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わがままなバーミリオン

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 暑いのと寒いのとをご丁寧に等分に繰り返す気候は、体力を低下させ思考と判断を鈍くするのに十分すぎるものだった。じわりと身を這うような湿気は不快極まりなく、些細なことでも衝突の種になる。
 ――天候と犯罪発生率の因果関係について、なんて論文があったとして、頷ける部分は多いだろうが面白くはないだろうなあ、とどうでもいいことを思いながら男はペンを走らせる。書類がインクを過剰に吸いにじませるのも、端がめくれてしまうのも湿気のせいだ。髪もまとまらなくなるし、なんとなし行動の切れも悪くなる。湿気はよろしくない。
「…そういえば」
 どうして湿度が高いと髪がまとまらなくなんのかな。
 …そんなことを、不意に呟かれたことがあったのを思い出した。思い出せば顔が綻ぶのはとめられなかった。そうして、手が止まってしまえば背もたれに沈む他の選択肢などそうそうはなくて。
「…今頃君はどうしているものやら」
 瞼の裏に浮かぶのは元気のよすぎる天才錬金術師の姿だ。西に東に飛び回り、自分の許に顔など滅多に見せやしない。果たして自分のことを覚えているものやらと思うこともないではないけれど、そんなものはきっと、大人の感傷に過ぎないのだろう。あれはまだ、ただ前を向いて走る年頃、その最中にいるのだから。
「…湿気で髪がまとまらない君に、櫛をプレゼントしようと思ってるんだけどね…」
 目を閉じてひそやかに呟いた後、男はゆるやかにその黒い瞳を開いた。そうして何事もなかったかのように書類に向き直る頃には、ひとりの軍人の顔になっていた。


 降るなら降ればいいものを、傘の存在を否定するような霧雨が朝から降り続いていた。エドワードは窓の外を一瞬ちらりと見た後、苦々しげに舌打ち。まったく、ついてない。
 少年はまるで寝間着の様相のTシャツに短パン姿でベッドの上にいた。文献に集中しているわけでもないのに活動していないのは彼にしては珍しいことだったが、それも、外された鋼の義肢を見れば致し方ない。
 彼は左足をすっかりと外された姿でベッドの上にただ腰掛けていた。足の間には乱雑にメモやら書籍やらが散らかされているが、彼がそれらに意識を向けていないのは明らかだった。実際、それらは既に読破したり頭に入りきったものばかりであり、彼には本当に意味がないに等しかったのだ。ただ、片付ける労力を払う気になれないだけで。
 エドワードと弟がその街に立ち寄ったのは、特にそこに理由があったというよりは、乗り換えの都合でしかなかった。だから、足止めを食らうと本当に無為に過ごすしかなくなってしまう。図書館などは一応存在していたが、蔵書はとても彼らの役に立つレベルではなかった。つまり一般的であるということなのだけれど。
 要するに、それだけでも、彼らとその街にはあまりに接点がないのだということがよくわかろうというものだ。
「ちっ…」
 乗り換えの都合だったから、宿に泊まるのは一晩だけの予定だった。それなのに突然の豪雨で線路の一部が水没し、復旧の目処がつかないということでまず足止めを食らい、そうはいってもいつものことだから二日もすれば隣の駅くらいには行けるだろう、そう安堵されていたのが、今度はエドワードの機械鎧の接続が微妙に悪くなった。歩けないということはないのだが、どうにも疼く。しかしその街には機械鎧に詳しい医者はいなかった。神経痛の類じゃないのかね、と一応痛み止めのようなものを処方はしてもらったが、効かなかったので一回飲んでやめてしまった。そんな兄の短絡的な所業に弟は勿論怒ったが、こうと決めたら梃子でも動かない兄の性格をよくわかってもいたので、叱り続けることはなかった。
 エドワードは恨めしげに窓の外を見た。
 せめて復旧してくれれば痛みなど押して動くのだが、二日と言われていた予想を超えてもまだ線路は直らないらしい。大体確かに雨は一瞬すごかったけれども、それだけでここまでの被害になるものなのだろうか。
 エドワードはごろんと横になって、頭の下で腕を組んだ。うまくおさまらない髪が腕に絡みついてくすぐったい。湿気が悪いのだと思う。
 そういえば、とふと思い出した。
 …湿気が多いとなぜ髪がまとまらないのか、不思議に思ったことはないか、そう問いかけたことがあるのを思い出したのである。場所は東方司令部は大佐殿の執務室、会話の相手は部屋の主だった。彼は自分の問いに、皮肉っぽく笑って頬杖を突いてから、そうだねえ、とじらすようにことさらゆっくり返したものだ。いちいちかっこつけやがって、とその時のエドワードは思った。だが、別に不快でもなかった。それが相手の、ロイの性質だと思っていて、別段それ自体が嫌いなわけでもなかったから。
「湿気って要するに水分なわけじゃん? つまり濡れてしっとりするわけだろ? だったらこんなぱさついてくるのってなんでだろって思ったことないか?」
 自分としては、まあ、真剣に悩んでいたとはいわないけれど、それでも昔からちょっとだけ疑問に思っていた類のことではある。ただ、真面目に分析しようと思ったことはなかった。要するにその程度のことなのだが。しかし、あの男と来たら、こうだ。
「知らなかったのか? 私が乾かしてるんだよ」
「は?」
 人を食ったような笑みを浮かべて、エドワードの後見人、とやらになるらしい若き大佐殿は目を細めた。
「だから、私が乾かしているんだ。困るだろう? 発火布が肝心のときに湿ってしまっていたら」
「………」
 あまりのことにエドワードが言葉を失ってしまったのはいうまでもない、というか、それは大いに許されることだろう。自分も大概ばかなことを聞いたとは思うが、という気持ちでエドワードは黙り込んだ。
「どうかしたかい? 鋼の」
 エドワードは盛大に溜息をついて天を仰ぎ、自分が信仰をもたないことを大いに悔やんだ。こんなときはきっと神様とやらに祈るものなのだ。この馬鹿をなんとかしてください、と。まったく、どうしたもこうしたもないものだ。
「…あんたのポジティブすぎる思考にちょっと眩暈がしたんだ。オレ、こう見えても結構常識人なんだぜ」
 切り返せば、二度ほど瞬きした後ロイは噴出した。
「おい、失礼だろ、あんた」
「いや、それを言うなら鋼のが失礼だよ。常識に」
「……」
 澄ました顔で言った後、ロイはエドワードをのぞきこむように目を細めた。そのまっすぐな黒い瞳は、エドワードの中で絶対に揺らがないものの一つだった。初めて会った時から、それはずっと心のどこかにあり続ける色だ。
「…アンタには負けるわ」
 肩を竦めて降参して見せたら、それまでで一番驚いた顔を見せたことにエドワードも驚いた。てっきり得意げに笑うものだと思っていたのに。
「…そんなことはないさ」
 どうしてなのだかどこかに照れを含んだような声でぶっきらぼうに言ったロイの顔はなんだか幼さを纏っていて、エドワードは笑ってしまった――…

 さぁぁ、と、霧雨が少し勢いを増したような音で意識が戻ってきた。今は東方司令部でもなければロイがいるわけでもない。単に、田舎の街で足止めを食らっている。
 まいったな、とエドワードは寝返りを打った。足が少し疼いた。そして少し寒かった。
作品名:わがままなバーミリオン 作家名:スサ