォローに間延びした口調で相槌をうって、トムは肩甲骨の下まで伸びた長いドレッドをヘアゴムで一つに纏める。
 うなじの位置でひとまとめになった髪は重たげにぶら下がっている。

「あ、シャワー。先、浴びとくか? 気持ち悪くね?」
「んー……、遅くならねぇうちにフロ入るんで今はいいっす」

 トムの纏められた髪を眺めながら静雄は応えて、思った言葉を口に出した。ぽろり、と零れるように。

「なんか、ポニーテールみたいすね」

 静雄の方へ振り向いたトムは眉間に皺を寄せながら首を傾げる。自らの髪の毛で出来た尻尾を握って振りながら静雄に苦笑を向けた。

「コレじゃポニーテールじゃねぇだろ」
「そうなんすか?」

 きょとんとした静雄の表情に、トムはあれ、と小さく呟く。

「ポニーテールなら、もっと高い位置で結ばねぇとそう呼ばない筈」
「……高い位置、どんな感じすかね。して見せてくださいよ」
「えぇ、ポニーテール?」

 期待に満ちた輝く瞳に見つめられると、気恥ずかしく落ち着かない気持ちになる。それでもトムは愛しい相手が期待しているとなると応えてやりたいと思ってしまう。
 静雄に背を向けたまま、一度結んだヘアゴムを解いて、纏めなおし、高い位置でまた結びなおす。その時に晒されるうなじへ静雄の視線が寄せられているが、気づかない素振り。
 高い位置で結びなおされてポニーテールになったドレッドヘアは、うなじの前で結ばれていたときと違い、ふらりふらりとトムの動きに合わせて揺れる。

「おお、揺れてる」
「ちょっと頭重いんだけど」
「あ、あ、でも、揺れるから」

 静雄の声に少しだけ湿り気が混ざり、トムのほうへにじり寄るように身体を近づける。静雄に向き直ろうとしたところで、一際大きくドレッドの尻尾が揺れる。その尻尾の奥には、ドレッド自体が綺麗に結い上げられているためか、後れ毛の少ないうなじが見えている。
 じっと静雄の視線はそのうなじに据えられている。目は口ほどに物を言い、そんな言葉が浮かんでくるほどの見つめっぷりにトムは小さく、静雄に聞こえない程度の溜息をつく。

「どしたんだよ」
「……うなじって、エロくないですか、エロいですよね」
「うん?」
「エロいから、したくなります」

 静雄は常にストレートな物言いをする。少しは恥じらいを見せればいいものを、と思う台詞でも真顔で言ってのける。整った顔で、言われたほうが恥ずかしくなるような、真顔。
 そのままトムににじり寄っては、身体の正面からそっと抱きつく。
 首が痛くなるのではないかと却ってトムが心配するような身長差にも関わらず、静雄の顔は、唇は抱きしめた相手の首筋に沿わされる。

「……ちょっと、ほんとどうした」
「俺、淡白な性質だと思ってたんですけど。違うみたいです」

 トムのうなじに唇を寄せたまま、静雄はぼそぼそとトムに告白する。その言葉は間違いなく事実で。トムも呆れたように言葉を返す。
 
「知ってるけど? だっていつもすげーもの」
「でも、はじめてするまであんまりしたいと思ったことなかったんで」
「へー?」

 そういえば、身体を繋げるようになる以前の静雄とは下半身トークをしたことがないような気がする。
 どんな女を、どんな媒体を、オカズにすんのか、とか。オナニーするときの姿勢とか。中学時代はお互い潔癖なところがあって、触れちゃいけないものだと思い込んでいたし、再開してからは、そこまで子供っぽい話はちょっとな、という思いもあった。
 トムがそう思考を巡らせていると、静雄は抱きしめる力をほんの少しだけ強くして、下半身を押し付けてくる。

「おまえ、静雄っ」
「……最近、最近してなくないですか」

 涼やかな目元は潤んでいて、声は拗ねたように低く抑えられている。その声にほんの少しだけ含まれている甘えに気づいてトムは苦笑する。
 今にもクンクンと子犬のように鳴きだしそうだ、どれだけ自分は静雄を可愛いと思っているんだ、自分の末期的な思考に呆れを隠さない表情でトムは静雄の金髪に手を伸ばす。
 少し痛んでパサついた髪の毛はそれでもトムの指に心地よく絡んではするりと離れていく。

「ちょっと、ここんとこ忙しかったか」
「……しましょう、ねぇしましょうよ」

 汗まみれ、腹減った、疲れてる、そんな気力ねぇ、トムとしては断る理由がいくらでもあるのだけれど、それでも、直接的な言葉で否定するのも申し訳ない気がして口ごもる。
 したいか、したくないかでいえば「今は」いやだ。なのだけれど。

「しましょうってばぁ」
「……いや、ほらやっぱ淡白ってのはおかしくね?」
「多分、ムラっときても我慢は出来んですけど、今とか」
「出来んなら我慢する気ねぇ?」
「……あんまないです。だってその分あれです、夢精する」

 出てくると思っていなかった単語が静雄の口から飛び出して、トムは唖然として静雄を見つめた。
 夢精、など最後に聞いたのはいつだ? 日常生活にでてくる単語ではない。そもそも夢精というのはオナニーを覚える前の思春期の、要は少年が体験するものではないのか。

「は、はァ? 夢精すんの?」
「しますします、このまま夜ねたらします」
「……まじで」
「まじで」

 静雄の顔は至ってまじめで。冗談を言っているとは思えない。そもそも冗談を言う静雄など、ほとんど、というよりまったく見たことがない。冗談のような台詞だって、常に本気で常に真顔だ。今だって、首筋から離れた静雄の顔はこれ以上ない真顔。
 言ってることが、こんな内容じゃなければ思う存分見惚れるものを。
 そんな真顔に答えるべく、トムも内心の困惑を押し隠し真顔になる。

「……いや、ホントに夢精すんなら、しねぇほうがいいんじゃね?すっげ気持ちいいっていうじゃん。夢ん中でいくの」
「なに言ってんすか、二人でいくほうがいいに決まってるじゃねすか」

 この上ない真顔での台詞は、あぁ静雄の本心なんだろうなと理解せざるを得ないもので、トムは困惑を隠しきれずに眉根を寄せた。

作品名:まだまだ終わっていなかった 作家名:iri