あなたが好きだって言ってるんですよ。
いい人だなんて思うな、と言われてしまった。
竜ヶ峰帝人は、痛みもすっかり引いたひざを押さえながら、先月の出来事を思い出す。
最後に触れあった唇と唇。あれは、もしかしてもしかしなくても多分きっとおそらく推定、キスというものではあるまいか?だとしたら自分は、ファーストキスを臨也に奪われてしまったということに、なるのか?
キスされて、俺をいい人だと思うな、と言われて。
そりゃいくら僕が鈍くてもわかる、と帝人は頭を抱える。冗談かもと思わないでもないけれど、でもあの必死の形相を見てしまったら、笑い飛ばすのは可愛そうすぎる。
今まで全然そんなそぶりはなかったのに。っていうかそれほど接点なかったのに。なんで、いつ、僕のどこが彼に、それを言わせてしまったのだろう。
「あの人、僕のこと好きだった、の・・・?」
改めて口にして確認してみると、それはなんとも甘酸っぱい響きがした。
っていうかそれならそれで、帝人には疑問がさらに募るのだが。
簡単に言えば、この二週間ほど、避けられている。もちろん折原臨也にだ。これはもしかして考える時間をくれているのかな、とか、押した後は引いてみる作戦?とか、思わないでもないけれど、でもあの様子の臨也を見ているとそんなことはないような気がした。
恥ずかしい、のかもしれない。
あの臨也が?とも思うが、そうとしか思えない。だとしたら帝人は非常に困る。だってあの人、あんなんで、折原臨也の癖に、恥ずかしいとかないでしょ。ときめく。
ギャップ萌え?ギャップ萌えってやつなの?これって。
そんな馬鹿なと思う反面、まさにそれだよ!と思う自分も居たりして落ち着かない。うわぁああ、と帝人は畳の上に転がってごろごろとのたうちまわる。
返事、そう、そうだよ、僕返事をしてないじゃないか。
唐突にそれに気づいて、帝人はがばりと上半身を起こした。いや、すでにあれから二週間もたっているわけだけれども。そして返事といえども別に面と向かって告白されたわけではないんだけれども。でもとりあえずごめんなさいして、それから臨也さんって案外可愛いですよねって言ってあげなきゃいけない、なんて義務感のように思いながら。
その実、ごめんなさいが前提の割に、臨也に好かれていること自体は別に嫌そうじゃないことに、自分で気づいていない帝人なのだった。
とにかく新宿に行ってみよう、と帝人は駅に向かって歩いていた。池袋駅はかなり大きいので、出てきたばかりのころはよく駅で迷子になったものだが、最近はさすがにそんなことはもうない。けれども新宿の駅はというと、これがもうやたらごちゃごちゃしていて怖いくらい迷う。特に西口付近、ありえない。あそこは魔境か。
なので、今まで一人で新宿へ行ったことはなかったが、まあなんとかなるだろう。とにかく一度ちゃんと臨也に会わなくては、と帝人は鞄のひもを両手で握りしめる。気合いの現れだ。
と、その時。
がっしゃーん!と派手な音がして、どわっと周囲が沸いた。
「え?」
振り返れば空を飛ぶのは・・・白っぽい大型バイク。いまさらそのくらいでは驚かない。平和島静雄に違いないからだ。
「あ、ってことは・・・!」
帝人はひらめいて、その音の方向へと走り出す。逃げ惑う市民たちの間をすり抜け、まるで逆走の態勢だ。何度か邪魔そうにぶつかられて謝って、を繰り返し、ようやく少し開けたところに出ると、案の定そこには向かい合う天敵同士、つまり静雄と臨也が居る。
通行禁止の標識を持った静雄が、忌々しげに唸るその先、黒いコートをひるがえした臨也が、普段通りの厭味な笑顔で、御託を並べているわけで。
あれ、普通だ。
帝人はそんなことを思って、少し首をかしげた。なんだか残念な気がする。でも、どうしてだろう?僕は別に臨也さんのこと好きじゃないから、残念に思う必要性なんかないのに。
ナイフと標識が火花を散らそうとしているその戦場に、帝人は何かとてつもない疎外感を感じてしまう。それが無性に気に入らなくて、息を吸い込んだ。
「臨也さん見つけた!」
叫ぶ。
正直、それが届いたとしても無視されるかもしれないなとは思っていた。なぜなら2人は今戦っているわけで、天敵同士なわけで。口には決してしないが、お互いがお互いにとってとてつもなく特別な存在であることは間違いないのだから。
だから、まあ、ためしに叫んでみたようなものなんだけど、次の瞬間帝人は思いっきり驚いて目を見開いた。
びしっと。
臨也が一瞬固まったのだ。そしてその静止のせいで、振り回された標識が思いっきり体の側面に当たってブンッ!と吹き飛んだのだ。
「・・・へ?」
もしかして今の、僕のせい!?
帝人は驚いて、反射的に吹き飛ばされた臨也へと走り寄る。標識を振り回した張本人である静雄でさえ驚いたようにしていたということは、これは当たるはずのない攻撃だったのだろう。ならば静雄が呆けているうちに、と、その全身真っ黒で転がっている人物の横に膝をつく。
「い、臨也さん!?」
大丈夫ですか、と続けようとしたら、臨也はがばりと起き上がった。
「・・・・み・・・か、」
さっきしたたか打ちつけた側面は平気なのか、とか、コンクリートにすれてちょっと頬辺りに怪我してますよ、とか。
いいたいことはたくさんあった帝人だが、その臨也の表情を見ると吹き飛んでしまった。だって臨也が信じられないものを見たとでも言うように、目を見開いて帝人を凝視してくるから。
「あの、」
ためらいがちに一言、切り出せば。
「っだ、だめー!!」
べしっと口に臨也の両手が押しつけられ、帝人は思わず息をのむ。地味に痛い。手加減してほしい。
抗議の意味も込めて上目遣いで睨んで見せれば、その帝人の顔にがーっと顔を赤くした臨也は、わたわたと立ち上がって、それから。
「聞かないから!」
と叫んだ。
「は?あの・・・」
「聞かないから!ごめんなさいとすみませんは絶対に聞かないんだからー!!」
くるりと踵を返して。
だだだーっと人ごみのかなたへと走り去るその後ろ姿。唖然として見送った後、帝人はようやく我に返った。
「に、逃げたぁ!?」
あの臨也が?
あの、折原臨也が?
帝人から「ごめんなさい」と「すみません」を聞きたくないからって?
逃げるとか、えええ?それってあり!?どんだけチキンなのあの人!ときめくんだけど!
竜ヶ峰帝人、それは紀田正臣にして「わけのわからないツボを持つ男」と言われるほどの人間であるからして。そして、振り切れたら何をするか分からない人間ランキング堂々第一位であるから、して。
帝人は即座に携帯を取り出し、ダラーズの掲示板にアクセスすると、新規スレッドを立てて情報を募る。数秒後リロードを押せば、即座に書き込まれた情報が、すでにいくつか。
「僕・・・いえ、「私」から」
帝人は笑っていた。
それはそれは楽しそうに、心から。
「逃げられるとでも思ってるんですか、臨也さん」
そして、深呼吸をひとつ。
方向を定めて走り去った帝人の後ろ姿を、ただ一人池袋の喧嘩人形だけが呆然と見送るのだった。
作品名:あなたが好きだって言ってるんですよ。 作家名:夏野