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現実と妄想の距離はどのくらい

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門田がその傷を確認しようとする間もなく、臨也は自身の掴まれた手首を引き寄せ、門田の小指の付け根に舌を這わせた。
「っ!?なにしてるんだよ!」
生温かい感触にぎょっとして、咄嗟に腕を引く。
「消毒。昔よく言われなかった?ツバつけておけば治るって」
「言われたけどさ……」
人にしろとは言われなかった。それもこんなに大きくなって。だけどあっけらかんとした感じで、臨也は「でしょ?」と、にこにこと笑っている。普通、人の傷は舐めないだろう。特に恋人でもなく、男友達のものなど。
「おまえな……」
はぁ、とため息を吐いたときだった。人の気配に気づき、視線を走らせた。
「!」
校舎に続く扉のところに静雄が立ち、ふたりを見ていた。いつからいたのだろう。まったく気づかなかった。その名に似合わず、彼の周りは常に音で溢れていて、静かに登場することなどなかったからだ。
静雄は無表情で、なにを考えているのかわからない。普段から喜怒哀楽の激しい男ではないけれど、今はその無表情さに、妙な焦りを覚えた。
「あ、シズちゃん」
少なからず驚いていた門田と違い、臨也はまったく動じていない。まるで自分のいるところには、静雄がついてくるのだ、と言わんばかりにも見えた。
臨也の声を合図に、静雄が足を踏み出した。当然向かってくるのはこっちだ。長い足を持つ静雄がふたりの所までたどり着くのは一瞬で、そばに立った静雄は一瞬だけ目を細めた。視線の先は門田の手の先だった。
「静雄」
なにを言うでもなかったけれど続く言葉を探しているうちに、門田が掴んでいた臨也の手首を、静雄が奪うように掴んだ。
「てめぇはなにやってんだ」
「なにって、ドタチンがセックスしたことあるか聞いてたんだよ」
「ああ?!」
不機嫌な怒鳴り声が屋上に響く。
「ちょっと、それより痛いって、シズちゃん。手、離してよ」
臨也の訴えに、静雄の表情が険しくなり、掴んでいるその手にますます力がこめられた。指が臨也の肉に食い込み、掴んでいる場所から白い肌が一層色をなくしていく。
「痛いってば」
「うるせぇ!ちょっとこっち来い!」
そのまま臨也を腕ごと引き上げ、静雄は扉のほうに向かっていく。静雄はすでに門田の存在など目に入っていないのか、一度も振り返らず、だけど臨也は首だけを門田のほうへ向け、「あとでね」と言って引きずられていった。そしてあっという間に、壊れたのではないかと思うほど大きな音を立てて閉まった鉄の扉の向こうにふたりは消えていった。
残された門田はしばらく呆然としたものの、もうすぐ昼休みも終わる。よほどこのまま本を読んでいようかと思ったけれど、それもまた集中できなさそうで、諦めて立ち上がった。


臨也が残していってくれた虚脱感を抱えながら移動していると、ちょうど反対側の校舎の外側、石階段の下、影になっているところで臨也と静雄が向かい合っているのが見えた。
なにを話しているか、当然聞こえない。だけど静雄が不機嫌な表情をしている一方で、臨也はへらへらと笑っているのはわかる。そのうち静雄の沸点があがるようなことを言ったのだろう。静雄が臨也の両手首を掴み、臨也が背にしている壁に押しつけた。静雄の力では相当痛みが生じただろうに、それでも臨也の笑みは変わらず、なにやら口を動かしている。だけど静雄はそのしゃべりを封じ込めようとするように、臨也に唇を重ねた。
ひどく長いキスだと感じたのは、実際にそれだけの時間が流れていたのか、それとも門田の気持ちがそう感じさせたのか。
その間、足が動かなかった。

始業のベルが鳴る。それが封印を解く呪文のように、再び足が動いた。
足早に教室に向かう途中、じん、とした痛みに気づいた。臨也が舐めた、小指の根元の傷だった。それを一瞥し、隠すように拳を強く握った。
この手であの手首の痕を消せたらよかった、と思うのは、自分でも笑いそうになるほど小さな願いだ。

臨也がセックスをしたことがあると言ったとき。
浮かんでいた光景の底に、自分がいた。静雄に隠れるように、自分がいた。静雄をどかせ、代わりに臨也の上に乗っている自分がいた。
それでも臨也は、いつものように笑って受け入れてくれるのか。だけど、たとえそうだったとしても、静雄を受け入れるときとは違う。絶対に違う。根拠はないけれど、なぜか確信があった。
あの臨也が、本当に受け入れるのは静雄だけだ。あの好奇心の奥にあるものが欲しがるのは、静雄だけだ。
そんなこと、誰よりも自分が一番よく知っている。
やっぱり現実と妄想がかけ離れているのは、あまりよくないのかもしれない。