Im in love
平和島静雄は困惑していた。
悩んでいた。
いっそ苦悶していたと表現する方が近いかもしれない。
時刻は午前二時。真夜中のこと。
明かりを落とした部屋の中、カーテンを閉めた窓からは薄く街灯の光が滲んでいる。
その部屋の寝台の上、静雄は唐突に跳ね起きた。
跳ね起きる一瞬前まで、静雄は夢の世界の住人だった。そんな彼が突如、バネ仕掛けの人形のように身体を起こす。一瞬にして夢の中から弾き出され、そのまま呆然とすることしばし、困惑と苦悩の表情を浮かべ、静雄は無言で頭を抱えた。
Im in love・・・?
ある日の穏やかな夕刻。
竜ヶ峰帝人は思案していた。
といっても深刻な問題ではない。思案の内容は、今日の夕飯をどうしようかという平凡なものだ。
出来合いを買うとか、一人で店に入るという気分でもない。手は込まないが温かい作りたてを食べたい気分なのだ。
(スーパーで材料買って簡単に何か作ろうかな・・・。)
のんびりと歩きながら、平穏そのものの考え事に耽る。正しく穏やかな時間であった。
そんな思案をしながら、薄闇の広がる池袋の街を歩いていると、通りかかった公園に見知った影を見かけて、帝人は足を止めた。
影もこちらに気がついたらしく、帝人に向かって歩いてきて、素早く文字を打ち込んだPDAを掲げる。
『帝人、今帰りか?』
セルティ・ストゥルルソンは身体をわずかに傾げさせ、そう文字で話しかけた。
「セルティさん、こんばんは。はい、夕飯の買い物して帰ろうかと。」
『私もこれから帰るところだ。・・・その、』
「?」
わずかに言いよどむそぶりをするセルティに、帝人はきょとんとした顔で首を傾げた。
『・・ちょっとでいいんだけど、もし時間が大丈夫なら、少しだけ、付き合って貰えないかな?』
**********
この日の昼間に遡る。
セルティは公園のベンチに座って、のんびりと午睡にまどろむように、街の風景に溶け込んでいた。そこへ、やって来た平和島静雄に出会う。彼は仕事の休憩に寄ったらしい。
いつものように他愛の無い話をしていると、セルティは静雄の様子に違和感を覚えた。
『静雄、何だか元気無いんじゃないか?』
「あー・・・わかるか。実は最近ちょっと寝不足で。」
珍しいこともあるものだと、セルティは思った。ほとんど毎日沸騰するほどブチ切れて自販機やら標識やら振り回してもケロっとしている男だというのに。それがただの寝不足で、随分消耗しているように見えることに、少なからず驚いた。
『どのくらい寝られないんだ?』
「先週末からずっとだな。・・・夜中に、目が覚めちゃって。そっから明け方までほとんど眠れないんだ。」
今日は金曜。つまりかれこれ一週間近く寝不足の状態が続いていることになる。
『良くないな・・。なんで目が覚めてしまうかとか分かるか?何なら新羅に診てもらったほうがいい。』
心配からそう提案すると、ふいに静雄はあらぬ方へと視線を逸らした。
眉間にわずか皺を寄せて寸の間沈黙する。間を置いて、低い声と共に歯切れ悪く話し始めた。
「何でかってのは・・・その・・・分かっちゃいる。目が覚める原因は分かるんだ。分かるんだが・・・。」
『・・・言いにくいんなら、無理に言わなくていいぞ?ただ、そんな消耗するほど寝不足になってしまっている静雄が心配だ。何か助けになれるようなら言ってくれ。』
素早くそう打ち込んで、PDAを静雄に向けるセルティ。数少ない友人の気遣いにわずか微笑みを返して、静雄はふと何か思いついたような顔をすると、
「それならセルティ、ちょっと頼まれてもらっていいかな?」
*************
静雄は夢を見ていた。
よくある、自分が見ているのは夢だと自覚しながら見るような夢だった。
夢の中は昼か夜かも分からない。
場所も、見たことがあるような無いような、判然としない風景だ。
その中に居るのは、自分ともう一人の人間と二人きり。
学生服を着た小柄な少年、竜ヶ峰帝人が居た。
彼と静雄は連れだって、曖昧な風景の中を歩く。取り留めのない会話を交わす。取り留めもないから話の内容は交わした端から忘れていくような、そんな会話だった。
夢の中の静雄は、とても穏やかな心地で帝人と話している。
友人、と呼ぶのは躊躇われる、二、三回少々しか口を利いたことのないはずの相手を夢に見るなんて不思議だと思いながらも、決して居心地の悪くない状況だと思った。
最初のうちは。
連れだって歩く帝人は、柔らかな声で話しながら静雄に笑いかける。
その笑顔をとても可愛いと思った。
そこらの女よりよほど魅力的なんじゃないかと思った。
もっと近くで見ていたくて、前を歩く帝人の手を取る。
小さくて細い手だ。絡めるように握る。力加減を注意する必要が無かったのは夢だからだろう。
握った手を引き寄せると、大きな瞳がきょとんと見上げてくる。くすぐったいような心地がして、自分の頬が緩んだのが分かった。
短い髪に指を滑らせる。思いの外柔らかい。そのまま顔の輪郭を辿る。肌の感触に妙な疼きが走った。じわじわ、ざわざわする。
やわらかな曲線の頬に手を添えて、親指で唇をなぞ・・・
・・・ったところで、静雄は飛び起きた。
「〜〜〜〜・・・・・・・・・・っっ!!!」
現実の判断力を取り戻す夢の出口で、覚醒し始めた脳が夢の中の状況に冷静な判断を下してくれた結果である。
何だコレ。つーかなんだ俺は自分は何だ変態か!?
知人である少年に、夢の中でいったいなにをしているのか。
どういう夢を見てんだ俺はっ・・・!!
とてつもない罪悪感に苛まれながら、身を起こした寝台の上で一つ息を吐くと、
(・・・欲求不満なんだろうか。)
人恋しいというか、友達が少ないことにはこの年になっても寂しさは感じる。それが欲求不満と変な感じに混ざってしまったのかもしれない。
静雄はそう結論付けて無理矢理納得し、改めて布団にもぐり込むと、その日は運良く夢も見ず、眠りにつくことが出来た。
そう、少なくとも“第一日目”は。
****
「お。」
「あ。」
夕方の池袋。行き交う人波の中で静雄は帝人と出会った。
奇しくも静雄が帝人との夢を見た次の日のことである。バツが悪いことこの上ない気持ちである。しかしお互い相手を認識してしまっており、声も上げてしまっていた。ここで見なかった振りして素通りするのはいかにも態度が悪い。
帝人は声を上げてすぐ、少し足を早めて静雄の元へ歩み寄ってきた。
「こんにちは。」
そういって、屈託もなく微笑んで見せる。夢の中と寸分違わぬ柔らかな笑みを、静雄は無下にすることが出来なかった。口角を上げてなんとか笑い返す。
幼さのある少年の微笑みに和みつつ、後ろめたさが倍増したが、なんとか、何気ない笑みを保った。
「あー、どうもな。」
「お仕事ですか?」
「や、今日はもう仕事終わって今帰り。」
「そうなんですか。お疲れさまです。」
「ん。あー、ありがと。」
歯切れの悪い返答になってしまって、やりにくさに静雄は内心舌打ちしたい気持ちになる。もっとさりげなく、気軽に話がしたいのに。
悩んでいた。
いっそ苦悶していたと表現する方が近いかもしれない。
時刻は午前二時。真夜中のこと。
明かりを落とした部屋の中、カーテンを閉めた窓からは薄く街灯の光が滲んでいる。
その部屋の寝台の上、静雄は唐突に跳ね起きた。
跳ね起きる一瞬前まで、静雄は夢の世界の住人だった。そんな彼が突如、バネ仕掛けの人形のように身体を起こす。一瞬にして夢の中から弾き出され、そのまま呆然とすることしばし、困惑と苦悩の表情を浮かべ、静雄は無言で頭を抱えた。
Im in love・・・?
ある日の穏やかな夕刻。
竜ヶ峰帝人は思案していた。
といっても深刻な問題ではない。思案の内容は、今日の夕飯をどうしようかという平凡なものだ。
出来合いを買うとか、一人で店に入るという気分でもない。手は込まないが温かい作りたてを食べたい気分なのだ。
(スーパーで材料買って簡単に何か作ろうかな・・・。)
のんびりと歩きながら、平穏そのものの考え事に耽る。正しく穏やかな時間であった。
そんな思案をしながら、薄闇の広がる池袋の街を歩いていると、通りかかった公園に見知った影を見かけて、帝人は足を止めた。
影もこちらに気がついたらしく、帝人に向かって歩いてきて、素早く文字を打ち込んだPDAを掲げる。
『帝人、今帰りか?』
セルティ・ストゥルルソンは身体をわずかに傾げさせ、そう文字で話しかけた。
「セルティさん、こんばんは。はい、夕飯の買い物して帰ろうかと。」
『私もこれから帰るところだ。・・・その、』
「?」
わずかに言いよどむそぶりをするセルティに、帝人はきょとんとした顔で首を傾げた。
『・・ちょっとでいいんだけど、もし時間が大丈夫なら、少しだけ、付き合って貰えないかな?』
**********
この日の昼間に遡る。
セルティは公園のベンチに座って、のんびりと午睡にまどろむように、街の風景に溶け込んでいた。そこへ、やって来た平和島静雄に出会う。彼は仕事の休憩に寄ったらしい。
いつものように他愛の無い話をしていると、セルティは静雄の様子に違和感を覚えた。
『静雄、何だか元気無いんじゃないか?』
「あー・・・わかるか。実は最近ちょっと寝不足で。」
珍しいこともあるものだと、セルティは思った。ほとんど毎日沸騰するほどブチ切れて自販機やら標識やら振り回してもケロっとしている男だというのに。それがただの寝不足で、随分消耗しているように見えることに、少なからず驚いた。
『どのくらい寝られないんだ?』
「先週末からずっとだな。・・・夜中に、目が覚めちゃって。そっから明け方までほとんど眠れないんだ。」
今日は金曜。つまりかれこれ一週間近く寝不足の状態が続いていることになる。
『良くないな・・。なんで目が覚めてしまうかとか分かるか?何なら新羅に診てもらったほうがいい。』
心配からそう提案すると、ふいに静雄はあらぬ方へと視線を逸らした。
眉間にわずか皺を寄せて寸の間沈黙する。間を置いて、低い声と共に歯切れ悪く話し始めた。
「何でかってのは・・・その・・・分かっちゃいる。目が覚める原因は分かるんだ。分かるんだが・・・。」
『・・・言いにくいんなら、無理に言わなくていいぞ?ただ、そんな消耗するほど寝不足になってしまっている静雄が心配だ。何か助けになれるようなら言ってくれ。』
素早くそう打ち込んで、PDAを静雄に向けるセルティ。数少ない友人の気遣いにわずか微笑みを返して、静雄はふと何か思いついたような顔をすると、
「それならセルティ、ちょっと頼まれてもらっていいかな?」
*************
静雄は夢を見ていた。
よくある、自分が見ているのは夢だと自覚しながら見るような夢だった。
夢の中は昼か夜かも分からない。
場所も、見たことがあるような無いような、判然としない風景だ。
その中に居るのは、自分ともう一人の人間と二人きり。
学生服を着た小柄な少年、竜ヶ峰帝人が居た。
彼と静雄は連れだって、曖昧な風景の中を歩く。取り留めのない会話を交わす。取り留めもないから話の内容は交わした端から忘れていくような、そんな会話だった。
夢の中の静雄は、とても穏やかな心地で帝人と話している。
友人、と呼ぶのは躊躇われる、二、三回少々しか口を利いたことのないはずの相手を夢に見るなんて不思議だと思いながらも、決して居心地の悪くない状況だと思った。
最初のうちは。
連れだって歩く帝人は、柔らかな声で話しながら静雄に笑いかける。
その笑顔をとても可愛いと思った。
そこらの女よりよほど魅力的なんじゃないかと思った。
もっと近くで見ていたくて、前を歩く帝人の手を取る。
小さくて細い手だ。絡めるように握る。力加減を注意する必要が無かったのは夢だからだろう。
握った手を引き寄せると、大きな瞳がきょとんと見上げてくる。くすぐったいような心地がして、自分の頬が緩んだのが分かった。
短い髪に指を滑らせる。思いの外柔らかい。そのまま顔の輪郭を辿る。肌の感触に妙な疼きが走った。じわじわ、ざわざわする。
やわらかな曲線の頬に手を添えて、親指で唇をなぞ・・・
・・・ったところで、静雄は飛び起きた。
「〜〜〜〜・・・・・・・・・・っっ!!!」
現実の判断力を取り戻す夢の出口で、覚醒し始めた脳が夢の中の状況に冷静な判断を下してくれた結果である。
何だコレ。つーかなんだ俺は自分は何だ変態か!?
知人である少年に、夢の中でいったいなにをしているのか。
どういう夢を見てんだ俺はっ・・・!!
とてつもない罪悪感に苛まれながら、身を起こした寝台の上で一つ息を吐くと、
(・・・欲求不満なんだろうか。)
人恋しいというか、友達が少ないことにはこの年になっても寂しさは感じる。それが欲求不満と変な感じに混ざってしまったのかもしれない。
静雄はそう結論付けて無理矢理納得し、改めて布団にもぐり込むと、その日は運良く夢も見ず、眠りにつくことが出来た。
そう、少なくとも“第一日目”は。
****
「お。」
「あ。」
夕方の池袋。行き交う人波の中で静雄は帝人と出会った。
奇しくも静雄が帝人との夢を見た次の日のことである。バツが悪いことこの上ない気持ちである。しかしお互い相手を認識してしまっており、声も上げてしまっていた。ここで見なかった振りして素通りするのはいかにも態度が悪い。
帝人は声を上げてすぐ、少し足を早めて静雄の元へ歩み寄ってきた。
「こんにちは。」
そういって、屈託もなく微笑んで見せる。夢の中と寸分違わぬ柔らかな笑みを、静雄は無下にすることが出来なかった。口角を上げてなんとか笑い返す。
幼さのある少年の微笑みに和みつつ、後ろめたさが倍増したが、なんとか、何気ない笑みを保った。
「あー、どうもな。」
「お仕事ですか?」
「や、今日はもう仕事終わって今帰り。」
「そうなんですか。お疲れさまです。」
「ん。あー、ありがと。」
歯切れの悪い返答になってしまって、やりにくさに静雄は内心舌打ちしたい気持ちになる。もっとさりげなく、気軽に話がしたいのに。
作品名:Im in love 作家名:白熊五郎