カイトとマスターの日常小話
どこでもいっしょ。
紙面の上を行き来する、鉛筆の先が忙しない。
マスターがまた溜息を吐く。
マスター、何かイライラしてるなーって、作業用BGMに歌いながら思う。
(うーん。…次はスローな落ち着く歌にしよう)
そう思いながら、最後のフレーズを歌いきったところで、製図台に向かってたマスターが鉛筆を止めた。
「…マスター、お茶入れましょうか?」
歌うのを止めて声を掛ける。マスターは深い溜息を吐いて、鉛筆を置くと僕を振り返った。
「…いや、いい。…ちょっと、気分転換しないと駄目だ」
定規と鉛筆を置いて、マスターは肩を解すようにぐるぐる回すと椅子の背凭れにかけた上着を手に取った。そして、僕を振り返る。
「…コンビニ、行くけど、お前も来る?」
「行きます。準備してきます!」
僕は自分の部屋にマフラーとコートを取りに行く。部屋を出るとマスターは玄関にいて、僕は慌てて靴を履いた。
「慌てないで、ゆっくりやれ。転ぶぞ」
慌てた所為でバランスを崩す身体をマスターが支えてくれる。マスターの肩を借りて、ちゃんと靴を履く。
「だって、マスターと出掛けるなんて久しぶりだし」
「大袈裟だな。出掛けるったって、そっからそこまでだろーが」
「それでも、嬉しいんです」
「…そっか。んじゃ、行くか」
マスターは手荒く僕の頭を撫でる。撫でられて嬉しいけど、髪がいつもぐしゃぐしゃになる。乱れた髪を直しながら外に出る。風が冷たい。首を竦めて、マフラーを巻き直す。
「マスター、待ってください!」
先に歩き始めてしまったマスターの後を追いかけて、ジャケットの裾を掴む。例え、歩いて十分のコンビニでもマスターと出掛けられるのは嬉しい。外出は社会勉強して来いと自由だし、夕飯のお買い物とか行くから、僕が外出することは多いけど、マスターと一緒の外出は僕にとっては貴重だ。ほぼ一日、マスターとは四六時中一緒にいることが多いけれど、やっぱり、一緒にいると安心する。
「…お前、そのクセ、いつ直るんだ?」
裾を掴んで、隣に並んだ僕にマスターが言う。…一度、マスターと逸れて迷子になったことがあってそれ以来、これはクセになってしまっている。掴んでいればはぐれたりしないし…。本当は手を繋ぎたいけど、マスターがそれは勘弁してくれって言うから、これは僕なりに譲歩した結果だ。
「いいじゃないですか。別に」
「…お前な、世間から見たら、お前はお兄さんで俺はおっさんなんだから異様だろうが。こっ恥ずかしい」
「気にしなきゃいいんです」
「…お前は気にしなくても、俺は気にする」
そう、マスターは言うけれど、無理矢理振り払ったりしない。しようと思えば、すぐ出来るのに。マスターはぶつぶつ言うけれど、マスターがそうしない限り、僕はこのクセを治すつもりはない。
「…寒くなりましたね」
かさかさと足元を枯葉が転がっていくのを目の端で追って、呟く。
「そうだな。…すぐに手足が冷えて困る」
マスターはそう言って、指先を擦り合わせた。
「帰ったら、温かいレモネードを作ってあげますね」
「おう。砂糖入れ過ぎんなよ」
「甘い方が美味しいのに」
「お前のは甘さが半端じゃない」
こんな会話が楽しい。そうこうしてるうちにコンビニに到着した。
「マスター、アイス見てきていいですか?」
「好きに見とけ」
マスターは呆れたようにそう言って、店の奥に入っていく。…マスターの目当ては多分、プチガトーティラミスとプリンだ。ひとのことを甘党とか言うけれど、マスターも結構、甘党だと思う。
「さて、アイスアイス…何、食べようかな?」
アイスボックスを覗き込む。板チョコアイス、きなこもち…雪見にピノ…スーパーカップも捨てがたい。爽もいいな〜。HERSHEY'Sチョコクランチモナカ…どれも全部食べたいなぁ。どの子も魅力的過ぎて、決められない。…でも、早く決めないとなぁ…。全部、買えたらいいのにな。
「…いつまで、見てんだよ?」
カゴに僕の予想通りティラミスとプリンを入れてるマスターが呆れたように、僕を小突いた。
「だって、どれも美味しそうで…」
「決められないって?なら、俺が決めてやる。。HERSHEY'Sチョコクランチモナカにしろ。それなら、奢ってやる」
「わーい!マスター、大好き!!」
「叫ぶな、抱きつこうとするな!早く、カゴに入れろ。気が変わるぞ」
抱きつこうとして制された。むう。…っと、マスターの気が変わらないうちに早く入れないと。アイスをふたつカゴに入れてレジに向かう。レジのお姉さんがくすくす笑いながら、会計をしてくれた。…マスターはそれに小さく溜息を吐く。…僕、笑われるようなことしたかな?…でも、嫌な感じはしないからいっか。それより早く、家に帰りたい。
「マスター、アイスが溶けないうちに帰りましょう!」
マスターの上着の裾を引っ張る。
「こんなに寒いのに溶けるわけあるか」
お釣りを受け取ったマスターが呟く。それにレジのお姉さんが吹きそうになってたけど、見なかったことにしておく。
コンビニを出て、帰途に着く。
マスターはコンビニの袋を漁り、何かを取り出して、包装を剥いた。
「カイト、口、開けろ」
「? はい」
ぱかっと開けた口にぽいっと何かを放り込まれて、反射的に口を閉じる。かつんと固い感触が歯に当たる。…ちょっと、スースーして甘い。
「…あめ?」
「のど飴。お前、自分じゃ気付いてないみたいだけどな、微妙に声擦れてたぞ」
「ふぇ?」
「仕事部屋は暖房効いてて乾燥してるからな。来週になったら加湿器買ってやるから、これ舐めて喉、労わっとけ」
マスターは僕の手のひらにオレンジ色のパッケージのスティック飴を落とした。…もしかして、コンビニはマスターの気分転換じゃなくて、僕にこれを買うためだったのかな?…だとしたら、すごく嬉しい。
「…えへへ…」
マスターの腕を取る。マスターはそれに眉を寄せた。
「引っ付くな。鬱陶しい」
「だって、引っ付きたいですもん」
「公道でやめてくれ…。人が来たらどうする?」
「人が来たら、離れますよ。だから、いいですよね」
どんな理屈だよ…。マスターがぼやいたけれど、無理矢理引き剥がそうという気はないらしい。…面倒くさいだけかもしれないけど…。
「マスター、大好き」
「…はいはい」
マスターは空いた手で僕の頭をぐしゃりと撫でた。
オワリ
作品名:カイトとマスターの日常小話 作家名:冬故